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ガリレオは爽やかポップな高校生バンドじゃないよ

尾崎雄貴のつむぐ内向的なストーリー

タイトルのとおり、「Galileo Galileiは爽やかポップな高校生バンドじゃないよ」ということを言いたいがために、好きなところについてたんたんと綴っていく自己満足のエッセイです。

なんでこれを書こうと思ったかと言うと、あまりにも世間のイメージがデビュー当初の高校生のまんまで、実際のガリレオの成長についていっていないことがファンとしては悔しいからです。
 

他のバンドの好みがことごとく一致している友人たちですら、ガリレオはきちんと聴いたことが無いと言うので、理由を尋ねてみると自分が好きそうな感じのイメージが無いから興味が無い、といいます。もったいない!
 

もうメンバーはとっくに大人なのに、いまだにデビュー当初のイメージを持っている人が多い気がするし、ガリレオの曲を知れば、好きになるまではいかないにしても興味を持ってくれる人がいるだろうなあ、そのきっかけになれば良いなあなんて思っています。
 
 
 
 

ガリレオ・ガリレイは、一昨年終了してしまいました。
 
 

自分が生まれる前から活動しているバンドの曲のほうがよく聴いている私にとっては、デビュー当初の姿から見て、リアルタイムで応援してこられた、唯一のバンドでした。
 

そしてまた、「好きになった頃にはすでに解散した後だった」という経験が多い私にとって、現行の大好きなバンドが終わってしまうところに立ち会うのもまた初めての経験でした。
 

初代閃光ライオットや、その直後のメディア露出などで初めて彼らの音楽に触れたとき、「やっと若いバンドで惚れ込める人たちに出会えた!将来が楽しみ!」とトキメキを覚え、嬉しくて大興奮していたのは、まるで昨日のことのようです。

自分がもし有名人で発言の影響力がすごくある人なら、イメージに埋もれてしまったガリレオの魅力を毎日発信していると思うけれど、
でも私はべつに有名人じゃないし、とりあえずこうして文章を書いてすっきりします。
 
 

ガリレオの曲の中で、CMやアニメのタイアップがあって有名なものは、
いわゆる青春っぽいというか、若さあふれる爽やかな歌詞と曲調のものが多いから、
世間のイメージもそういう感じらしいです。
 
 

「ガリレオ」と言うと、「あー、爽やかでポップなかんじね」という反応が多いです。

そういうとき、説明が長くなると引かれてしまうので、言葉を濁すのだけど、内心じれったく感じます。 確かに爽やかな曲も多いのだけれど。
 
 

私が彼ら自身の人柄や音楽に惹かれているのは、 そんな「爽やかさ」とは対極に位置すると言ってもいいかもしれない、「暗さ」ゆえです。
 

Sea and the Darkness II (Totally Black)という曲では、「僕のそばにいる限り みえる Darkeness…」とまで言ってしまっているほど。
 

自分と同じ暗さを持っているから、こんなに好きになったのです。
彼らの曲は、陰鬱で不健康な日陰の音楽。
ただ爽やかでポップな面しかなかったら、ひねくれた私はこのバンドを絶対こんなに好きになっていません。
 

というわけで、メロディーもサウンドも魅力的だけど、
歌詞に焦点をあてて語らせてもらいます。
 
 
 
 
 

ガリレオの曲に出てくる「きみ」は、だいたいいつも寂しいのです。
 

そしてそれをすぐそばで見守っている「ぼく」もまた、彼女と同じような感受性を持っていて、孤独や不安や恐怖、絶望、怒り、悲しみ、虚無感、疑問、葛藤みたいな負の感情を、抱えきれないほどいだいています。
 

ガリレオの曲をきいていて、恋人同士を思わせる描写があるとき、私はいっつも想像するのです。
 
 

普段は口数が少なくおとなしい彼女が、
心を許しているぼくと2人きりの時だけはきっと、とってもおしゃべりになるんだろうな、と。
 

たとえば、たいていな人にとっては興味もないような話でも、彼女の心にひっかかったことなら、僕にとっては全部大事だし、なんだっていいから僕と共有してほしいと彼は思っているんだろうな、と。
 

