908 件掲載中 月間賞発表 毎月10日
この数字はTwitterやFacebookでのリツイート・いいねなどの反応数を合算して算出しています。

星の軌跡

BUMP OF CHICKEN PATHFINDER TOUR 2017-2018

《君は知っていた 僕も気付いていた 終わる魔法の中にいた事》(記念撮影)
終わってしまった。
荷物が散乱した中で光の記憶の光源と目が合う。触れれば蛍のようにじんわり光る。
“PATHFINDER fin.”
終わりを受け入れられない私がちゃんと受け止められるように曇りガラスに書いてくれたのだろうかとさえ思った。アフターケアも万全かよ、と小さく笑って、その次の瞬間には涙が滲んだ。都会の小さな箱の中でうずくまった。どうしても躰が重い。時計は午前8時を回っていた。職場に休みの電話をいれた。はじめてのずる休みだった。

ずる休みの身分で歩いて5分のコンビニに向かう。店に入ってすぐの左の棚に目をやる。オレンジ色のパッケージにでかでかと「即効元気」とかいてある。即効元気にしてくれよ、と思いながら手に取った。内輪だけのライブ前の公式ドリンクゼリーだ。
レジで千円札を出した。出した後であっ、と再び涙が滲んだ。もうグッズのカプセルのために500円玉を作る必要がないと気づいた。無愛想な店員から渡された500円玉はそのまま小銭入れの中で冷えた。

どこを切りとっても7ヶ月間の魔法の記憶で私の躰は創られていた。魔法にはいつか終わりがくることをわかっていたつもりだった。魔法が解けた後の自分が白黒の日常に飲まれることは安易に想像できた。冬眠に備えるアナグマのように自分の行った公演のレポを書き残した。タイムカプセルのようにしゃべるそれを読み返すことは逆効果だった。読み返せば読み返すほど彼らがかけてくれた魔法のあたたかさが沁みて涙腺を刺激した。

ちゃんと遺品を片付けなくては亡くなった故人は成仏できないと有名な霊能者が言っていた。まるで愛しい誰かの遺品をほどくようにスーツケースの中身をほどく。愛しい誰かを亡くしたわけではないのにそんなことをぼんやり考えながら洗濯物の埋葬をはじめた。

私には洗濯物の埋葬よりも清算しなければいけないことがあった。ガランガランと洗濯物が音をたてて寂しがっているのが聞こえた。この音をBGMにパソコンに向かっている。音楽文を書くのは今回で2回目だ。1回目の音楽文がひっそり世に出回った時、自分の浅はかな言動で結果的に友達を傷つけた。大切な誰かを誤って傷つけてしまうくらいなら、それほど言葉を遣うのが下手なら、音楽文なんてもう2度と書くもんか、と思っていた。でも、私は言葉でしかこの気持ちを表現できる手段を持ち合わせていない。下手なりに紡いでみようとここに座っている。

これから話すのは7ヶ月間に渡る泡沫のような魔法の記憶である。

《動かなきゃきっと君に会えない 会いたい》(トーチ)
毎朝重いペダルを漕いだ。自分で漕いでいるのに「ついてしまった」と思った。深呼吸してから職場の扉に吸い込まれる覚悟をきめる。すでに同期が精神を病んでしまった頃だった。自分はいつ辞めようか、いやいややめていいはずないだろう、いつまで頑張れるだろうか、そんなことばかり考えていた。
死にたいなんて思っていなかった。ただ死なない程度の怪我をすれば明日仕事に行かなくてもいいんじゃないか、療養のためとかなんとかいって実家に帰る理由を作ることができるんじゃないか、そんな邪な考えをくすぶりながら横切る車達を恨めしそうに眺めていたと思う。

