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どんなに離れても、ずっとココロに残るモノ。

“THE FIGHTING MAN” SPECIAL ド・ド・ドーンと集結!!〜夢の競演〜

語るには勿体無く、今まで一切語ってこなかった大好きなバンドについて、これを期に少しだけ語りたい。想い返している。 優しく、淡い、そして辛く、温かい、そんな家族の想い出。そして、大切な音と記憶。

他人事だろうが、少しだけ話を聴いて欲しい。

わたしの中で、この素晴らしいバンド達の話をするには、小学生時代にまで遡らなければならない。

わたしの家は母子家庭だ。団地育ち20年。母が女手一つで、二つ上の兄とわたしを育ててくれた。わたしが小学生の頃から音楽が好きだったのは、母と兄の影響だろう。

わたしが小学生の頃は、カセットテープの時代だ。我が家では何故か、おせんべいの缶カンの中に、母の彼氏がダビングしてくれたカセットテープが山のように入っていた。

母は彼氏に会う度に、カセットテープを受け取っていた。今考えれば、音の贈り物みたいなものだったのだろう。ダビングされたカセットテープには、丁寧に、几帳面な字で、アルバム名や、収録曲が手書きで書かれていた。とても綺麗な字で、私は大好きな字だった。

週末。全く裕福でなかった我が家の唯一の楽しみが、映画館に、映画を見に行くこと。映画館までの道は、長い川沿い。音楽を聴きながらのドライブは最高だった。例のおせんべいの缶カンから「ねぇねぇ、どれ聴く?今日はB’z?」という具合で、ワクワクしながら、みんなでカセットテープを選んだ。

母が好きだったのは、竹内まりやや松任谷由実、米米CLUB、ドリカム、森高千里、それからMr.Children、B’zが好きだった。兄は決まって、Mr.Childrenとスピッツを選んだ。 私はジャニーズが好きだったからSMAPやKinKi Kidsだ。

ちなみに、母は未だにラジオにメールを送っている筋金入りのラジオリスナーでもある。

よって、私はJ-POPやロックが大好きだった。眠れない時、辛い時、頑張りたい時、学校が嫌だった時。いつも、わたしの家では音楽が流れていた。

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わたしが生まれて始めて買ったアルバムは、Mr.Childrenの『深海』というアルバムだ。

わたしは、母と兄の影響でMr.Childrenの『AtomicHeart』をカセットで聴いて、Mr.Childrenにどハマりしていた。街の唯一の本・CDショップには、中古のCDが売っていた。小学生のわたしは、泣けなしのお小遣いで『深海』の中古CDを手に入れた。ケースは割れていたのだが、その分安かった。 ジャケットのシュールさも大好きだったし、初めてアルバムを買ったことにワクワク、ドキドキしながら帰路に着いた。

家に帰り、ヘッドホンで初めて『深海』を聴いた時、小学生ながら小さく身震いした。”なんて美しいのだろう”そう想った。 収録曲は全部好きで、多分今でも全部唄えるし、インストで繋がってる感じも好きだったから、眠れないとき、中毒気味に全編フルで聴いていた。

海の波や水の音が、わたしを苦しみから解放してくれた。 『ゆりかごのある丘から』は、わたしの想像力を大いに発達させ、時折涙までした。『マシンガンをぶっ放せ』はカッコ良すぎたし、特にわたしは『Mirror』という曲が、大好きだった。それからわたしは、『Atomic Heart』から、『I ♥ U』まで、全てのMr.Childrenのアルバムを、タイムリーに聴いていた。

『I ♥ U』のツアーの時、私は高校生になっていた。その時初めてドームでMr.Childrenのライヴに参戦した。というか、バンドのライヴ自体、初めての経験だったのではなかろうか。確かその日は、クリスマスイブだった。わたしは当時、付き合ってた彼とふたりで観に行く約束をしていた。初めてのクリスマスデート。とびっきりオシャレして、背伸びして、頑張って化粧して、香水までつけて……鏡で、何度も、何度も服装チェックして、母に何度も「変じゃない?変じゃない?」と必死で確認した。

