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永遠なる思い

中村一義20周年に寄せて

1997年にデビューした中村一義の音楽をこれまで聴き続けてきた。

90年代後半の日本のロック音楽において、中村一義の登場はひとつの事件だったと思う。

光と闇、静と動、表と裏が複雑に交錯する楽曲の構造。

上空を震わせる高音域とソウルシンガーのような骨太の中低域を自在に行き来する歌唱力。

すべての楽器を一人で演奏した個人録音でありながら、巷間のロック・バンドを凌駕する独自のグルーヴ感。

当時の日本のロックの聴き手は、矛盾する要素が整然と両立している中村一義の音楽を驚きを持って迎えた。

鮮烈なデビューから数年後には 100s というバンドを結成、さらにその後に個人名義での活動を再開と、中村一義は様々な形で活動してきたが、彼が音楽に込める強い思いはぶれることなく一貫している。
 

その思いを結晶化させたのがデビュー作『金字塔』を締め括る「永遠なるもの」である。

この曲は90年代の日本のロック音楽を代表する名曲の一つだと私は思っている。

街に溢れる人びとの光景を描いたのが小沢健二の名曲「天使たちのシーン」だとすると、内に籠る青年が最後まで手放さなかった光を抽出したのが「永遠なるもの」だった。

非条理な傷を負い、外界との繋がりを絶った青年が、もう一度外の世界へ踏み出すことを決意する。

それは誰もが経験しうる出来事であり、多くの作品で取り上げられてきたテーマでもある。

だが、壮絶な幼少期を経験した中村一義にとって、そのテーマは避けられないものだった。
 

「永遠なるもの」は中村一義がミュージシャンとして再生するために作らざるを得ない曲だった。

そして、中村一義はそのテーマに向き合った曲を悲哀のブルースとしてではなく、彼を襲った状況そのものを引っ繰り返すような歓喜のゴスペルとして作り上げた。

天高くまで上昇する螺旋的な歌声、執拗に繰り返される「愛が全ての人達に」というメッセージ。

感情を失う体験をした青年がその過去を反転させ、再び未来を手にするための意思が「永遠なるもの」には込められていた。
 

先日開催された中村一義の20周年記念イベントでも「永遠なるもの」は演奏された。

「永遠なるもの」は「この気持ちが永遠であるように」という願いで終わる。

演奏後、中村一義は「この曲をずっと歌い続ける馬鹿でいたい」と言った。

デビューから20年経った今でも「永遠なるもの」がミュージシャン中村一義の存在を賭けた曲であることをみずから明らかにしていた。
 

以前のツアータイトルにもなったように、中村一義の音楽活動を表すキーワードのひとつが博愛である。

たしかに「永遠なるもの」を博愛主義的な観点から解釈することもできるだろう。

しかし、「永遠なるもの」から聴こえるのが安らかで穏やかなメッセージかというとそうではない。

この曲には聴き手を掴んで離さないような荒々しさが潜んでいる。

それはなぜか。

「永遠なるもの」はミュージシャン中村一義が少年時代の彼自身に向けて作り、歌った曲でもあるからだ。

この曲の激しさとは、感覚を閉ざしていた少年の所にまでこの曲が届くようにという中村一義の思いの強さに他ならない。
 

「永遠なるもの」を初めてライヴで聴いたのは2012年の日本武道館公演だった。

武道館でこの曲を聴いた時に思い、20周年イベントで聴いて改めて思ったことがある。

それは「もっと大きなステージでこの曲を聴きたい」という思いだ。
 

中村一義が「永遠なるもの」に込めた思いがもっと広く、もっと遠い所まで解き放たれることを願っている。

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