2017年5月1日。
すっかり重たくなった私の憂鬱を一瞬ではじけさせた出来事があった。あれはたしか午前4時だった。寝坊したかも、とあわてて開いたスマホの通知欄にチャマさんからの言葉で「リボン配信リリース、MV公開」「HPリニューアル」「公式Twitter」「公式Instagram」の単語が嬉しそうに並んでいた。そして何より「ツアーも決まりました」という言葉を捉えたとき身体全部が火傷しそうなくらいドクンと脈打った。アナログ脳をアップデートする時間がほしかった。感情が追い付かなかった。新人の分際で休めるだろうか、行きたい、会いたい、タイトルも決まらないうちに教えてくれるなんて。あぁでもチケット競争に勝てるだろうか…怒涛の情報とともに嬉しさや不安や感謝が濁流のように流れ出して気づけばほろほろ雫がこぼれ落ちていた。しばらくたってシンプルな一つの考えに至った。「いま仕事をやめるわけにはいかない。」そう思った。

会いたいという気持ちを糧にすべて頑張ることができた。その通りだけど、その通りだからこそそんな陳腐な言葉では私がどれほど糧にしていたかなんてこれっぽっちも表現できない。ツアー初日までの日数を指折り数えたり、個人的な予想のセットリストをつくったりした。行き場のない愛情をこめて彼らの絵を描いた。Googleの検索履歴は「PATHFINDER 語源」「火星探査機 歴史」「木星 火星 神様」などの検索ワードでいっぱいになった。知りたかったのだ。彼らがどんな思いでこの何も引っさげないツアーに臨もうとしてくれたのか。少しでもその思いに寄り添えるリスナーでありたかった。

ツアー初日の前日は一睡もできなかった。入場しただけで愛しさがこみあげた。藤原さんがギターを掲げたとき、とうとうはじまってしまった、と多幸感に息をのんだ。彼らのライブだけなのだ。始まった瞬間からあぁ終わらないでほしいと泣いてしまうのは。

《歩くのが下手って気付いた ぶつかってばかり傷だらけ
どこに行くべきかも曖昧 でこぼこ丸い地球の上》(GO)
コンフェッティがはじけてリスナーを包む。ライブで天井を見上げるのが好きだ。高く手を伸ばして拳を掲げて天を仰ぐ。まるでリスナー1人1人を祝福してくれているかのようなコンフェッティのシャワー。すべてがスローモーションのような景色だった。真っ青な快晴のようなメロディ。毎朝必ず聴かないと出勤することができない曲。「GO」だ。

私はもともと不器用な性格だった。上司にも「要領を得るのが下手くそ」だとはっきり言われた。視界にあるのに見ないようにしていた気持ちが長い間腰掛けていた。泳げないのに見栄を張って、足のつかないプールの中を水を飲み込みながら懸命に息継ぎする感覚で仕事に向かっていた。先輩の慌ただしい足音が遠のいて、キーボードを叩く手が一瞬止まる。耳の隅っこで羽が舞うようなメロディが聴こえた気がして、文字が滲んでぼやける。早く終わらせて帰らなきゃ、慌てて唇を強く噛む。そんなこともあった。
《そして今日僕らは出会った》
《だけど来たんだ ここまで》
《ようやく君に会いにきた》
《この日をずっと待ってたよ》
《会いたい君に会えるように》(GO/歌詞変え)
それぞれの場所で彼らもまたリスナーに会いたかったと叫んでくれているような、これらの歌詞変えを渡されるたびにようやく軛を逃れてたどり着いたんだ、と実感した。色んな色のPIXMOB。この光の数だけ人の人生があるのだと思った。

《何回転んだっていいよ 何回迷ったっていいぜ》(ダイヤモンド/歌詞変え)
「挫折とか味わったり、もう一回再出発しなきゃとか、再出発してる最中だったり、或いはなんかこう片付けらんないようなそういう悩み事があって、それに立ち向かってる最中だったり、そもそも悩んでることがわかんなくてどうしようかもわかんねぇみたいな状態で、ただひたすら、毎日を漫然と過ごしている、けどそれじゃいけないんじゃないかって思っているようなその人たちに心をこめて贈ります―――。」
新木場Studio Coast1日目。一時演奏を中断して、この言葉の後に再び「ダイヤモンド」が演奏された。この公演は参加することができなかったが、発売されたBlu-rayで観た。
明確な目標に向かって努力することは大切だ。しかし、漫然と毎日を過ごしながらこれでいいのか迷いながらそれでもなんとか生きている人だって確かにいる。高尚な目標もない。どこまでも不器用で上手に生きられない。自分以外の他人が自分より価値のある存在にみえることが、思うことがある。そんなことを考えたいわけじゃないのにすぐには変わることができなくて。このままじゃいけないと思いながら私は大人になってしまった。そういう自分が努力していると堂々と言っていいはずがない。ずっとそう思ってきた。擦りむくような努力を果たせていない自分がこの曲に力を借りていいものか悩んだ時期もあった。こっそり力を借りながらどこか後ろめたい気持ちがあった。そういう気持ちを払拭してくれた言葉だった。彼らは不器用な“君”がまずは自分自身を認められるように自分で自分をぎゅっと抱きしめていいんだよ、と最初から伝えてくれていた。この曲は他の誰でもない、不器用な“君”のための曲だったのだ。