そして、そんなふうに僕が思っていることを、彼女も分かっているから、安心して話すことができる。
 

だから2人は強い絆で結ばれ、心の深いところで寄り添いながら生きていくのかな。
 

世の中にはいろいろな「カップル」がいるけど、
もちろんガリレオの曲に出てくる2人は、
勢いや周囲に流されてくっついたり離れたりを繰り返したり、ちょっとやそっとで飽きてしまったりするような、そんな浅い関係性じゃありません。
 
 

2人は、秘密を共有しているような関係といっても、いいかもしれません。
 

そして、そんな「2人だけの秘密の精神世界」みたいなものが特に色濃く出ている作品が、最後のオリジナルアルバム「Sea and The Darkness」。
 

とても人に読んでもらえるような文章ではないけれど。このアルバムを中心に、何曲か語らせてください。
 
 
 

まず「日曜」。2分にも満たないとても短い曲です。
 
 

_________________

君は少し生真面目すぎて いくつかの夜眠れない
肩の荷を下ろして寄りかかれよ
これからはそうしなよ

日曜のソファー ドラマに向けて僕は言った
「もっと上手くやれるだろ」

それから
君が話す大事なこと

_________________
 

彼らの曲の中ではかなり意味が分かりやすいほうの歌詞です。
 
 

とある日曜日の、何気ないひととき。
僕は、愛するひととソファで寄り添っている。
 
 

彼女は、「生真面目すぎていくつかの夜眠れない」。

きっと人一倍感受性が強くて、ほとんどの人たちがすぐ忘れ去ってしまうようなことや、いちいち立ち止まって考えないようなことが、いつまでも気になって仕方がなくて。
 

毎晩眠りにつこうとするとき、ふとんの中で何時間でも悩んでしまうのかな。

それで一睡もできないまま朝を迎えていたりするのかも。
 
 

なんとなくつけているテレビドラマ。

主人公はすごく不器用で世渡り下手な奴。黙ってみていられず、思わず口を挟んだのは僕。
「もっと上手くやれるだろ」―――それはドラマの中の彼に向けて発したものではあったけど、
そばにいる君のために言った言葉でもあるのだ。
そして、君によく似た自分自身に対しても。
君もそれに気づいているだろう。

「もっと上手くやれるだろ」―――僕に対しては気を張らなくて良いから、遠慮なく頼ってよ、君は優しすぎるから苦労してしまうんだよね、もうちょっと生きやすく生きてみてよ、そんな愛情が含まれたひとことのように、わたしには聞こえます。
 
 

次に紹介したいのは、「燃える森と氷河」です。

歌詞を一部抜粋します。

_________________
はじまりはこんな冬の くそ寒い一日で

振りだしに戻るつもりで
すべてを投げだすつもりで
凍てついた池のそばで びしょぬれのシャツの端を
石にくくりつけてたら 君が僕をみつけて
みつけて笑ってた ほんとに綺麗だった
あぁそうだ あの日は この世の終わりみたいな空で
みつけて笑ってた ほんとに綺麗だった
あぁそうだ あの日は この世の終わりみたいな空で
_________________
 
 
 
 

この歌詞を読んだだけでも、その情景がカラーで頭に浮かんでくるほど想像力をかきたてられます。
どういうシチュエーションなのかなあ。
 
 

凍りつきそうな寒い日、池のそばで、シャツを石にくくりつける?・・・もう意味が分からない。

とりあえず言葉通りに理解するならば、「振り出しに戻るつもりで」「すべてを投げ出すつもりで」、そうしているらしいから、なんか色々な苦労があったのち、この場所で1人、新たな人生を始めようとしているみたいです。
 

でもそれは、「人生の門出」みたいな、晴れ晴れしく堂々としたものではなさそうです。
 

なぜなら状況が明らかに異様だから。

どこかから、誰かから、逃げてきてようやくここにたどり着いたのかもしれません。
シャツがびしょぬれになっているくらいだから、汗かもしれないし、もしかしたら、雨の日も歩き続けてここまで逃げてたのか、川を渡ったりしたのかもしれない。それでやっと落ち着いて、ひとやすみしようとしている。

