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“愛おしい”の魔法

BUMP OF CHICKEN『アンサー』を聴いて

「魔法の言葉 覚えてる」

そんな唄いだしから始まったその曲に、完全に心を掴まれてしまった。とても新しい、そう思った。

BUMP OF CHICKENの『アンサー』だ。

抽象的なその歌詞からは、何万通りもの受け取り方ができるだろう。
彼らの音楽を好きになって随分と経つ。
新しいと、そんな風に思ったのは初めてだった。
それは、私の聴き方が変わったということを示していた。

急いでその曲をもう一度、聴き直す。気になったことを急いで探した。私が探したことは、ちゃんと唄ってあった。

「鈍く残った痛みとか
 しまってしまった想いとか
 滲んだって消えないもので
 町はできている」

ちゃんと、このフレーズに込められている。良かった。少しだけ安堵した気持ちになった。

私が彼らの曲に心を動かされるのは、いつも決まって、内側にある自身の痛みと向き合ったときだった。

「生きてく意味を 失くしたとき
 自分の価値を 忘れたとき
 ほら見える 揺れる白い花
 ただひとつ 思い出せる
 折れる事なく 揺れる」
 (ハルジオン)

「一人だけの痛みに耐えて
 壊れてもちゃんと立って
 諦めた事 黄金の覚悟
 まだ胸は苦しくて 
 体だけで精一杯
 それほど綺麗な 光に会えた」
 (firefly)

彼らは、いつだって絶望的な本音とわずかな希望を堂々と唄ってくれていた。10代で彼らの音楽と出会って、何度助けられただろう。誰かに聞いてほしいけれど、上手く話せないこと、誰にも話したくないこと、それぞれ沢山あった。だって、誰かと向き合って本音を話すのって、面倒だし、恥ずかしい。とても勇気のいることだ。だから彼らの曲に、思い切り逃げ込んだ。
誰かに話すことをためらってしまうほどの本音も、彼らの曲の中ではキラキラしたものになった。そこでしか共有できないものがあった。たとえそれが暗くても、ネガティブでも、なんだろうと、自分が一番大切にしている想いを音と重ね合わせることは、とても魅力的なことだった。彼らの音楽には突き詰められた、厳選された歌詞と音が並んでいる。私が自己完結で終わらないための、深い共感を用意していつも待っていてくれた。そこで見つけた答えは、気がつけば他者のいる外側の世界まで私を連れていってくれた。そう、彼らの音楽の魅力は、“自分とひたすら向き合うこと”から始まっていた。私が内側から外側へ踏み出すとき、彼らはいつも寛大に見守っていてくれた。少なくとも、私はそういう聴き方をしていた。

一体、いつからだろうか。誰かと向き合うことに勇気が必要になったのは。本音をさらけ出したり、なけなしの勇気を振りしぼったり、私にとってはおおごとだ。そこへたどり着くために、痛みをともなうことは必須だと思っていた。この、私が考えている誰かと向き合うことって、とても難しい。それが上手くできなかったから、彼らの曲に何度も逃げ込んだ。その勇気をもらう手助けをしてもらっていた。
それに、誰かのために頑張っても、動いても、誰かの絶望の前ではそれがなんの意味も持たないことを、今では知っている。そこで知る自分の無力さも絶望も、覚悟して傍らに置いて生き抜くしかない。
だからなのだろうか。
よけいに、この曲が響いたのだ。
この曲は、いつも真っ先に、内側へと目を向けていた頭でっかちな私に、気づけなかった事実を届けてくれた。思いもしない方向から、私が一番不安がっていた部分にスポットライトをあててくれたのだった。

この曲、『アンサー』は、“誰かとひたすら向き合ったこと”から、始まっている。

「心臓が動いている事の
 吸って吐いてが続く事の
 心がずっと熱い事の
 確かな理由を
 雲の向こうの銀河のように
 どっかで無くした切符のように
 生まれる前の歴史のように
 君が持っているから」

のどの奥が、ぎゅっと苦しくなる。それが自身の痛みからくるものではないことは明らかだった。
 

私には、もうすぐ2歳になる娘がいる。
親になってもうすぐ2年。何ヵ月も続いた夜泣き、なかなか下がらない高熱、最近やってきたイヤイヤ期。子育てをする上で誰もが経験するであろう格闘を私も少しだけ経験して、人を育てるためにこんなにも体力と精神力が必要だなんて、正直びっくりしている。時間に追われてイライラしたり、心の中でもう嫌だと呟いてしまうこともしょっちゅうだ。毎日、上手くいかないことのほうが多い。