待ち合わせ場所にいくと、そんなことはつゆ知らず、わたしの彼はパジャマ姿で現れた。 その彼に怒り、喧嘩をしていまい、私は泣きながらMr.Childrenのライヴを観た。 端から端へ、縦横無尽に走り回る、豆粒の櫻井さんをドームで見た。「これが、小学生の私を夢中にした、深海やDISCOVERY、Qをつくった人たちか!?」と大いに感動したのだ。しかし、何日か後にその彼と”お別れ”をしてしまい、その日から、わたしは何故かMr.Childrenを聴かなくなってしまった。 わたしにとっては凄く辛く、淡い想い出。

“傷付け合う為じゃなく
僕らは出会ったって言い切れるかなぁ?
今 分かる答えはひとつ ただひとつ
I love you
and I love you”
(and I love you / Mr.Children)

ちょっぴり悲しいクリスマスの想い出の中。ドームに響き渡っていたのは、今でもわたしの理想の愛の歌…

余談だが、社会人になって働きは始めた頃、『EVERYTHING』から、当時の最新アルバム『HOME』までの全CDを購入した。カセットテープや、中古のCDから晴れて卒業出来たのだ。これが「大人買い」というやつかと、ひとりタワーレコードで、ニヤついていたのを想い出す。

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二つ上の兄は、Mr.Childrenとスピッツの大ファンだ。しかし、スピッツの方が何故か好みに近いらしい。

時は1995年。のMr.Childrenの『【es】~Theme of es~』と、スピッツの『ロビンソン』どっちがいい曲?なんて、くだない比較対象をされ、マスコミが騒ぎ立てていた頃、兄は『ロビンソン』の方がいい!! と仕切りに漏らしていた。

結果、Mr.Childrenは二週連続一位となる。スピッツの『ロビンソン』 も、ご存知の通り異例のロングセラーとなった。その辺りから、わたしは、Mr.Childrenと共に、スピッツも聴くようになった。

兄は小学5年生。わたしは小学3年生。兄に教えて貰いスピッツを初めて聴いたのは『ハチミツ』というアルバムだ。例の母の彼氏がカセットテープにダビングしてくれたものだった。そのカセットテープに、丁寧に書かれた曲名の中にひとつだけ、記号の様な曲名があり、わたしと兄はその曲が大好きだった。

「これ、なんて読むの?」
と母に問うと、母は
「Y(ワイ)よ」
と答えた。

その日から、私と兄の中で『Y』はスピッツの名曲だ!と勝手に決定し、コンポで「Y、聴こうっ!!Yっ!!」と、キャッキャッ言いながら、カセットテープを早送りして、『Y』が流れ出すと真剣に聴いていた。そして聴いた後、必ず「名曲やぁぁぁぁ!!」と、声を揃えて言うのがお決まりになっていたのを、今でも覚えている。聴きすぎてカセットテープが擦り切れ、テンポが遅くなったり、音が飛んだりしていたのだけれど…(大人になって、改めて聴くと、我が兄妹は、小学生ながら、なかなか切ない曲をセレクトしていたなぁと笑ってしまった。)

わたしは中学3年生になった。推薦入試でクラスで一番最初に高校が決まり、年始からは殆ど中学校に行かなくなった。

その頃、兄は隣の団地に住んでる友人から、YAMAHAのアコースティックギターを借りて部屋で練習していた。わたしは「これだ!」と想った。

当時、KinKi Kidsが吉田拓郎とやっていた『LOVE LOVE あいしてる』という番組があった。KinKi Kidsが吉田拓郎やTHE ALFEEの坂崎幸之助にギターを教わる企画をタイムリーに見ていた私は、友達にギターを弾ける子がいたので、その子に”ギター教えて”と頼みこんだ。そして、その子が最初に練習曲として教えてくれたのが、スピッツの『空も飛べるはず』だった。
 

時間を持て余していたわたしは、一週間、猛練習して、青くなった手で初めてギター弾き語りを披露した。最初のリスナーは母親だった。もちろん曲は、スピッツの『空も飛べるはず』。母は「上手やねぇ」と笑ってくれた。その時、貶されてたら絶対に直ぐやめていたと想う。兄は何故かその後ドラムに目覚め、わたしは兄の友達のギターを、兄より上手に弾けるようになっていた。

