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希望と絶望と、あとひとつ

PENGUIN RESEARCHから見出だした人生観

私はつくづく、ひねくれた人間だと思う。
 
 
 
 

諦めの悪い私は、普通の人なら「もうやめときなよ」と言ってくるような困難でも、足掻き続ければいつかは目指す場所に辿り着けるのではないか、と根拠もなく思い込み、それが社会的に、倫理的に悪であろうと、手を伸ばし続けてしまうことがある。

そのくせ見通しの悪い私は、「きっと大丈夫」と思い込んで進み続けたあげく、どこかで取りこぼして大切なものをを失ってしまうことがある。

そうして諦めを認めなかった私は、一転して絶望に溺れてしまうこともある。

しかし気づけば私はいつも、前を向いていた。穢れた目をしながらも、擦りきれた体を引きずりながらも、遠い遠い星にいつか、この手が届く日が来るだろうと、また根拠のない自信を胸に、新たな道を歩んでいた。
 
 

私をこんな目に遭わせたのは、誰だろうか。
 
 
 

その主体となる存在こそ、私が心から尊敬するバンド、PENGUIN RESEARCHであった。
 

このバンドは、バンドとして、アーティストとして、思想の塊として、実に人間の心の動きに沿った音楽を授けてくれるバンドだと思う。
 

世の中には、「辛いこともあるけど前を向いて頑張ろう」といったような、明るい場所から明るく照らしてくれるバンドもあれば「最早この世界に期待することが間違っていた」というような、暗い場所から暗く照らしてくれるバンドもある。

この二つは、”提供する側”の音楽としては対極に位置しているのかもしれないが”享受する側”の音楽としての役割は、「精神的な活力や安堵を得るため」と言った点では一致していると思う。そしてそれは、PENGUIN RESEARCHの音楽でも同じだと思う。

しかし彼らの音楽は、「人生をめちゃくちゃにして(されて)しまい、絶望ばかりだが、それでも地を這ってでも生き延びよう」という、暗い絶望の底から世界を明るく照らしてくれる存在なのである。

それも蛍光灯のような幅広い光ではなく、懐中電灯のような一筋に差し込む光だ。
 

私はここで、その光の正体を自分なりに解釈した結果を述べることにする。
 
 
 

まずは、このバンドで初期から存在し、このバンドの方向性を明確に表した、代表的な楽曲『SUPERCHARGER』からだ。この曲には「心臓アフターバーナー」という聞き慣れない言葉が連続していて、この言葉に興味を惹き付けられた方も多いのではないか。

私はこの「心臓アフターバーナー」という言葉が、人間が自分の意志で何かを乗り越えようとするときの苦しさを実に明快かつ正確に表していると思った。

人は、何か大事な試練を乗り越えようとするときの、とてつもないほどの緊張を覚えることがある。それはどこから来たものだろうか。脳だろうか。否。

少なくとも私は、そう言ったときに、まるで心臓を鷲掴みにされて締め付けられたような感覚を覚える。この「心臓アフターバーナー」という表現は、”緊張”という感情の手に渡りそうになる心臓を、「自らの意志で燃やして推進力を付けて走り抜けろ」というメッセージが込められているように感じる。
 
 
 

また、カップリング曲でありながら、ライブの終盤ではほぼ必ず演奏される楽曲、『boyhood』ではどうだろうか。

私はこの曲の「あの日の僕をどうしても救いたいんだよ」というフレーズをとても気に入っている。人それぞれ、前を向く理由は様々だと思うが、少なくともこのバンドにおいては、”過去の損失”というのが原動力になっているように感じる。

例えば『brave me』の「怖くて寒くて ひどく泣いた日もあったろ だけど握りしめたまま 僕は生き延びた」、『嘘まみれの街で』の「奪われたんだ 取り返さなくちゃ」などはその典型例であり、『敗者復活戦自由形』では、曲の世界観そのものがそういった「過去の絶望をこれからの人生で塗り替える」というものになっている。

そして自分自身もそういった思想で日々を生きているからこそ心に響く。人は、何も失わずに生きることなど出来ないのではないか。何かを失うからこそ、それを取り戻そうとしたり、あるいは他のものを得ようとすることで、人は初めて本当に前を向けるのではないだろうか。
 
 

話が反れたが、『boyhood』ラストの「馬鹿げた夢さえ捨てきれずに どこまで行くんだよもう知らねえよ」という言葉もとても印象に残る。この言葉を発している主体は誰だろうか。私は、自分が自分自身に向けて発した言葉ではないかと考える。

