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志村さん、あのね。

フジファブリック・志村さんに聞いてほしい私の話

志村さん、あのね。

時折、自分の幼い頃に思いを馳せ、毎日書いていた「せんせい、あのね」が懐かしくなる。今日はなんだか、志村さんに話を聞いてほしい気分だ。「せんせい、あのね」の最後に毎回先生が赤ペンでくれた、一日の楽しみだった一言は、志村さんからは返ってこないことは分かっている。それでも、書きたい。

1999年、志村さんが上京した時、私はまだ2歳。東京という町がどんなところであるのか、住むところからどれだけ離れている所なのか、理解できない年齢。
2009年、志村さんが亡くなった時、私は中学1年生。ロックにはこれっぽっちの興味もなく、その時期の流行の曲を、毎日友人と大声で歌いながら登下校していた。

2015年、大学進学を機に上京する。東京の暮らしに慣れなくて、実家に帰りたくて、仕方なかった。来てしまったからには帰れない。やりたいことも見つからない。でも東京なら、何か出来ることがあるだろうと変な期待を抱いていた。
2016年、友人からフジファブリックの「桜の季節」を勧められ、聞く。なんじゃこれ。その時は聞くのをやめたが、やはりどこか気になって、もう一度聞いてみようと思った。
「茜色の夕日」を聞いた。お風呂場で泣いた。この歌を歌っている人は、私の心が読めるのだろうか。そんな馬鹿なことを考えているのに、涙が止まらなかった。「東京の空の星は 見えないと聞かされていたけど 見えないこともないんだな そんなことを思っていたんだ」私は、東京で夢を見つけてやる。今は見えない星だけど、いつか見てやる。「茜色の夕日」を初めて聞いた日は、そう決心を決めた日になったのである。

それから数日、フジファブリックの動画をいくつも見ていた。あれ、おかしい。歌っている人が違う!フジファブリックを教えてくれた友人に聞くと、ボーカルの人が変わったのだと教えてくれた。衝撃だった。私の心が読めると思っていた方が、もういない。人生で一度も会うことが出来なかった。19年という短い人生の中で後悔することは多々あったが、志村さんの存在を2009年までに知ることが出来なかったのは、最も大きい後悔の一つである。2009年までにフジファブリックの曲を知るチャンスがあったとしても、あの頃の私なら、意味わからない!と一蹴していそうではあるが。東京に出てきて、少し大人になったからこそ、フジファブリックの良さを感じることが出来たのだろう。

今ではフジファブリックのライブに足を運び、富士吉田市にも遊びに行ってしまうほどのファンになった。これも、東京に出てきたからこそできることで、大嫌いだった東京も、いつしか居場所と感じられるほどになっていた。

2019年、私は社会人になる。東京の空で星を見つけたのである。今は、その星に近づこうと就職活動をしている最中である。東京の通勤ラッシュも、ご近所さんと呼べる存在がいないことも、全然好きではない。でも、東京にやりたいこと、やらなければならないことがある。もう、後悔を増やしたくない。「茜色の夕日」を初めて聞いたときに、東京で夢を見つけると決心した自分を裏切りたくない。
今も進化し続けるフジファブリックと、今も色あせない志村さんの魅力を感じる度に、私も頑張らなければ。という気持ちになる。だから私はリクルートスーツを着て、ぎゅうぎゅう詰めの電車に乗って、自分の星をつかむために東京の街を進むことができるのである。フジファブリックを聞きながら。先の見えない就職活動の中で「不安になった僕は君の事を考え」ながら。

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