そこへ、突然人影が見えたもんだから、おどろきます。
自分以外に人がいるはずのない場所に人がいる、やばい、誰かいる、見られた、と焦る。

でもそんな思いは次の瞬間一気に吹き飛んでしまったのでしょう。
 

一目惚れ・・・というのとはたぶん、ちょっと違うと私は思う。

こちらを見て笑っている彼女がとても綺麗で、彼は見とれてしまいました。
 

人がいるはずのない場所に1人の男がいて、脱いだシャツを石にくくりつけて乾かしている(?)、、、そんな状況に出くわしたらだいたい、怪しい奴がいるから関わらないほうがいいと思うのが普通でしょう。
怪訝な顔をして、見なかったことにして立ち去るでしょう。
でも彼女は、無様で無防備な姿で気を抜いていた僕を見つけて、笑ってくれた。
それだけで恋に落ちてしまう。その気持ち、とても分かる気がします。

この後の部分では「睡蓮の池のそばで 膝をおり水を飲んで 何羽かの兎を食べ 何人か子供をつくる」という描写が出てくるので、僕を見つけてくれたきみとは後に結ばれ、誰もいない、2人の心を乱すものが何もない自然の中で2人きり、自給自足に近い生活を送っているのでしょうか。
 

「シンプルに 好きな人と生きていくために って歌」と尾崎雄貴さんは後に説明しています。
好きな人と生きていくためには、多くのものを捨て去ったり犠牲にしたりしないといけないんだけど、それすらも良いと思えるほど相手をかけがえのない存在だとする思いを、私はこの曲から感じました。

実際にこの歌詞と全く同じことをしたいかと言うと・・・それは正直難しい(笑)
 

でも、2人の出会いの感じとか、俗世間を捨て去ってでもひっそりと寄り添っていく姿に私は憧れてしまいます。
 
 
 
 
 

次は、「鳥と鳥」。
これも同じアルバムに収録されています。

気になるこのタイトルだけど、説明すると、
「鳥籠の中にしかいられない鳥と、その鳥がいつも眺めている、大きな空を自由に羽ばたくことのできる鳥」のことを指しているようです。
どちらかというと「鳥籠の中の鳥」側である私は当然、その姿に自らを重ね合わせ、何度も感傷に浸りました。
歌詞を紹介します。
_________________
 
 

輝きに満ちた夏の歌を 叫びながら馬鹿をやっている
そんな君を窓から見ていた
身体を呪いながら
_________________
 
 
 

曲の冒頭部分、このような歌詞があるので、たぶん、、
「鳥」というのはあくまで比喩であってこの曲のストーリーの主人公は、病床にいる少年だと私は思っています。
 

本当はやりたいことがたくさんあるけれど、病室の窓から外を見下ろしていることしかできず、もどかしい気持ちや寂しさを抱えているのです。

そんな彼の窓の外ではいつも、自分と同い年くらいの少年グループたちが色々な遊びをしています。
時にはちょっと危険をおかしてやんちゃをします。楽しそう。僕も仲間に加わりたいなあ・・・。

内心うらやましく思いながらも皮肉を言います。

_________________

「そう いつだって 大人たちが不安がっても 知りもしないで」
そう呟いて窓を閉じた
秘密なら僕も持ってたよ 毎晩 夢のなかで君になっていた
_________________
 

「僕も」と言っているのは、この前の部分の歌詞に、
少年グループたちが遊びの本拠地としていたであろう「あの頃そんな少年達のあいだで流行っていたシネマの裏にある秘密の場所では」という描写があるのを受けての「も」です。

子どもたちは遊ぶときに「秘密基地」のようなものを作りがち。
 
 

仲間もいなければ、当然秘密基地なんて持っていない「僕」が持っている秘密といったら、
「こうなりたい」という夢や妄想と、「でも、この縛られてる状況から抜け出せない」というジレンマ、苛立ちだけなのかもしれない。
 

普段は気丈にふるまっていても、やっぱり、夢にうなされるくらい、窓の外のきみになりたいんだ。
 

この曲の後半部分にさしかかると、
ひょんな出来事から憧れの少年である「きみ」と
「少年同士らしいはやさで 笑いあって友達に」なります。

たったそれだけのことなんだけど、そのことが嬉しくて嬉しくて仕方ないという気持ちは私も痛いほど分かります。

誰かに憧れたり、この人みたいになりたいと思うことは、ある種恋愛感情にも似てい

て、少し話しができただけでもドキドキしたり夜寝る前に思い出して感慨にふけったりしてしまう。
 

でも、その喜びも一瞬で過ぎ去ってしまうのです。
_________________

もういつだって君とおなじ  そう思ってた
でもそうじゃなくて
あの日だけ それっきりだった
鳥かごを覗いた鳥と眼があっただけだ
_________________
 

