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2017年4月4日

藤原 理希 (21歳)

「平凡」なる解釈

ドレスコーズの最新作、「平凡」はもっと評価されるべきだ

志磨遼平をどうしても僕はデヴィッド・ボウイ、吉井和哉と比べてしまう。
それは彼がこの2人に憧れを抱いていて、着実にその系譜を歩いて来た男だと思っているからだ。

発売前、「今回はコンセプトアルバムだ。」ということと「長い髪を切った。」と聞いたとき。
やはり僕はデヴィッド・ボウイの「ジギー・スターダスト」、THE YELLOW MONKEYの「jaguar hard pain」を思い出した。

ボウイは他の惑星からやって来たスーパースター「ジギー」になった。吉井和哉も丸刈りにして、戦死したが魂だけ生き残ってしまったという兵士「ジャガー」になった。

2人ともこのアルバムの登場人物に成りきってコンセプトアルバムを発表した。

これは吉井がかつて吉井和哉版「ジギー・スターダスト」を作ったように、志磨遼平版の「ジギースターダスト」を作ろうとしている!と思った。

それから数日後、アルバムタイトルが発表された。

「平凡」

公開されたアーティスト写真の志磨はロックスター感を封印していた。

「志磨遼平こそ平成の生んだロックスターだ!!」と思っていた盲目的なファンだった僕は非常に度肝を抜かれた。

そしてアルバムを購入し、聴いたとき、さらに度肝を抜かれた。

このアルバムのテーマはまさに「平凡」で彼自身「平凡」な「ひと」になりきろうとしていた。

そして聴き終わったあとに僕は1つの答えを見出した。

彼は「平凡」こそ最大の「個性」だと身をもって表現しているのではないかと。

今は何かと「『個性』を大切に」みたいなことを言われる世の中だ。

しかし皆「個性」なんてダダ漏れである。「個性」がないと感じる人でもその個性を自分で認めているか認めていないかの違いであったり、また気づいているか気づいていないかの違いだったりする。

自分の短所を認めて「これは自分の個性だ」と言う人はそういないだろう。その短所を嫌い、変わろうとする人がほとんどだ。しかし本当は長所も短所も含めて全部その人の「個性」であったりする。

「ただそこにある だけのモノに なれない いきもの ひと」(トラック9 「静物」)なのだ。
どうしても「ひと」には「感情」がつきまとう。

志磨自身「平凡」になりきろうとこのアルバムで何度も自身の「感情」を殺そうとしている。

『我々は我を忘れ ただの記号』
(トラック1 「common式」)

『あいまい”me”とは ありがちな存在』
(トラック7 「エゴサーチ&デストロイ」)
などそれを意図した言葉が散りばめられている。

しかしこのアルバムをよく聴いていくと彼の感情がダダ漏れだ。

かつてロックスターに憧れていた音楽家が自らの「理想」や「欲望」に何回も何回も別れを告げている。

例えばトラック3の「マイノリティーの神様」

『時代をまちがったり』とこれまで信じていた自分の音楽性でなかなか売れきれなかったことを憂いているし、それに続けて『今度のはちがったり でも埋もれがちだったり そしたらガチだったり あとで価値があったり』なんてまさに今までとは違う音楽性に舵を切ってみた今回のアルバムのことを言っていると思う。

『長すぎた エゴの季節 さよなら ぼくは普通で つまらなくなろう』
『さよならぼくらの世界地図 きみをしんじてなんかいなかった』
と自分の描いた世界に別れを告げ、その直後に『……今こそ言おう、これはもはや エンターテイメントじゃない!』と完全に「感情」として吐露している。

さらにトラック10の「20世紀(さよならフリーダム)」

20世紀には日本でもミッシェルガンエレファントやブランキージェットシティ、それこそTHE YELLOW MONKEYなど、この3人ないしは4人が揃うとなぜか「バンドマジック」のようなものが起きてしまうような伝説のバンドがいた。そしてこの3バンドは当時しっかりと国民的人気を獲得して行った。
こういうバンドはどこか「現実の世界とかけ離れている」という側面が伝説になるための演出に一役かっていたと感じる。
しかし21世紀ではこれだけネットが発達してツイッターなどで有名人と素人の距離が近くなった。こういうバンドは残念ながら生まれないと思う。
きっと彼も本当は伝説になるバンドがやりたくて音楽家になったのだろう。

そして彼は先ほど書いた通り『時代をまちがった』と悟り、20世紀そのものに別れを告げる歌を歌った。
しかし『たまにまだ きみを想う』と未練は残したままだ。

さらにはトラック11「アートvsデザイン」

『叶うならまだ どうかこのまま そう願っても遅かった ありがと とても好きでした さよならデザイア(欲望)』とこれまた別れを告げ、また未練を残している。

さらにはアルバム最後のトラックの「人間ビデオ」

『……本当に終わるの?ねえ? こんなによくできた ヒストリー』と最後の最後まで未練を残していた。

このように何曲にもわたって別れを告げていて、さらには未練まで吐露していて彼の「感情」が見え隠れする。
何曲にもわたっているところには彼の抱える「女々しさ」みたいなものを感じた。
これも「個性」である。彼自身も「平凡」になりきろうとしていても「個性」が漏れているのだ。

つまり彼は「平凡」になりきっても、まだ「個性」を失えていない。

そしてこのアルバムで唯一、「平凡」を否定したトラック2の「平凡アンチ」

『偉大なる指導者(いわゆる親父)は小さい私に こう言った
”人と同じことばっかりしてると つまらん男になるんだ”と
……ところが世界はバカだらけ、聞き違いばかりでフツーじゃない!
気付けば こうして 逆にノーマルな つまらん男』

「個性」を大事にしようとして、人と同じことをしないようにしていた「平凡アンチ」
しかし結局そんなことを考えている人は世界にたくさんいて、逆に普通で「平凡」な人を見つけるほうが難しい。
「平凡」な人が少数派ならばそれはもう立派な「個性」である。

僕はこのようにして「『平凡』こそ最大の『個性』」なのではないかという考えに至った。

こんな究極な命題を現代に突きつけたこの作品は正直もっと評価されていい。僕はこういう解釈をしたが、このアルバムは聴く人によって大きく解釈が変わると思う。
かの有名なCDの売り上げチャートなども見てみたが今のままでは『埋もれがちだったり』が本当に『そしたらガチだったり』で状態だ。
このアルバムが『ディグり ディグられ合い』されて、より多くの人に見つかってほしいと思う。

今回のTOURのファイナルである4月9日の新木場STUDIO COASTでのライブもまだチケットが余っている。是非、「平凡」を体感して欲しいとも思う。僕もそこで初めて「平凡」を体感する。

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