その後、高校進学祝いに母が、安い青いギターを買ってくれた。初めてのマイギター。毎日弾いていた。
 

高校一年生の時、わたしは初めて彼氏ができた。その彼はどうゆう巡り合わせなのか、兄の高校の部活の後輩だった。初めての恋というものは、高校デビューのわたしにとっては正に春だった。 脳内や、わたしの視界全てに、桜が毎日舞い上がっていた様に想う。 しかし、そんな春は長くは続かなかった。 三ヶ月くらいで私は生まれて初めて失恋をした。 あっけなくフラれたのだ。 同じ部活だからもちろん、兄の耳にも入った。

その日の夜、わたしは兄に呼ばれた。
久々に兄の部屋に入ったように想う。

そして、
「これ聴いて」
と、コンポから流れ出した曲。
…それが、スピッツの『楓』だった。
 

“さよなら 君の声を 抱いて歩いていく
ああ 僕のままで どこまで届くだろう”
(楓 / スピッツ)
 

兄は特別、何も言わなかった。その後、何曲かスピッツの曲をかけてくれた。『涙がキラリ☆』や『チェリー』も…「まぁ、色々あるけどな…」とその後、兄は黙った。 兄が何を伝えたかったのかはよく解らなかった。でも兄は、いつもわたしに優しかった。

私は失恋のショックではなく、小学生の頃、兄と『Y』を夢中になって、一緒にコンポで聴いていた頃のことを想い出して、気がついたら泣いていた。

これ以来、わたしは兄にと一緒に、コンポで曲を聴いた記憶は無い。だけど、兄との大切な想い出は、いつもスピッツの曲と共にあった。
 

余談だが現在、兄とわたしは、マサムネさんのラジオを毎週聴いて、懐かしの、或いは新しいロック大陸に上陸し、漫遊している。

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先程も話したが、『LOVE LOVE あいしてる』という番組は、非常に面白く、興味深かった。アーティストやバンドが、生演奏でカバーを唄ったり、その時、ゲストがハマっているものを紹介するという番組だった。そのゲストの中でも一際目立ち、子供だったわたしに鮮明に記憶を植え付けたのが、エレファントカシマシだった。

何やらボーカルの人が、面白い身振りや話をするからだ。小学生だった頃は、我が家では決まって面白いドラマや、HEY!HEY!HEY!などの音楽番組は、必ずチェックし、『今日○○が出るよ、急げー!!』と騒いで、家族で番組が始まる前に、家事や宿題を済ませてテーブルを囲んで、TVを見るのが楽しみだった。

「今日、あの面白い人出るよ!」

そう言って、エレファントカシマシを見ては、小・中学生のわたしは笑顔を貰った。唄はもちろん『今宵の月のように』や、『風に吹かれて』は名曲で、『ガストロンジャー』はめちゃくちゃ格好良かったが、「何でこの人、唄うとき、人が変わるのだろう?」と、小学生ながらに不思議に想っていた。

そんな感じで、わたしの中で、Mr.Childrenとスピッツとは少し違い、音楽よりも人間的魅力に惹かれ、「面白い」という印象の残り方をしたエレファントカシマシだったが、数年後、その印象は完璧に塗り替えられることとなる。

わたしは、スピッツの『空も飛べるはず』から、ギターが弾けるようになり、高校卒業前くらいからデュオで音楽活動し始めた。 路上ライヴに出るようになり、ゆずやMr.Children、スピッツも、もちろんカバーしていた。

オリジナルが増え、ライヴハウスでライヴする様になり、地元のTVに出演したり、小さな箱でワンマンライブを何度かするようにまでになった。

しかし、その後デュオは解散。

わたしはひとりで唄うことになった。

肝の小さな私にとって、ひとりでの活動は困難を極めた。ライブの度に神経をすり減らし、音楽を純粋に楽しめなくなっていた。

やがて夢と現実の狭間で、過労が重なり、7キロも痩せ、仕事も出来なくなるくらいになってしまった。気がつけば、人の名前が出てこなくなった。一緒に働いてる同僚の顔を見ても、誰か解らなくなった。何故か1時間早く出勤して、トイレ掃除を永遠と無意識にしていたり、歩くと眩暈がして、動けなくなった。 そして、目の前が真っ暗になり、わたしは、とある年の誕生日に職場で倒れた。 それから、私は薬と仲良く一緒に過ごす生活がはじまった。
 