この曲について、尾崎雄貴さんは後に自身のツイッタ―でこう綴っていました。

「これは僕が とある才能あふれる人に会った時のことを歌にしてる
確かに目があったんだけど 別の世界に住んでた 交わることはない そんな感じ
あの感覚は自分の人生にずっと影を落とすとおもう」

この曲の最後に、「永遠の夢 永遠の影」というワードがあって、
なんのことなんだろうなと思っていたけど、まさにその憧れの人、「とある才能あふれる人」のことを体現しているのだなと、腑に落ちた。

私は正直、このツイートを読むまでは、「病室の少年の人生と、彼が憧れる、元気で健康な少年の人生との一瞬の交錯」ということ以上の意味まで気づいていなかったから、これほどまでの思いが込められていたのかと、自分の解釈の浅さをちょっと恥じました。
 
 
 

と同時に、これと全く同じ経験を自分もしたこと、自身の挫折経験を思い出しました。

ある時、私にも憧れの子がいました。
私とよく似ている部分と私には無いものをどっちも持つ女の子で、(実際その子は魅力的だけど)その時の私には一層美しく魅力的に映っていたのでしょう。

「この子になってみたい」と、気が付けば目で追っていることもありました。
 

彼女と私とはたまたま、同じある夢を持っていました。
その当時、私のほうがその「夢」に遥かに近いところにいて、その夢に届くのは確実だと誰もが言い、誰もその失敗を予想しなかった、そんな状況にありました。
そしてまた彼女のほうも、決して不可能ではない位置にいた。
彼女は、私のことを「同じ目標を持っている人」であると気付き始めると、なんとなくライバル視するようなそぶりを見せることがあって、それは私をひどく悲しくさせました。
けれど、「彼女と一緒に夢をつかめたら、毎日いっしょだし、ライバルでもなくなる。その時は、彼女にとって一番の親友になれるかな」なんて思って、彼女と過ごす日々を想像する時さえありました。

きっと彼女にとってのわたしは単なるライバルだったと思うけれど、

その子が私に話しかけてくれたら、それがたとえ挨拶だけだったとしても、私のために声をかけたんだと思うだけで嬉しかったし、仲良くなれたような気がして、心が躍るのです。
 

それから本当に色々ありました。
 

そしてそれは、人生最初で、最大の挫折経験となりました。

結局わたしは彼女といっしょの夢をかなえられなかったし、憧れには届きませんでした。
 
 

普段は忘れたふりをしているけど、いまだに引きずっています。
忙しく日々を過ごしていると思い出さずに済んで楽だけれど、寝る前とかふとした瞬間に思い出して、
心の底にはまだ残っているんだなあと気づかされるのです。

あの出来事は私の人生に「永遠の影」を落とすのでしょう。
 
 
 
 

つぎに紹介したい曲は、「親愛なるきみへ」。
 
 

サビで叫ばれるこのフレーズが印象的です。
「きっと今 ぼくはおかしいんだろう
そのおかしさを君は 信じてくれるかな」
 
 

ちょっと狂気じみたこのフレーズが私はとても好きです。
いつもしっかりなんてしていられない、かっこよくもない、まともなんかじゃない。
汚い部分だってある。
そんな自分を受け入れてくれる存在をずっと探し求めている。

最愛の恋人なのか、それとも親友なのか、この部分だけじゃ相手が誰なのかは分からないけれど、
たぶんその人をとても信頼していて、
だからこそ自分の感情的な部分とか、綺麗じゃない部分も見てほしい、受け入れてほしい、わかってほしいと願っているのだと思います。
ほかの人ならダメでもその人なら分かってくれるだろう、と。
もしその願いがかなわなかったら、裏切られたも同然の失望や絶望を感じることになってしまうのです。
それほどの強い思いです。

そしてまた、歌詞の中で、こうも言っている。

_________________
くそくだらない僕の桃源郷
君に笑ってほしかった
そんな風に自嘲気味になって
ぎりぎりで留まって・・・

いや君に分かってほしかったんだ
ほんとは頷いてほしくって

不確かな場所で揺れている
孤独のボートに酔っていた
_________________

桃源郷=理想郷、憧れや将来の夢のこと。
それをあきらめきれなくて苦しんでいる僕は、
「親愛なるきみ」に、いっそ笑い飛ばしてほしいとも思う。
信頼をおいている愛する人から笑われて、ばかにされたら、「そうだよな、ばかだよな。やめてしまおう」って、あきらめがつくかもしれないから・・・。