だけど、ただ一つ確かなことがある。
娘をみていると、面白いのだ。

私が10秒ほどで通りすぎてしまう家から駐車場までの距離を、娘は何分もかけて歩く。毎日通る道路に落ちている石ころも、落ち葉も、彼女にとっては真新しいワクワクするものであるに違いない。駐車場に水たまりができれば、水たまりを行ったり来たり。私からすればどれも同じ水たまり。けれど、彼女は水たまりにジャンプしながらその深さの違いを楽しんでいる。いつだって、生きることに一生懸命だ。キラキラした目で嬉しそうにする彼女の姿を、見守ったり追いかけたりしながら、ついつい私もはしゃいでしまう。いつかそれらのことに無関心になる日が彼女にもやって来るだろう。その日までに、一つでも多くその姿を目に焼きつけておきたいと思う。見守ったり追いかけたりしながら、私は彼女に突き動かされている。
この曲は、その事実をはっきりと、くっきりと浮かび上がらせてくれた。そしてこの曲を聴きながら想いを馳せる。私もかつて彼女のように、理由なんて持たなくても生きることに一生懸命だったことを。それを見守り、受け止めてくれた誰かがいたことを。

私が考えている、勇気を振りしぼってでも誰かと向き合うことって、本当に難しい。だけど、それはそのほんの一部でしかない。それを私が決めつけるずっと前から、私は知っていたはずだ。心の根底に、もらっていたはずだ。言葉にしなくたって、本音をさらけ出さなくても、すでに向き合っていたのだ。見守ったり追いかけたり、その繰り返しこそが私が欲しかった答えだったと気づかされた。
自分のことよりも、はるかによく知っている誰かがいるということ。生きる理由なんて迷わないほど、誰かに突き動かされている事実があること。その事実が、誰かと十分に向き合ってきたことを教えてくれる。不安がる必要なんてなかったのだ。
私はいつも内側にばかり答えを探していた。内側はとても大事だし、その中にしか答えはないとずっと思っていた。でも、外側には裏付けされた答えがちゃんとあった。この曲のおかげで、外側の大事な答えを見つめることができた。
 
 

昨年、久しぶりに彼らのライブに参加できた。ベースのチャマはいつになく真剣な表情で、聴き手である私たちに向かってこう言った。

「君たちのことが、本当に愛おしい」と。

まっすぐであたたかいその言葉が、心に染みわたった。
遠回りしていないその言葉は、昔の彼らからは想像できない言葉だった。ここ5、6年で彼らはものすごく変わった。ライブDVDを発売したり、Mステや紅白などのテレビ出演をしたり。ライブの演出だって変わった。
私だって、最初は戸惑った。だって、彼らは曲の中で寛大に見守っていてくれる、絶対的な存在だったからだ。映像化しなくたって、テレビに出なくたって、ライブの演出に凝らなくても、聴き手との信頼関係は十分に築けていたし、そんな必要はないと思っていた。
だけど、『アンサー』を聴いたあと、その理由が明確に想像できた。彼らだって、私たち聴き手に突き動かされたのだ。自分たちの領域で見守ることだけではとどまらなくなったのだ。繰り返し、内側のことを丁寧に唄ってきた彼らだ。その外側にもまだ知らない答えがあることを、誰よりも意識していたに違いない。だから彼らは、聴き手に音楽を伝えることに対し、媒体や手段を選ばなくなった。媒体は一個でも多いほうがいいし、演出の引き出しは何個だってあったほうが良い。
何年も前、彼らはライブの映像化やテレビ出演を好んでいるようには思えなかった。それらを選択することは、とても勇気のいる切実な決断だったことは、間違いないだろう。
その大きな変化を乗り越えて、彼らは新しい答えにたどり着いている。

『アンサー』の歌詞にある、「二度ともう 迷わない」だ。

迷わないのは、きっと、今なお突き動かされているからだろう。

久しぶりの彼らのライブは、新しいことが沢山あった。 その全てが聴き手に寄り添ったものだった。昔と変わらず、眩しい彼らの姿がそこにはあった。

新しい答えを手にしている愛おしい彼らとともに、私もさらなる新しい答えを探していきたいと思う。

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