《微かでも 見えなくても 命の火が揺れてる
風を知って 雨と出会って 僕を信じて燃えてる》(fire sign)
今回のツアーの「fire sign」で増川さんがリスナーを巻き込んで盛り上げる場面が印象的だった。個人的には頑張る彼を愛おしそうに見つめる他の3人の優しい笑顔をみるのが好きだった。ツアー序盤、不器用に段取り他のメンバーに助けを求める彼の姿が愛しかったのは束の間だった。ツアー終盤では本当に上手にリスナーを沸かせた。男子も女子も、そのどちらでもない人も彼の掛け声どおりに大きく手を振って歌声を響かせた。
この曲は藤原さんが増川さんに贈った曲だが、CDに増川さんの音は入っていない。このことについて増川さんは過去の雑誌で「口惜しい。悲しい。辛い。」と正直に語った。そしてこう続く。「最終的には感謝をできるようになった。ほんとのところを選んでいかなきゃいけないと思う。…ベストの楽曲の状態を。」
「ナーナ」と歌うたびそのことを思い出して鼻の奥がツンとした。曲の誕生から14年経った今そんな過去を微塵も感じさせないほど屈託のない笑顔でステージに堂々と立つ彼がいる。
《倒れそうな旗をいつまでも 支え続けてる人がいる》(fire sign)
旗を決して引き抜かなかった、支え続けた。胸をトントン叩く増川さんの姿が瞼の裏に焼き付いている。彼が向かい風を“知って”、困難と“出会い”まわり道の先にたどり着いた曲だからこそ、不器用な心にストンと届いた。

《誰かが見たのなら 素敵な事だ そんな風に思えたと 伝えたくなる
誰かにあなたに 伝えたくなる》
《優しくされたくて 見て欲しくて》(Merry Christmas)
私の不器用さは仕事に対してだけではない。人付き合いに対してもやっぱりそうだった。「インスタ映え」のようなきらきらしたものを嘲笑してきた。そういうきらきらしたものから蚊帳の外だった自分を保つためには嘲笑するしかなかった。本当は「せーっの」で大勢でジャンプするような、たくさんのピースで大きな星を作るような、肩を組んで同じ方向を見つめるような、そんな瞬間にずっと憧れていた。
学生時代を帰宅部としてあっという間に消費し終わった時、自分がそんな瞬間に立ち会うことはこの先もないんだろう、と思った。石ころをできるだけ遠くへ行くように蹴飛ばした。そんな自分に現在の自分を見せたい。
四ツ星を追いかけるうちに不器用な私を車座の中に混ぜてくれる仲間ができたのだ。手で握りしめて、だけど潰してしまわないように結んできた。レンズの前で笑顔を向けてくれる仲間がたくさんできた。短くなっても銀テープを分け合いたいと思う仲間ができた。隣にいなくても一緒にいたいと願った仲間ができた。10代から50代まで高校生から大学教授まで世代も職業も問わない仲間ができた。それが愛しくて仕方がないと伝えたい。
何それ、と冷めた視線の奥でかすかに羨む自分が思い浮かぶ。
ツアー前まで「Merry Christmas」は暖かい灯の中にいない自分に灯を分け与えてくれる曲だった。この曲のMVのラストで藤原さんが君もおいで、と手招くシーンをみて、きらきらしていない自分もこの世界に確かに存在しているんだと思うことができた。でも今は、自分は見ることができなくてもきらきらした光景をみてほしい誰かがいる。既に暖かい灯は私の中にあると気付かせてくれた曲となった。

