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小沢健二からみるCDジャケットの世界

「アルペジオ(きっと魔法のトンネルの先)」に寄せて

はじめに
ここでは、小沢健二のシングル『アルペジオ(きっと魔法のトンネルの先)』のCDジャケットに焦点を置いて書く。もちろん音楽は素晴らしいのだが、今回はあえて中身ではなくパッケージから見た感想を書きたい。お手持ちの方がいれば、それをぜひ片手に読んでくれるとより魅力が伝わるのではないかと思う。
 

2018年2月14日、小沢健二の新曲『アルペジオ(きっと魔法のトンネルの先)』が発売された。世間がバレンタインデーでにぎわう中、私はオザケンの新譜を手に入れる為CDショップへ走った。そして手にした時、びっくりした。なんだこのかたちは…?!長方形のような細さの紙ジャケットで、ギザギザとしている先端。CDではなく絵本なのではないか?と勘違いしそうな何とも奇妙なかたちなのである。予想外の見た目に私は戸惑った。現在主流の12㎝シングルCDが店頭できれいに並べられている中で、その整列を崩すような異色なジャケットがひと際目立っていた。

しかし、これまでも小沢健二は2017年の『流動体について』『フクロウの声が聞こえる』において、彼自身のデザインによる7インチサイズの紙ジャケット仕様でリリースしたことがあった。私は『流動体について』で初めて彼のCDを買ったのだが、その時は普通と大きさが違うな、面白いなと単純に思っていた。中身も非常にアーティスティックでこだわりを感じ、一般的な装丁とは違うアプローチをする方なのだとなんとなく感じていた。しかし今回「アルペジオ(きっと魔法のトンネルの先)」のジャケットを手にした時、ここまで崩してくるとは思わず驚いた。既存のCDジャケットのイメージが見事に崩れ去った瞬間でもあった。戸惑いの後、すぐにわくわくした気持ちが沸きあがってきた。こんなの見たことない、自由すぎる!と嬉しくなって、レジへ駆け込んだ。
家に帰って封を切り、ざらざらとした紙の触り心地を楽しみ、ジャケットを広げた。そこには小沢健二の世界があった。
一面はパラレルワールドのような世界観で家のセットが中心にあり、もう一面は夜の都市の街がずっと広がっている。葉っぱのようなかたちの透明なフィルムに歌詞が書かれており、さりげなくジャケットに挟まっている。神秘的で美しい。(ちなみに最初この透明フィルムが歌詞カードとは気づかず、あやうく捨てるところでした。すみません。笑) 歌詞中に“都市”“森”“魔法”と出てくるように、それらのエッセンスが散りばめられた素敵なジャケット。
 

このように、触れるたびに驚きと発見をもたらしてくれたのである。正直、今まで買ったCDの中で一番心躍る音楽体験だったかもしれない。沢山のしかけと小沢健二のこだわりがつまった芸術的な作品である。このようなアーティストの世界観に一番近く触れられるのはパッケージならではの魅力だと思う。デジタル配信が主流の中、CDパッケージの魅力はまだまだあるよと提示してくれているような気がした。
 
 

リリース後、あるラジオで小沢健二がこんなことを言っていた。
 
 

「皆まとまりすぎている、かたちとか壊していいのに」

「色々ぶち壊せるとこはぶち壊さなきゃいけないと思っていて」
 
 

私はこの発言に衝撃を受けると同時に、すとんと腑に落ちる感覚になった。
そう、彼は昨年日本に長く滞在していて、パッケージCDとして普通のデザインをしちゃいけない、もっと壊れていないとダメだ、と思ったのだという。もしCDのプラスチックケースがなかったら?という所から話は遡る。もともとあった7インチサイズのジャケットから急に今の12㎝サイズのケースに変わったことがおかしくて、と言う。
つまり論理的に世の中が進めば今も7インチサイズだったはずなのだが、そうならなかった。世の中はけっこう非合理なことばかり起きていて、CDケースはそれの最たるものである、と彼は指摘する。なるほど、『流動体について』『フクロウの声が聞こえる』が7インチサイズのジャケットだったのにはちゃんと理由があったんだ。パッケージメディアの歴史を背に、小沢健二の独自の考えがそこに込められていたなんて、とひたすら感心した。