でも本音は違っていて、夢を見ることに抗えない。
本当は真剣に聞いてほしいし、
ばかげた夢なんかじゃないよと言ってほしい。いや、ばかげた夢だけどそれを見ても良いよと、許しがほしいのかもしれない。
僕が頼れるのは君しかいないし、力になってほしいし、いっしょに戦ってほしい、支えになってほしいという切実な思いが伝わってきます。

「不確かな場所で揺れている孤独なボートに酔っている」というワンフレーズもとても好きです。
自分のことだと思いました。
地上じゃなくて、川や海に浮かんでいるボートにたとえているのが良い。
川や海だと荒波にもまれてまっすぐ立っていられないし、うまく進めないし、、孤独感がさらにます。
この「酔っている」って、どういう意味なんだろう?
ただしんどいだけの気持ち悪い酔いなのか、ぼんやりと心地よい酔いなのか、自分に酔いしれる、なんていう時の酔いなのか……。

つぎが最後の曲です。「山賊と渡り鳥のうた」

こんな歌詞です。
―――――――――――――――――――――――――
雨が降っているのに 傘もささずに
街を飛びだしただろ きっと泣いてたから
君を追ってきた その孤独を
ぜんぶ奪ってやるよ 凍えそうな世界を 独り占めにするなよ
またあいつになにかされたの?
びしょぬれになれば 涙にも気付かない
白い息を吐いて 居場所を教えてよ
灰色のスーツが僕らを追ってくるよ
逃げよう いつだって
そうやって生きてきただろう
街外れの墓場に さしかかったところで
君はやっと口きいた 声はかすれていた
“どこかへいきたかった 渡り鳥みたいにね”
“何にもなれないまま ずっと縛られてた”
それなら 逃げよう
どこまでもついていくから
びしょぬれになれば
すべては洗い流され
寄り添い眠ろう
暖めあう毎日
――――――――――――――――――――――――――――――
この曲について私の思うことといったら、
「理想の恋愛」そのものです。

さっき書いていた、
「燃える森と氷河」もわたしにとって理想の恋愛なのですが、
女目線でいってしまえばこっちの曲の方が幸福度が高めかも、なんて思ったりします。
 

「君を追ってきたその孤独をぜんぶ奪ってやるよ 凍えそうな世界を 独り占めにするなよ」なんて、

いっつも寂しさを抱えてるわたしは、言われていちばん嬉しい言葉かもしれない。
 
 

寂しいのは、周りに人がいないからじゃなくて、自分を分かってくれる人がいないからなのです。

いっつも無理して笑ってたこともこの人には隠せない、隠す必要もない、そんな人。
 
 

「逃げよう どこまでもついていくから」と言ってくれる人となら、2人だけでどこまででも行けそう。

またあいつになにかされたの?という言葉もとても良い。

べつになにか大きな事件があったとかいうのではなくて。
傷つきやすい人間にとっては「普通の人たち」の「普通の発言や言動」が凶暴で怖かったりするから。
なにもなくても疲れてしまう。逃げ隠れたくもなるのだ。

逃げる2人を追ってくる、
灰色のスーツって、誰なんだろう?
そっとしておいてほしい繊細な2人に干渉し、虐げてくる、そういう「普通の明るい人たち」のことかもしれませんね。
 
 
 
 
 

好きな曲のことを話すのはとっても楽しいけれど、同時に、わかってもらえないだろうなあと苦しくもなったりするので、
 
 

とりあえずここらへんで終わりにしようと思います。
 
 
 

じつは、こうして今これを書いているときに、元ガリレオのメンバーたちで再結成された新バンドの発表がありました。

生きてて良かった!!!!
 
 
 

全然まとまりないけど、いいですよね・・・・以上です。
 

こんな読みづらい文章をここまで読んでくれた方はもう前からのガリレオファンか、そうでなければすっかりガリレオを聴いてみようかなという気持ちになってるかな。

そういう人が1人でもいれば嬉しいなーと思いつつ、終わりにします。

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