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2017年4月5日

マーガレット安井 (32歳)

「春と修羅」と「不協和音」

欅坂46シングル曲で考える“君”と“僕”の物語

四月の気層のひかりの底を
唾つばきし はぎしりゆききする
おれはひとりの修羅なのだ
(宮沢賢治「春と修羅」より抜粋)

欅坂46の4thシングルである「不協和音」を初めて聴いたときに思い出したのは宮沢賢治の『心象スケッチ 春と修羅』の中に所収されている「春と修羅」という詩であった。前作「二人セゾン」と違い、冒頭からアグレッシブなシンセサウンドが展開するこの楽曲で彼女達は理不尽な大人に対してNOを突き付けて、さらには不条理な世界へと足を踏み入れる仲間に対して《君はYesと言うのか/軍門に下るのか》《ここで主張を曲げたら生きてる価値ない》と問いかけ《欺きたいなら僕を抹殺してから行け!》とまで言い放つ。本作を聴いて、1stシングルである「サイレントマジョリティー」へ回帰したという見方もできるが、私はそうでないと言いたい。欅坂46はあの頃よりも深く傷つき、怒りというものに満ちている。そう、まるで修羅のように。

乃木坂46の新プロジェクトとして2016年の4月に1stシングル「サイレントマジョリティー」でデビューし、本作で女性アーティストのデビューシングル初週推定売上記録を塗り替え、さらにはその年のNHK紅白歌合戦に出場。もはや音楽界を代表するアーティストの1組になった欅坂46であるが、彼女達には乃木坂46のような清楚で可憐というイメージはない。楽曲の中では笑顔を見せずクールな美しさを前面に出し、さらに身形に関しても軍服をイメージしたような衣装をまとい、その姿は何かに立ち向かう戦士のようにも見える。そして実際、欅坂46は楽曲の中で常に戦いを挑み続けている。大人というもの対して。

1stシングル「サイレントマジョリティー」で彼女達は《人が溢れた交差点を/どこへ行く/似たような服を着て/似たような表情で》と、意志を持たず、ただ淡々と日々を送る人間を歌い、そんな僕らに《君は君らしく生きて行く自由があるんだ》と諭していく。本作で歌われる世界で若者達は自分が本当にやりたかった事を叶えられないまま大人に制圧されている。そんな、世界に救世主として現れた欅坂46が大人の抑圧に苦しむマジョリティーたちを解放へと導く、というのが本作で歌われている事だった。そして本作で歌われる“抑圧の解放”というテーマは続く2ndシングルでも引き継がれる。

オープニングから彼女達のポエトリーリーディングが印象的な2ndシングル「世界には愛しかない」の中でも《最後に大人に逆らったのはいつだろう?/あきらめること強要されたあの日だったか》と大人に抑圧されていた日々の事が描かれる。しかし本作ではその抑圧の日々がまるで過去の出来事であったかのように歌われる。この作品で主題として描かれている事は“君に出会えたことで抑圧から解放された僕の喜び”であり、それをコンパクトに言い換えるならば“人を愛する事の美しさ”とも言える。人を愛すると、世界は君と僕の二人だけの為にあるように思えるし《アスファルトの上で雨が口答えしてる》思っていた世界も《僕らの上空に虹が架かった》ように変革する。愛さえあれば世界は変わる。そんなポジティブなメッセージを本作は私たちに投げかけるのだが、3rdシングルではこの“君との出会い”だけでなく“人を愛することの代償”という面でも描かれる。

移りゆく季節の期待と儚さを描いた3rdシングル「二人セゾン」は過去のシングル2作と明らかに違う。本作では今まで抑圧されてきた大人が全く描かれず、君と僕だけの世界の話に終始している。それは恋をしている時に大人のような人間は見えないという事の表れであり、前作「世界には愛しかない」でもテーマであった“人を愛する事の美しさ”を焦点を絞った形で提示した結論だとも言える。しかし《自分の半径1m/見えないバリア張った別世界/そんな僕を/連れ出してくれたんだ》と“人を愛する事の美しさ”を本作では歌いながらも、どこか悲しげで喪失感が漂う。それは季節の移ろいに合わせる形で《春夏秋冬 生まれ変われると/別れ際 君に教えられた》と“人を愛する事で負う儚さ”つまり“別れ”についても歌われるのだ。別れた理由に関しては明示はされない。しかし本作で四季という名の永遠は一瞬の光が重なり出来るもので、どれ一つ欠けても完成しないと歌われる。そう永遠を手に入れるのは奇跡に近いことなのだ。