そして、完全にライブ活動から離れる事となる。

…辛かった。

夢も希望も、明日への気力すらも持てなくなっていた。
 

小学生の頃、車の中で家族で聴いた大好きだったJ-POPやロック。その車はもうない。兄と夢中になってスピッツを聴いたあのコンポも。いつもラジオが流れていたデッキも、家族で面白い番組をかじりたついて見てたあのTVも、みんなで囲んだテーブルも、母に買ってもらった青いアコースティックギターも、その時には、全て無くなっていた。

兄は、団地を出て一人暮らしを始め、やがて結婚し、子供ができた。母はカセットテープの彼と再婚し、すべてを引き払い、苗字も変わり、引っ越した。

あの、Mr.Childrenの『深海』を聴いていた、夕焼けが差し込む団地の西向きのわたしの部屋も、おせんべいの缶カンに入ってた、スピッツの『ハチミツ』のカセットテープ達も、もう無くなってしまったのだ。

どこにも…無い。

わたしは、世界でひとりぼっちになった気がしていた。

家族も、仕事も、音楽も、帰る場所も、全て無くなったと想い込んでいた。

ワタシハコノヨデヒトリボッチナンダ…

その頃、真剣に一人暮らしの自宅のマンションから、飛び降りることを毎日考えていた。でも、部屋の遺品は誰が整理して、遺影はどれにしよう?と考え出したら嫌になり、またベッドに潜る。時折、冷静にひとりの無機質な音のない部屋で、何も食べず、只々一日が過ぎるのをやり過ごし、真っ暗闇の中で見えない答えを探していた。死ぬ時って大体、人は突発的に死ぬのだ。電気を取り外した真っ白い天井を見上げながら、わたしはあれこれ余計なことを考えてしまった。結局…死ぬことは出来なかった。
 

そんな時、わたしはこの曲に出逢った。
エレファントカシマシの「俺たちの明日」だ。
わたしは、本当に何度この曲に救われただろうか。
 

“さあ がんばろうぜ!
負けるなよ そうさ オマエの輝きはいつだってオレの宝物
でっかく生きようぜ!
オマエは今日もどこかで不器用に
この日々ときっと戦ってることだろう”
(エレファントカシマシ / 俺たちの明日)
 

エレファントカシマシとの”再会”は、わたしに音楽を取り戻してくれた。そして「さぁ がんばろうぜ!」なんて言われるもんだから、何だかわたしは、もう一度”生まれ変わろう”と想えた。

否応無しに背中を押され、わたしは驚くほど回復した。人生の目的を見失っていたわたしが、もう一度人前で「唄ってみたい」とまで想えるようになった。

世界でひとりぼっちだと想っていたわたし。きっと、純粋に素直に、誰かに一緒に「がんばろうぜ!」と言って欲しかったのではないかと想う。この曲を聴いて”ひとりじゃないんだ”と、本当に想えたのだ。

わたしの中で小学生の頃に見た、エレファントカシマシが「面白い人」から、「スーパヒーロー」に変わってしまった。良い方に変わったのだから、これで良かったのだ。

其れから足繁く、一番コンサートに足を運んだのはエレファントカシマシだった。今が一番輝いているエレファントカシマシを生で見るのが、わたしにとってひとつの人生の楽しみとなった。

コンサートを見終わる度に、わたしも誰かの”背中を押す係”として、再度、”明日へ強く立ち向かおう”と心に誓った。自分の心の浮き沈みや、他人の心理が知りたくて、心理学の学校にも通った。そして、資格を取り、仕事も出来るようになった。

再婚して、ギクシャクしていた母親。団地に住んでいた頃、私は母の泣く姿を沢山見てきた。母子家庭だったから、わたしはてっきり母が「不幸な人」だと想い込んでいた。

でも、わたしは病気をキッカケに、沢山自分の気持ちを、泣きながら話して、そして、泣きながら話す母の話を聴いた。

母は団地での生活を振り返り、
「幸せだったよ、二人が成長してくれるのが楽しくて、あっという間に毎日が過ぎて行ったよ」
と言ってくれた。

意外だった。

だけど、その時初めて、無くなったと想っていたあの団地での日々が、掛け替えのない大切な日々だったことに気がついた。 家族で聴いた沢山の音楽が、またキラキラ輝きだした。あれは、”大事な想い出”として取っておいていいんだと、初めて想えた。