自分自身で「自分が目指しているのは馬鹿げた夢だ」とどこか分かっていながらも、その夢を追った先の終着点は、そこに辿り着かない限りは分からない。だからこそ、最後に突き放すような言葉を置いて、後は自分の意志で進め、というメッセージを込めているのだと思う。
 
 
 

このように、過去に何かしらのネガティブを抱えながらも、結局は前を向き続けていた彼らだが、そんなネガティブな部分に深く触れたとき、初めて本当に彼らの音楽の本質を知ったたと思う。

『冀望』という楽曲でのことだ。私は作詞の堀江氏は、決して絶望するだけの歌詞は書かないと思い込んでいた。だからこそ、この曲は一瞬にして私の心を埋め尽くしていた。
PENGUIN RESEARCHの楽曲において唯一の、絶望が主体の楽曲と言っても過言ではない。

曲中の「おそろしく眩しい希望」という表現に驚いた方もいるのではないだろうか。今まで散々、打ち砕かれながらも希望を追い求め続けてきたバンドが、このような絶望的な表現を用いている。

実際、人間というのは、希望を追い求めるからこそ失敗し、何かを失ってしまうものである。そして失った先で希望を恐れてしまうのも自然な流れと言える。

しかしそれでも、「こうしてみたら上手くいくのではないか」という希望は、眩しいほどに未来を照らそうとするのである。また大切なものを失ってしまうかもしれない未来を。
心の底から落ち込んだときの世界というのは、恐らくそういう風に見えるものであり、そんな世界にもまた、彼らは寄り添っているのである。
 
 
 

そして結局我々人間は、冀望の歌詞のように、どれだけ闘志を高め夢を目指したところで結局届かずに終わってしまうのかもしれない。ならば彼らは私達に、何を伝えようとしているのか。

「終着を 理由を 誇りを 証を 僕等はずっと 探し続ける」(旅人の唄)
「夢はね 叶えるものと 重ね合わせて 夢を見てた 僕には何もないから 寄る辺が欲しくて」(ひとこと)
「貴方が 僕等が目指した今日が 微かでも それぞれ 続いていくなら それで良いんだよ」(ひとこと)

自分には何もないからこそ、自らの生きた証を遺そうとして、人々は夢を追い続けるのではないだろうか。そうして目指した夢が、結局どこかで届かずに消え去ってしまったとしても、世界は絶えずそのまま進んでいく。

ならばその失った夢の先で生きていることでさえ、各々の”夢の続き”であるのではないだろうか。そしてそれは結局、死を迎えるその瞬間まで続いていく、生涯を通しての”旅”のようなものなのではないだろうか。私はそう感じた。
 

また、音楽的な分析については筆者の知識不足もあって割愛させていただくが、主に、歪んだギターサウンドを基調としたラウドロック系の曲と、ピアノをメインとしたポップ系の曲の二つに分けられるように感じる。そしてその音楽も、緻密なものでありながら、歌詞の世界観にふさわしい音色や音の重なりあいによって、(少なくとも私にとっては)理想的なものにされている。
 
 
 

冒頭の話に戻るが、私がこんなにも希望を追い求め、そしてこんなにも手が届かず絶望し、こんなにもそのサイクルを繰り返し続けるのは、紛れもなく彼らの、ひいては堀江氏の思想に影響を受けたことによるものが大きい。

しかしそれまでは何も追い求めず生きてきたのかというと、そうではない。むしろこのバンドに出会ったことで、今まで自分の中でくすぶっていた正体不明の感覚が明らかになり、それが「希望を追い求めること」だっただけのことである。

それだけのことでありながら、彼らの放つ歌詞は、そして音楽は、全てが自分の生き写しだったり、理想的な存在だったりするのである。私の世界観を彼らの歌詞にこじつけているのではなく、彼らの歌詞が私の世界観を具現化するのである。
 
 

私は決して優れた存在ではない。それどころか私は、自分より徳を積んで生きてきた人間が自分より幸せそうにしているのを見て嫉妬してしまうような汚い人間だ。

だからこそ私は、こんな自分にさえ心の底から寄り添ってくれるバンド「PENGUIN RESEARCH」を今後も追い続けていきたい。共に歩み続けていきたい。
いつか本当に、心の底から幸せだと思えるものを手にする日まで。そしてその先も、この命が絶える瞬間まで。

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