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チャンス・ザ・ラッパーの天使について

『Coloring Book』とゴスペル、サマーソニック

サマーソニックでのチャンス・ザ・ラッパーの初来日。続くフジロックでのケンドリック・ラマーやN.E.R.Dの来日決定のニュースなど、大物ヒップホップアクトの来日公演の発表が相次ぎもしたが、2018年に日本中の音楽ファンを最も驚かせた最初のニュースは、サマーソニックでの第一弾ラインナップの発表だったのではないだろうか。
いささか、『Coloring Book』リリース直後の熱狂と衝撃からは少し関心が冷めてしまっていたが、それでもチャンス・ザ・ラッパーの来日公演が、この夏最も見逃さないステージのひとつになることは間違いない。
 
 

チャンス・ザ・ラッパーの魅力と言えば、優等生なパブリックイメージとは裏腹にサイケデリックなトラックや、そのユーモアとポジティビティに溢れたラップやパフォーマンス、豊富な音楽的バックボーンを感じさせる美しい和音、そしてよく引き合いに出されるが”ゴスペルっぽさ”だ。

『Coloring Book』リリース直後のレビューでも、彼の音楽を語る際に引き合いに出されたのは、流行からは一線を画したような、シカゴ発のハウスやジュークのリズムを取り入れた多彩な楽曲やシャイラク及びドリルミュージック、ケンドリック・ラマー、地元シカゴの大先輩カニエ・ウエストとの関係性、そして”ゴスペルっぽさ”だった。

しかし、コーラスや上物の重ね方や、腹の底から力強く歌い上げる感じなど、なんとなく”ゴスペルっぽい”とは感じてはいても、個人的にはだからなんだというか、同郷の先人カニエ・ウエストなど、ゴスペルの要素を取り入れいるラッパーや、ケンドリック・ラマーなどキリスト教的な信仰心や社会的プロテストを掲げるラッパーは過去だけでなく、既に同時代の音楽シーンにも数多くいる。その故彼の音楽を語る際に、声を大にして”ゴスペルっぽさ”を引き合いに出すことに対し必然性を感じられず、長い間いまいちピンとこないでいた。

しかし、ラップが新たな時代のスタンダードとなり、新進気鋭のラッパーや数え切れないほどの才能を持つ作家達で溢れる中で、何故チャンス・ザ・ラッパーがこれほどまで注目される存在(オバマ前大統領が任期中最後に主催したホワイトハウスでのディナーに、同じく時代を代表する作家、フランク・オーシャンと並んで招待されるなど)になったか考えた時、–勿論、素晴らしい楽曲と観客を熱狂させるライブパフォーマンスがあってのことだが–まず最初に浮かぶのは彼の清教徒的ともいえる徹底したインディペンデント精神や、全米最悪の殺人件数及び”シャイラク”の悪名を馳せ暴力と貧困で荒廃した地元シカゴのサウスサイドに対する多くの慈善活動や地域や若い世代を正しい方向へ導こうと奮闘する信念、スキルフルなラップに込められたポジティブかつ社会的なメッセージ、そしてそれらを上辺だけのオプティミズムではなく、優れた音楽へと変換し、優れた表現として飛躍させてているのは、やはり彼の音楽に内包された、悲しくもあたたかい、すべてを肯定し、祝福するかのような”ゴスペルっぽさ”なのではないだろうか。

『Coloring Book』からのリードシングルにもなった”Angels”は、彼の”ゴスペルっぽさ”が際立つ楽曲のひとつ。チャンス・ザ・ラッパーの代表曲といえば、大ヒットした”No Problem”(間違いなく2016年を代表する偉大なアンセム)を思い浮かべるひとが多い筈だ。客観的にも個人的にもリリースされた当時は”No Problem”の方がやはり頭一つ目立っていたというか、”Angels”がその後大ヒットした”No Problem”の影に隠れてしまったのは否めない。

“No Problem”が彼の音楽業界に対する姿勢やインディペンデント精神、もっと嫌らしい言い方をすればビジネスパーソンとしての物質的なアイデンティティを歌った楽曲なら、”Angels”はよりパーソナルかつスピリチュアルな、自身の信仰心や信念などの精神的なアイデンティティを歌った楽曲だ。
 