「明日君らに何かあって、僕らの曲が届かないようなところに君達が、君の心が行ってしまうかもしれない」大阪城ホール2日目のライブでの藤原さんがこぼした言葉だ。いつか聴かなくなる時が来る、とは言わないところにどうしようもない優しさを感じる。
静岡エコパアリーナ1日目のライブでチャマさんは「プレゼントもらっていいですか?」と呟いてBeyonceの「XO」をプレゼントしてくれた。その曲の中には「We don’t have forever」――直訳すると「私たちは永遠じゃない。」―――という歌詞があった。人一倍気遣い屋でリスナー想いの彼が目に涙を溜めて唄った光景がフラッシュバックする。
彼らは知っているのだ。これがなければ寝られないと毎晩抱きしめた愛着があったとしても、時が過ぎれば一人で目を閉じて朝が迎えられるようになる。新しい愛着に居場所を取って代わられて押入れで眠る日が来る。彼らの音楽が押入れで眠ることになるなんてまったく思わない。メンバーの肩を揺すって――はできないから窓ガラスを叩いて全否定したい。
《僕のことは忘れていいよ 僕は君と叫ぶよ》(ガラスのブルース/歌詞変え)
どこに行くにも一緒だったくまのぬいぐるみに大人になった今優しく語りかけられるような感覚がした。切なさに胸が締め付けられた。言葉とは正反対の楔のような唄が刺さった。
「唄の中に僕らの姿を探さないでほしい。俺がこう思ってるんだなっていう推理とかをしないでほしい。あなたが感じたことを、その曲が伝えたいことだと思ってほしい。その曲が伝えたいことが、あなたがあなたに伝えたいことだと思ってほしい。」
「生まれてきた曲の期待を裏切りたくないし足を引っ張りたくない。」
「曲のアイデンティティが一番偉いので。僕たちのバンドは。曲が伝わるようなパフォーマンスをするぞっていうのが一番プライオリティが高い。」
過去の雑誌やライブ、テレビで藤原さんが言った言葉だ。彼らは曲に対してどこまでも誠実だ。無条件に親が子の一番の味方であるように、彼らもまた、曲に一番に寄り添う。
ツアー中、「忘れないでね、忘れてもいいけど」と何度も言われた。曲と君の間の出来事は忘れないでほしい、でもその曲を作った僕らのことは忘れてもかまわない―――。到底忘れられるわけないじゃないかと拳を上げた。拳のすぐ下でPIXMOBがじんわり光るのでその光に誓いをたてるような気持ちだった。彼らの曲を押入れにしまった誰かがいたとしてもふとした時にまた思い出して、もう一度抱きしめるはずだ。
《忘レテモ構ワナイ 忘レナイカラ》(flyby)
「君も、僕達と、じゃなくてもいいんだけど、」の後に「いいか、今日は自分本意で言っちゃっていいか。また来るからそれまで忘れないでくれよ。」とこぼした。藤原さんが本音を吐露してくれたのは、私が参加した公演の中ではこのただ1度きりだった。Zepp大阪ベイサイド2日目の夜だった。忘れるもんか。ありったけの声で私はここにいる、という証拠を残した。