そして普通のデザインをしちゃいけないと思った彼が次に持ってきたのは、既存のCDジャケットのイメージとは一線を画すヘンテコなかたちの『アルペジオ(きっと魔法のトンネルの先)』。びっくりするのは外見だけではない。なんとこれ、デザインに一切のCGを使っていないのだ。例えば表紙の曲名から値段、品番などの文字はアクリル板を切り抜いたもので、それをぶら下げて撮影したのだという。風で揺れる中の一瞬を撮影したらしいので、完璧な配置とは言えない微妙なズレがある。しかし小沢健二はあえてそうしたのだ。現実はそう上手くコントロールできない、一瞬しかないものを切り取りたい、という思いがかたちになったものだ。このデザインのみならず、総合的に“今”を切り取ったジャケットとなっているのが魅力だ。今はフォントを簡単にパソコンできれいに整列でき、コントロールが可能であるが、それは何だか気持ちが悪い、めちゃくちゃにしてやりたい、と彼がラジオで言っていた。私もそれに共感する部分がある。何でもかんでも人工的に美しくしようとする行為は、不自然である。だからこそこのデザインに惹かれた。

CDジャケットにそのような思いが表現されていたなんて、とラジオを聴いて驚いたが、パッケージとしてリリースすることにより、CDはメッセージを発信できる手段でもあるんだな、と新たな発見があった。というかこんなに自由でいいのだなと思った。

このように小沢健二はジャケットのかたちや中身のアートワークの細部までこだわりを見せ、「壊したい衝動」を表現している。それが世の中に出た時、最初は戸惑ったが、新鮮さを感じてすぐに好きになり、愛着が沸いた。
しかし中には「収納に困る」「扱いにくい」などという意見もネットで見受けられた。確かにCDショップの規則的なきれいな棚に収まらないのは、並べる方も首をひねったかもしれない。しかし、それだけで済ますのはあまりに勿体ないのではないだろうか。こんなに面白くてアーティストの世界観・思いがぎゅっと詰まった作品なのに、「扱いにくい」という一言で終わらせて欲しくないと私は思う。そうだ、もっとCDというものを自由に捉え、楽しむべきだ。そう感じていたからこそ、私はラジオの小沢健二の言葉を聴いて腑に落ちたのだ。もっと自由でいい。色んなかたちがあってもいい。

私はCDが売れなくなっている現代で一石を投じるような、新たなパッケージメディアの楽しみ方を開示してくれたような気がした。どんどん音楽の聴き方が変化していき音楽業界が変革期を迎えている中で、小沢健二のような既存のイメージ・当たり前を壊そうとしてくれる存在がいることは、今後音楽シーンにおいて重要なのではないか
と考える。
 

彼はラジオでこう言っていた。
 

「世代関係なく、今生きている人たちで一緒に壊していきたい」
「ちょっとずつ皆でひび割れを作っていきたい」
 

その言葉を聞いたとき、私も壊していきたいなと思った。
具体的にどうすればいいのかはわからないが、まとまりすぎているものを皆で叩いてこじ開けてみたい、という気持ちは強くある。CDジャケットのかたちはもっと自由でいいし、どんなかたちでも楽しめるようにしたい。それでCDがもっと売れる時代になったらとても嬉しい。私はパッケージが大好きなのである。それは『アルペジオ(きっと魔法のトンネルの先)』のような面白いジャケットに出会うことや、作り手側の思いを一番近くで感じられ、手に取る喜びを感じるからだ。とにかく、音楽の新たな可能性を探ってみたい。CDショップの棚にきれいに並ばなくていいから、自由で色々なかたちが出てくるといいなと思う。
 
 

最後に、なぜ小沢健二の音楽に惹かれるのだろうと考えると、二つのことが浮かんだ。

ひとつは、今回述べてきた「壊したい衝動」にみられた音楽への姿勢である。海外に長く居たからこそわかる日本の違和感や疑問を素直に投げかけ、音楽シーンの未来を切り開いてくれたような気がした。彼の「壊したい」という発言は、何も音楽に限らず大きな枠組としての意味合いもあるのだろうと思う。今の時代、彼が戻ってきてくれてよかった。

二つ目は、純粋に音楽というものを楽しめるからである。ライブでも音源でも、小沢健二から奏でられる音を聴くとわくわくする。それはなぜかというと、本人が音楽を楽しんでいるからだ。全身で音を感じ、楽しみ、ダイレクトに伝わる。そんな音楽の持つ本質的なわくわく・どきどきを彼の曲から感じ取ることができる。私はそれがとても好きだ。
 

これからも小沢健二の音楽への向き合い方に注目し、メッセージに耳を傾けていきたいと思う。そして消費者である私達もまた、一緒にひび割れを作っていくという意識で生活していきたい。

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