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寂しさがわらってる

BUMP OF CHICKENと「PATHFINDER」に

 パスファインダー、終わってしまった。ものすごくさびしい。
 バンド史上最長のツアーだったというが、たしかに振り返れば、夏の終わりにはじまって、いまはもう春だ。それでもあっという間の半年だった。

 途方もないツアーだったと思う。規模はもちろん、セットリストの組み方、映像、ステージの構成まで、今までにないものがいくつも登場した。初日の幕張公演では驚きの連続だったけれど、全29公演のツアーが完結したいま、なんだか全部が必然だったように思えてならないのだ。メンバーがMCなどで話してくれたことはもちろん、いくつかの公演を経て、自然とふかく納得できたことがたくさんあった。わたし自身の成長もあるだろうが、それ以上に、あの空間の親密さが大きな助けになってくれた。だから掛け値なしに大団円だったと思う。
 その象徴が、いま、はっきりと脳裏に焼き付いているオープニングの光景だ。
 満員の会場の、少し蒸し暑いような空気のなかに流れていたBGMが、ふいに途切れる。灯りが消える。歓声が上がる。と、真っ暗なスクリーンに、白い波があらわれる。しずかな音に合わせて窓のような光りが浮かび、明滅する。リズムがはじまり、音は増え始める。光の動きも大きくなる。音が厚みを増して、曲の形をなしてゆくにつれ、白い波は広がり、ゆらぎ、時おり文字が並んでは消え、やがてひとつの巨大な球になる。メンバーがステージ袖から一人ずつ、歓声に迎えられながら歩み出て、逆光のなか楽器を手にすると、ひときわ大きな音が順番に重なってひびいていく。最後に出てきた藤原がゆっくりとギターを持ち上げ、頭上に高く掲げた。ああ、バンプのライブだ!そして球はステージを包み込むように近づいてくる、近づいてくる――
 
 一気に解放された。音と光が、満面の紙吹雪と一緒に頭上からふりそそぐなか、はっきりと、四人の姿が見える。

 あんなにきれいな景色を知らない。ぼくらが、彼らが、今ここにいる、それだけで溢れんばかりに満たされた空間だった。あの一瞬には、そこにいるだけで、そこにいる人すべての、何もかもが完璧に許されていたと、確かにそう思う。彼らの背後に敢然と記された「PATHFINDER」の文字が、今夜が特別な夜に違いないことを示してくれていた。

〈とても素晴らしい日になるよ 選ばれなくても選んだ未来〉

 オープニングに続いて演奏された「GO」が高らかにこう歌ったように。

 11月1日の大阪城ホール公演2日目に行ったときは、地元の友達と一緒だった。彼は中3のころ、さほど仲良しではなかったわたしに、バンプのCDをたくさん貸してくれた。以来、卒業して高校も大学も別になった今でも、不定期に会って話をしている。10月9日の静岡公演と24日のZepp Nagoya公演にも一緒に行った。彼は本当にバンプが好きだ。
 その日の開演前、ブロックの柵にもたれて周りを眺めていると、彼が「見て」と別のブロックを指した。開襟シャツを着た坊主頭の男の子が、ひとりでしゃんと良い姿勢で立って開演を待っている。
「部活終わってすぐ来たんだろうね」
 授業が終わるやいなや大急ぎで会場へ向かった、高校生の自分のことを思い出した。また別のブロックの入口近くには、スーツ姿に手ぶらで立っている中年の男性もいた。みんなそれぞれの生活からここへ集まってきたのだと思うと、人で溢れかえった会場が感慨深かった。
 でもその日、本当にびっくりしたのは、そしてうれしかったのは、隣にいた彼自身の姿だった。
 私の目の前でステージを見つめていた彼は、オープニングから「GO」まで、肩を震わせてボロボロ泣いていた。
 今までバンプのライブには何度も一緒に行ったのに、そんなことは初めてだった。彼がどういう思いでいたか、理由などは、わたしにはわからない。けれどそのとき、ああこの人と一緒に来れてよかったなと、しんからそう思ったのだった。彼はきっと彼自身のいろんなものを、ずっとバンプと一緒に、耐えたり消化したり大切にしたり、してきたんだろう。
 PATHFINDER、探究者、道を発見する者。その意味が今はほんとうにわかる。