“Angels”で歌われている”天使”とは、いうまでもなく、子供たち(チャンス・ザ・ラッパー自身、『Coloring Book』リリース前後で娘を授かっている)、あるいは家族や信頼する友人達のことなのだが、より精神的な心の支えや信仰、信念のメタファーと解釈する事もできる。

チャンス・ザ・ラッパーも参加したカニエ・ウエスト(同じくアルバム制作に娘と息子の誕生が大きく影響した)の『THE LIFE OF PABLO』–特に客演でも参加したオープニングトラックの”Ultralight Beam”でも、ゴスペル的な傾向は強く見られたが、その背景にあるのは、音楽的な伝統や様式へのオマージュと言うよりも、より内面的な祈りにも似た、キリスト教的な”救済”や”許し”の文化とも言うべきか、–ゴスペルに強い影響を受けているカニエ・ウエストが、笑ってしまうほど露悪的なリリックを多用するのはもしかすると”懺悔”に近い感覚なのかもしれない–彼の”ゴスペルっぽさ”の本質は、その”救済”や”許し”の文化にある”肯定”や”祝福”にこそあるのではないだろうか。

全米最悪の殺人件数。年間死者数がイラクやアフガニスタンに派兵された米兵の死亡者数を上回ったことから”シャイラク”と呼ばれ、2010年代前半にその悪名とともにシカゴの中でも特に治安の悪いと言われた地区であるサウスサイド。その”サウスサイドには数え切れないほど若い天使がいる”と力強くラップする”Angels”は、まさしくそんなゴスペルの肯定感や祝福にも似た喜びに溢れている。なにより、その無防備とも呼べるような、淀みのないポジティブなメッセージに強い説得力を与えているのは、彼の商業主義とは無縁の清教徒的とも言える徹底したインディペンデント主義や地域に対する様々な社会貢献活動であり、直向きに地元シカゴに向き合ってきた彼だからこそ、リリース当時23歳とは思えぬほど、地に足のついた説得力を持って言うことができるメッセージである。–“Angels”は視覚的な側面でもそれまでのシカゴや他のラッパー達とは対称的で、それまでのドリルミュージックやトラップなど、多くのラッパー達がMVで、敵対するギャングや警察の目を避けて室内で撮影をしていたのに対し、シカゴの市街地や電車と言った”公共の場”で撮影されている。

とは言え、具体的な地名にまで言及して”天使がいる”とラップすることは、一歩間違えれば反感を持たれたり、ただの世間知らずだと批判されたりしまう可能性もあった筈だ。ベクトルは逆だが、前年にリリースされた『To Pimp a Butterfly』でケンドリック・ラマーが同胞である黒人コミュニティや人種差別という構造に潜む偽善性や矛盾を自己批判的に指摘したのと同等の、–どちらにしろ、弱冠23歳の青年には大き過ぎるほどの強い覚悟と信念が必要だったのではないだろうか。

チャンス・ザ・ラッパーの活躍を語る上で外せないのは、ギャングスタラップの”聖地”コンプトン出身であり、新世代のギャングスタラップとも呼べるトラップが勢いを増していくなか、”good kid, m.A.A.d city”というエポックメイキングかつ黒人音楽の原点回帰的でもある姿勢を打ち出したケンドリック・ラマーの存在だ。

チャンス・ザ・ラッパーのシリアスながらもポジティブさに溢れたメッセージは、ケンドリック以降だからこそとも言えるが、同じように黒人コミュニティや地域の貧困や犯罪、キリスト教的な信仰心をラップで表現しつつも、彼らのラッパーとしての立ち位置や方法論、社会に対する姿勢は大きく異なる。

ケンドリックラマーが十字架を背負いこむキリストに自身を重ねているのなら、チャンスはその教えを説く宣教師と言ったところか、彼のポジティブでコミカルな言動からも、よりアメリカ的かつ大衆向けのキリスト教的価値観や、ステージ上での振る舞いも大袈裟な身振りで説教を伝える大衆向けの伝道師とどこか重なる。