そして、わたしは今、何だかんだ言って、とても幸せだということに気づいた。

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2018年1月。
そんなわたしの元に、とんでもない朗報が飛び込んだ。

エレファントカシマシ × スピッツ × Mr.Children
2018年3月18日。
「30th ANNIVERSARY TOUR “THE FIGHTING MAN” SPECIAL ド・ド・ドーンと集結!!〜夢の競演〜」決定‼︎

これは…夢か?夢なのか?

わたしは、ひとり部屋で号泣した。

奇しくもその日は、何年か前、
わたしが倒れた、わたしの誕生日だった。

わたしは早速、母と兄に連絡した。 母も兄も「凄いね!三組ともよく聴いていたもんね!」と、口を揃えて言った。「これは絶対行きたいね!」と。母の中にも、兄の中にも、もちろん、わたしの中にも、昔団地で聴いていた心揺さぶる音楽がちゃんと残っていた。家はなくなっても、別々に住んでいても、音楽はちゃんと残っていたんだ。

小学生の頃のわたしは、時空を越えた先に、三組が点と線で繋がる日が来るとは想ってもいなかっただろう。

そして、三組が点と線で繋がった”夢の競演”に参戦するのは、同じように、時空を超えて集結する同志たちなんだと想うと感慨深かった。

何という奇跡だろうか。

わたしは”全てを失った”と想った
あの日の私に言ってやりたい。
 

“音楽で繋がれる、音楽に救われる未来が必ずある”と。
 

わたしは久しぶりにMr.Childrenと、スピッツを聴いて、”大切な想い出”が蘇った。そして、大好きなエレファントカシマシ。三組に寄せてこの記事を書くことにした。

来たる、3月18日。
さいたまスーパーアリーナ。
日本音楽界のアベンジャーズ達は集結した。

時に離れても、再び出逢った彼らのバンドサウンドは、小学生の頃より、いっそう優しく、強く、わたしの胸に響いた。

スピッツの草野さんは、エレファントカシマシを28年聴いて来られ、その上で”浮雲男”をカバーされた。エレファントカシマシの曲なのに、完全にスピッツの色だった。

Mr.Children。櫻井さんはエレファントカシマシ大好きでよく聴いてたと。”太陽ギラギラ”のカバーをされ、これまた完全にMr.Childrenの色に。

そんな中、エレファントカシマシの宮本さんは、両曲を聴いて号泣したとのこと。そして昨日、三時間半も唄ったとは想えない熱演っぷり。そして、ぶっ飛んでカッコいい新曲『Easy go』も披露。
 

「スピッツ、Mr.Children、エレファントカシマシ。三組とも全く違う色で、それぞれ素晴らしい。だけど、共通して言えるのは、三組とも”良い音楽を届けたい”という気持ちです。」

と、宮本さん。正にその通り!!一生に一度あるかないかという夢の空間…瞬間…。

こんな、とんでもないライヴをド・ド・ドーンと企画してくださった方々。そして、こんなに素晴らしい瞬間を作って下さったスピッツ、Mr.Children、エレファントカシマシに、本当に、本当に、感謝したい。
 

わたしはこの”夢の競演”を見終わった後、

「ありがとうわたし、今日まで生きてきてよかったね。 おめでとう」

そう、小さく呟いた。
 
 
 
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改めて、三組のバンドに本当に感謝です。

三組競演の『ファイティングマン』最高でした!!

わたしに”大切な想い出”を残してくれて、そして新たに”最高の音楽のプレゼント”をして頂き、本当に有難う御座いました。何気ない、些細な日々に、いつも、いつも貴方々の音楽がありました。

これからも、貴方々の音楽と共に。

そして、わたしも音楽、楽しみます!

そう遠くない未来で、また”夢の競演”が見れる日を夢見ながら…
 

“素晴らしい思い感じたなら
素敵な明日を垣間見たなら
光射す丘の上で その時は落ち合おう”
(FLYER / エレファントカシマシ)

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