このようにシングル3作を通して聴くと地続きになった1つの物語のようにも読めてくるのだが、欅坂46の楽曲に関して秋元康はこのように語っていた。

10代半ばの世代というのは、自分たちの価値観について迷うわけです。(中略)もしかしたらその世代の「迷いや戸惑い、思い込み」といったものが僕の頭の中にあって、それが詞として出てくるのかもしれないですね。大人からするとなんでもないことでも、感受性豊かな世代には「アスファルトの上で雨が口答えしてる」ように聞こえちゃうわけだから。そういう意味では、欅坂46では自問自答や、彼女たちの迷いそのものを描きたかったんだなと思います。(日経エンタテインメント! 2016年10月号より)

つまり欅坂46の楽曲はメンバー自身の年頃の人間を楽曲へ投影しており、そのように考えると今までのシングル作品は思春期を迎えた人間の成長というのを1つの物語として描いているように感じる。そのように考えればシングル曲が一つの地続きな物語であることも合点がいくし、「二人セゾン」で別れを歌った彼女達が次作である「不協和音」で怒りにも似た強い主張を歌ったのか、そして私という人間が何故に本作を聴いて宮沢賢治の「春と修羅」を思い出したのか、説明がつきそうだ。

宮沢賢治は日本を代表する作家でありながら、過剰な自意識に苦しめられた人間であったとされている。例えば自らが生きるという事が他者を殺すという罪悪感に苦しみ、菜食主義を始めたり、また他者からの愛を受け入れられず親からの縁談を断り続け生涯独身ままこの世を去った人間であった。そんな賢治の最大の理解者であり、最も愛した女性こそ妹のトシである。子供のころから仲がよく何でも相談する間柄で、トシが病気にかかった事を知ると、東京での生活を捨てて実家へ戻り、看病をしながら郷里で生活したという話があるくらい彼は妹を愛していた。しかし霙交じりの雪が降る冬のある日、トシは24歳の若さで亡くなった。深い悲しみに打ちひしがれる賢治。しかし何もなかったかのように春はやってくる。雪は溶け、木々も芽吹き、新緑の葉が茂る。そんな春の日差しの中を歯ぎしりをして、唾を吐きながら彼は歩く。妹が亡くなった事への喪失感とやるせなさ、そして新しい生命が鼓動しようとする春を恨みながら。その気持ちを詩にした作品こそ「春と修羅」であったのだ。

これを欅坂46に置き換えると、シングルに出てくる“僕”は宮沢賢治に近い。僕と言う存在は他者を受け入れられず半径1mの見えないバリアを張って殻に閉じ籠り生活をしていた。そして、殻に閉じこむ主人公を連れ出してくれるトシのような存在、それが“君”である。2人でいる間は愛する事が素晴らしいと思えていたし、何よりも尊くて楽しかった日々の連続であっただろう。しかし、そんな時間も永遠には続かない。愛する喜びを実感している最中、君は去ってしまう。深い悲しみと喪失感。しかし、4月へ入り季節は君に出会った春になる。愛こそ全てだと思っていたアイデンティティーは脆くも崩れ去り、行き場のない怒りが込み上げる。その感情を抱きながら、欅坂46はささくれ立つシンセサウンドに合わせて、大人を敵対し、大人の一員になることを徹底的に拒む。そう、僕は「不協和音」で修羅になったのだ。

そしてこの修羅は今の彼女らにも当てはまる。デビューから1年。どこの街でも見かける可愛らしい少女達は有明コロシアムで2万人以上の観客を相手にワンマンライヴを行い、紅白歌合戦にも出演。今や他の追随を許さないアーティストへと進化した。そう、まさに今の欅坂46は修羅なのだ。「不協和音」を歌う今、彼女達の目前に敵はいない。

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