《歌う力を借りたから 聴こえる内に返さなきゃ》(花の名/歌詞変え)
今までのライブでは《声の出る内に返さなきゃ》と歌詞変えをしてくれていたように思う。目を瞑ってマイクにやさしく手を添えて、リスナーの視点で語りかけるような唄い方だった。
《顔をあげて 僕らを見て 君に会いに来た 音がある ここにも》
《あなただけに救える唄がある あなただけに聞こえる音がある》(花の名/歌詞変え)
正直立っているのがやっとだった。顔をあげられなかった。彼らの音楽の前では心を丸裸にされる。こう痛かったんでしょう?と優しく問うような。
追いかけてきた29公演中21公演。
行くことのできる自分がいたら行けない誰かが必ずいることを忘れたことはなかった。ライブのレポをSNSにあげるたび、これが行けなかった人へのナイフになっているのではないかと立ち止まったこともあった。
誤解のないように言っておくが1つとして転売屋から買ったチケットはない。何1つ当たり前ではなかった。たった1人だったらこんなに参加することはできなかった。すべては同行させてくれた仲間と、社会人にしてくれた両親のおかげだった。
遠征をたくさんできるようになったのは今ツアーからだった。単純に言えば学生の頃お金がなかった。どちらかというと貧乏な家庭ではなかったし、頼めば親はお金を出してくれたかもしれない。でも親が汗水垂らして稼いだお金でライブに行くのは何かが違う気がしていた。そう自分に言い聞かせることでたくさん彼らに会いに行ける人が羨ましい気持ちを無理やり押し込めていたのかもしれない。優等生になることで自分を納得させようとしていた。自分でしっかり稼げるようになったら時間と運とお金が許す限りできるだけたくさん彼らに会いに行こうと決めていた。
ライブに行った回数=想いの強さなんて思わない。でも、ライブにも行けなくてグッズも買えなくて、自分はリスナー失格なのではないかと思ってしまった時間があまりにも長かった。そのせいでPATHFINDERは歯止めがきかなかった。会いたい彼らに会いに行く。時には夜行バスで帰りそのまま職場に向かったことさえあった。行けなくて後悔した公演はあったが、行って後悔した公演は1つもなかった。

《全て越えて 会いに来るよ》(You were here/歌詞変え)
《出来るだけ離れないで いたいと願うのは 出会う前の君に 僕は絶対出会えないから》(宇宙飛行士への手紙)
「君がこうしてライブに足を運んでくれることが、俺にとっては、自分のことをここに立たせてくれた曲たちを探しにきてくれたような、会いにきてくれたように感じて、1から僕らが作りはじめた音楽をこれだけの人達が共有しにきてくれたことが嬉しい。」石川産業展示館のアンコール後のMCで藤原さんは寂しそうにそして愛しそうにこう語った。
ずっと分かち合えなかった彼らの音楽のイマまでを、一緒に作るイマを、宝物を探すように探してきた。
埋まることはない彼らと出会う前の時間を埋めるように探してきた。
福岡マリンメッセ2日目、ツアーラスト公演の「流星群」で藤原さんは絞り出すような祈る声でこう唄った。
《今日の唄は君を探していたんだよ 今日の音は君に会いたがっていたんだよ
知らなかったでしょう?
ようやく君を見つけた 見つけてもらえた いかなきゃ いかなきゃ》(流星群/歌詞付け足し)
最後の最後に気付かされるなんて思いもしなかった。彼らの音楽もまた私を見つけようと探してくれていたのだ。
あぁそうか。会いに行けなかったあの頃も、今も、いつだって私の痛みを、弱さを、1番最初に見つけてくれたのは彼らの音楽だったじゃないか。

《変われなくて いつも戸惑うけど 誰か一人が認めてくれたら もうそれでいい》(pinkie)
彼らを見かけたあの日の話をする。走馬灯のように過去が足跡に零れ落ちていった。
姉が友達から借りたCDをこっそり聴いた日。図書館で彼らの雑誌やCDを夢中になって探した日。志望校に落ちた帰り道《貧乏クジ引いたわけじゃないんだよ》(透明飛行船)という言葉に嗚咽が止まらなかった日。死にものぐるいで掴んだチケットが嬉しすぎて駅で泣き崩れた日。彼らが繋いでくれた友達とブランコを漕ぎながら彼らの曲を聴いた日―――。
全部伝えたかった。今自分が持っているものも失くしたものさえ彼らがくれたこと。抱きしめながら今まで生きてきたこと。
絞り出すように音を空気にのせたら本当に漫画みたいに情けなくて消え入りそうな声が漏れた。
「BUMPのおかげで、今まで生きてこられました。」
一生分の勇気と運を使い果たした。精一杯の一言だった。ありがとう、と返ってきた。長い前髪の奥の瞳が優しかった。

