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米津玄師と一人遊び

どれだけ背丈が変わろうとも変わらない何かがありますように、だなんて

中学生のわたしは遊園市街で一人遊びをしていた。

友達がいなかったわけじゃないけど、周りに話せる人がいなかった。聴いてたのはわたしだけだったから。ベースを始めたのは”clock lock works”の女の子に憧れてだなんて、誰もわからなかったでしょう?

午前2時の思い出。

真っ暗なリビングにパソコンの明かりをにじませながら、両親が起きてしまわないように小さな音で、わたしだけの子守唄に耳をすませる。眠る気なんて全然なかったけど。

〈君の悪い夢も 私が全部食べてあげる 痛いの痛いの飛んでいけ 安らかな歌声を〉

“沙上の夢喰い少女”ってどんな子だろう。電子帖八番街から聴こえてくるのは遠い世界の住人の話。そのころの私にとっての曖昧な現実をハチはきっと肯定してくれていた。会ったことも話したこともないけど、温度のないその声が何よりも確かなものに思えた。

“遊園市街”を初めて聴いた時、その理由がわかった気がした。

〈ねえねえ 「こんなこと」って全部笑ってしまおうぜ さあさあ飾りつけようか 今日は二人の誕生日〉

なんとなく、そこには二人だけしかいないようで、温度のあるその声の中に、わたしがいた。メリーゴーランドのような音楽には、例えでもなんでもなく、わたしの物語を受け止めて回ってくれる木馬がいた。

そういうのって昔からちゃんとあったんだ。そして今は、わたしや誰かの中にも。

“Neighbourhood”を武道館で聴いた。

〈煙草の煙で満ちた 白い食卓だ〉

米津玄師が歌う子供の頃の風景は、わたしや誰かの記憶とおぼろげに重なってゆく。何かが共有されて、そのつながりが強くなってゆく。武道館の全ての人と。

縮図を見ているようだった。『diorama』と『YANKEE』と『Bremen』と『BOOTLEG』で歩いてきた距離と、恐る恐る〈あなたの名前を呼んでいいかな〉なんて言いながら、果敢に手を伸ばしてきたことの。

〈あたしあなたに会えて本当に嬉しいのに〉

歌いだし、天井から真っ白な光が落ちて舞台を照らす。誰もが息を飲んで、わたしにはその音が聞こえた。ドクン。

ふと、高校生の時のことを思い出した。ずっと一人で聴いていたミュージシャンについて、初めて友達と話した時のこと。そういえば、”アイネクライネ”のことを話したよね。傘を逆さにして遊んだよね。

人と人が分かり合うことなんてできないと言ってはばからなかった米津玄師が、誰よりも普遍的な音楽をやっていることはおかしなことなのかな。また一つ思い出す。

高校に入ってやはり学校に馴染めなくて、わたしは『diorama』を聴いていた。優しい歌なんだけど、果物を手で握りつぶしたみたいな、グシャって苦味があって、霧の向こう側にいる誰かに向けて書かれたような曲。わたしは誰に何を言ったらいいか分からなくて、分かり合おうとすることをやめてしまった。

ある日、米津玄師は街を出て、霧の向こう側にいる誰かと顔をつき合わせるために面会室へ。

〈手をつなごう 意味なんか無くたって〉

月並みだけど、わたしは”サンタマリア”を初めて聴いて誰かと話したくなった。分かり合えないからこそ、わたしたちはお互いの形が分かって手をつなぐことができる。そんなことを思ったから。

武道館のライブ、あの頃の子守唄から始まったアンコールの最後の曲は”アンビリーバーズ”だった。

もしそれが何かの決意の表れだったとして、私はこれまでと同じようについてゆくだろう。思えば、その明かりにいつだって導かれてきたような。ヘッドライト、テールライト、旅はまだ終わらない。

遊園市街の二人ぼっちの一人遊びは、今もまだ続いている。きっと何万通りにも。

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