ケンドリックの楽曲がシリアスなプロテストソングとしての側面が強いならば、チャンス・ザ・ラッパーの楽曲はより大衆や地域の人々を振るい立たせる啓蒙活動的な意味合いが強く、ケンドリックが聖書的なら、チャンス・ザ・ラッパーはより教会的とも言える。聖書やキリストの物語が単体でも価値があるのに対し、教会というものは、そこに社会や信者達がいてはじめて意義が成立する様に、チャンス・ザ・ラッパーの音楽もパーソナルかつ独立した表現というより、影響を与えることに重きを置いた楽曲のほうが目立っている様に感じる。リスナー側が”チャンス・ザ・ラッパーらしさ”を強く感じるのも、そういった楽曲を聴いたときのほうが多い筈だ。

アメリカのキリスト教といえば、聖書原理主義や保守的な価値観など、ネガティヴなイメージで語られることも多いが、それでもキリスト教を含め多くの宗教が多くの人々の生活の拠所や社会的基盤のひとつになっていることも間違いない。音楽の影響力を政治的に利用するというのも、その分大きなリスクや負の側面もあるが、少なくとも現在は、社会や若い世代に間違いなく良い影響を多く与えてもいる。キーフ・チーフをはじめとするドリルミュージックやアトランタの貧困地区をルーツに持つトラップが、アメリカの資本主義や格差社会の負の側面から生まれた音楽ならば、ケンドリックやチャンス・ザ・ラッパーの音楽はその影の中から光へと進んでいく為の音楽だ。
 

先に述べた”Angels”の他にも盟友、Donnie Trumpet & The Social Experiment名義でリリースされた”Sunday Candy”や、”Blessings”など、ゴスペル的要素やキリスト教的価値観が多くの楽曲に見られるが、カーティス・メイフィールドを知らずとも、カニエ・ウエストの”Touch the Sky”のイントロに高揚感を感じたり、元ネタを知らなくても引用やサンプリングでつくられた楽曲を楽しむことができるように、クリスチャンでなければ、彼らの音楽を理解することは出来ないというわけではない。カニエの”Only One”を彷彿とさせるような、シンプルながらもラッパーという枠を超えた歌唱力が際立つ”Same Drugs”やヤング・サグやリル・ヨッティだけでなくジャスティン・ビーバーなど人種や地域を超えた多彩なアーティストが参加し、多様な楽曲で彩られた『Coloring Book』という作品に象徴されるように、ゴスペル的な要素はむしろひとつの側面に過ぎない。自身の音源をフリーでのみ発表するという姿勢からも、彼にとって、自分の音楽や価値観を自由に”シェア”し、積極的に”外へ”向かっていくという発想こそが重要なのだと感じる。

個人的に深く印象に残っているエピソードは、チャンス・ザ・ラッパーが、同じく黒人コミュニティの社会問題などを鋭い視点で撮り続けてきた映画監督スパイク・リーがシカゴのサウスサイドを舞台にした映画『Chi-Raq』を”搾取的で問題がある”と指摘したことである。『Chi-Raq』は日本では未公開な為、推測することしかないが、貧困や人種といった様々な社会問題に対する若者の意識がより平和的な解決方法へと変わって来ていることを象徴した、まさに世代交代が明確になった瞬間だった。

政治や人種問題など、様々な局面で思想の二極化が進むなか、自身のアイデンティティを明確にしつつも、多様な価値観を尊重し、そこにバランスや新しい可能性を見出していく彼の視点は非常に重要な意味を持っている。チャンス・ザ・ラッパーが『Coloring Book』で明確にした方向性は、今後様々な分野に置いて、普遍的な価値観になっていくのではないだろうか。
 

アニミズムの傾向が強い日本では、結婚式やクリスマスなどを欧米風に祝ったりはするものの、キリスト教だけでなく様々な宗教や信仰に対しての嫌悪感も根強く、距離感や偏見などもあり、信仰の違いに関する議論もどこかタブー視され、理解し合うことを何処か先延ばしにしてきた傾向にある。

ドメスティックな傾向や”洋楽離れ”が問題視されて久しいが、最近では欧米も含め様々な地域からの旅行者を観光地以外でも多く目にするようになった。今年のサマーソニックで、チャンス・ザ・ラッパーの来日公演がどのように受け入れられるかが、そのまま日本のこれからを写し出すのではないかと、少し不安もあるが、兎に角、夏が来るのが待ち遠しい。

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