〈ここまで繋いだ足跡が 後ろから声を揃えて歌う〉

 バンプがいつでも、歌に導かれながらひとつずつ道を見つけてきたように、ぼくらも自分の道を絶えず探してきた。大きなものも小さなものも、自分ですら気づかないような些細な選択さえ、すべてぼくらが選んだ道だった。誰にもわかってもらえない価値だっていくつもあったろう。すべての人がそうやってそれぞれの道を歩いたすえに、あの「とても素晴らしい日」にたどり着いたのだ。そのことをバンプはよく知っている。ファンが瞠目するような多様なセットリストも、ここまできてふと振り返ったその道のりを、あたたかくきらめかせてくれたように思う。
 わたしはどちらかといえば、バンプの新しいほうの曲が好きだ。でも、昔の曲が好きだという人の気持ちもよくわかるし、はっと胸を突かれることもある。聴くたびに涙ぐんでしまうほど思い入れの強い曲もあれば(今回では「虹を待つ人」がそれだった)、特にそこまでは好きじゃない曲もある。きっと彼も、あの男の子も、スーツの男性も、ほかのすべてのお客さんも、多かれ少なかれ、曲とともにある記憶をもっている。自分だけが知るいろいろな思いを、ひとりひとりが曲の中に投げ込んだら、曲が何倍もおおきな響きにして投げ返してくれた。あの震える背中をわたしは忘れない。ほんとうに幸せな関係が、たしかにそこにあった。
 それは、歌い手の側である彼らにとっても、同じことだったんじゃないだろうか。

 〈あなただけを 待ってる歌がある
  あなたとだけ 掴める今がある〉

 その日の「花の名」の歌詞を、藤原はこんなふうに変えて歌った。
 彼は「pinkie」ではハンドマイクに持ち替え、客席をじっと見つめて歌っていた。増川は「アンサー」のギターリフを、少し笑ってもいるような顔で、本当に心地よさげに弾く。チャマに目を移せば、思わず見入ってしまうほど、曲に合わせてくるくると表情を変えた。サブステージに向かう三人の背中を見つめている升の景色はどんなだったか。
 彼ら自身も、きっと曲ごとにさまざまな思いを抱いているだろう。それをわたしは完全には知りえないけれど、あのときは、彼らも、彼らの音も、ただひたむきにこちらを向いていた。「あなた」ははっきりとぼくらだった。何よりも彼らは、歌があること、だから「あなた」もいること、その事実の大きさを伝えたかったのだと思う。多くの新しい試みも、あの美しいオープニングも、全部そこに帰結していたような気がする。その強さが痛いほどにわかる、あの夜だけの歌だった。

 動かしがたく自分がいること。
 わたしは、ずっとバンプに許してもらってきた。

 気が付けば、バンプを好きになってもう6年になる。毎日のように聴いていた知りたての頃に比べると、好きな音楽も増えたし、そんなに頻繁に聴くことはなくなった。
 バンプは暗い。眠れない人、がんばれない人、怖くてしょうがない人が、いつもそこにいる。ぼんやりと悲しい、さびしくて途方にくれる。ふいに立ち止まってしまった自分の足を呆然とみつめている背中が、彼らの曲にはうかんでくる。ずっと聴きつづける事のなかったのは、当然と言えば当然かもしれない。
 けれど、わたしはいまだにバンプが好きだ。
 「うれしい」「かなしい」と同じように、「バンプを聴いたときの気持ち」という名前の気持ちが、確かにわたしの中にある。開けることの少なくなった引出しだけれど、動かないでそこにある。なんにもなしで笑っていられれば、その引出しのことは忘れているんだろう。けれど時おり、ふと、どうしようもなく不安にかられる。なんだかわからないけど、難しい、なにもかも大丈夫なはずなのに全然大丈夫じゃないと感じてしまったとき、その引出しを開ける。わたしと同じように、眠れない人、がんばれない人、怖くてしょうがない人が、変わらずちゃんとそこにいる。そんな人が、暗闇にふっと小さな灯りをともすように、そのままで大丈夫だよと、言ってくれた。
 理由のわからないいくつもの思いを、受け止め、あたたかに認めて、大切にさせてくれたのは、いつも、バンプの音楽ではなかったか。

〈○×△どれかなんて 皆と比べてどうかなんて
 確かめる間も無い程 生きるのは最高だ〉―ray

 わたしはバンプが好きだ。〈生きるのは最高だ〉とほかでもなくそう歌い、また歌わせてくれたバンプが好きだ。これが、「PATHFINDER」としてのわたしの結論。だから今、わらってぼくらを見ている寂しさを、大切に引出しにしまって歩いていく。
 また会いたい。また会おうね。

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