「こんばんは!BUMP OF CHICKENです!君に、音楽を届けにきました!」
まるでこれからツアーがはじまるのかと思った。ツアーラストの曲DANNYがはじまった。涙でぐちゃぐちゃの顔でこれまでにないほど跳んだ、振り上げた。
“君達”ではなく、“君”に。四対一に届く音楽。
「伝えたいことがあって、伝えたい一人がいたとして、その一人に伝えるために作った曲が多くの人に評価されたってことは多くの一対一があったに過ぎない。」
ポップもアングラも、大衆的も内向的も同じだと、過去の雑誌で語っていた。ブレることのない音楽。

PATHFINDERのテーマと共に流れる映像にアインシュタインの相対性理論があった。
平たく説明すると、「質量はエネルギーにかわるし、エネルギーは質量にかわる」「時間は重力と速さの影響をうける」ということらしい。物理が30点だった私には難しい理論だったが、なんとなくだが自分なりの解を見つけた気がする。
「質量(=リスナーの存在)がエネルギー(=彼らの音楽)をつくり、彼らの音楽がリスナーに届く」
リスナーとしてそう捉えたい。烏滸がましいだろうか。あっという間だった。時間は想い出の重さと私の行動力の影響を直に受け止めたのだ。
 

《忘れないでね 帰る場所がある事を》(涙のふるさと)
毎回、自身の下をここ、ここ、と指さして「君の帰る場所はここにあるよ」と笑うチャマさんが好きだった。
仲間と手を繋ぎながら彼らを見上げたとき、同心円状に世界が広がった気がした。あぁだから生きてきたのか、と思える瞬間だった。これからも彼らの曲は私が隠した私を探してくれる。彼らの曲が押入れで眠ることは絶対にない。迷っても見つけてくれる。

話は「GO」に戻るが、この曲のイントロの「オーオ」と唄う声が忘れられない。特に耳に残るイントロがある。私の記憶に間違いがなければ宮城、神戸、福岡でアイルランド民謡「ロンドンデリーの歌/ダニーボーイ」にのせたイントロであったと思う。この曲について調べると「両親や祖父母が戦地に赴く息子や孫を送り出す」といった背景があることを知った。まるでここに来られなかったリスナーにも彼らが手を振ってくれているようだと思った。帰る場所がここだと示してくれているように感じて鳥肌がたった。

帰る場所があるから安心して過去に手を振ることができる。手放し難くても、過去に手を振らなければならない。

《涙の無い泣き顏に ちゃんと気付けるよ今は
恒星を3つ目印に いつまでだって側にいる》(三ツ星カルテット)
《君の勇気を 僕がみれば 星だ 並べても同じでありたい》(リボン)
三ツ星なのにカルテット――四重奏。それがいまではちゃんと四ツ星を並べている。「三ツ星カルテット」で升さんが通称出島にくるのが嬉しかった。4人が向き合って演奏する姿が尊かった。守護神のようにポーカーフェイスの彼が言葉はなくとも嬉しそうに笑うだけで私も嬉しかった。「ゆっくりした曲ほどドラムは難しい。」と以前升さんは言っていた。「Ever lasting lie」でリズム隊が向き合って互いに音を確かめ合う光景が、互いに目印にしているようにみえて愛しかった。

《迷わず今日の唄をリュックに詰めて行ってくれ》(ダイヤモンド/歌詞変え)
これからも私は不器用だと思う。劇的に一廉の人間にはなれないだろう。
それでも。
彼らが四ツ星を並べてくれるなら。リボンを結んでくれるなら。
彼らの投げた大暴投を死に物狂いでキャッチしに行きたい。彼らのリスナーだと胸を張っていえるように、大きく手を振る。
一歩一歩を踏みしめてイマを歩いて行くと決めた。

明日はちゃんと仕事に行こう。
ちゃんと、未来に行こう。

スマホの通知がポロン、と鳴った。
あの日藤原さんがギター1本で奏でてくれた新曲の名が、発表された。
素敵な名前をもらったんだね。

「行ってきます」
帰る場所があるからこそ、私はそう言うんだろう。

  • 投稿作品の情報を、当該著作者の同意なくして転載する行為は著作権侵害にあたります。著作権侵害は犯罪です。
  • 利用規約を必ずご確認ください。
  • ハートの数字はTwitterやFacebookでのリツイート・いいねなどの反応数を合算して算出しています。
音楽について書きたい、読みたい