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魔法が解けた後の世界

土井玄臣『針のない画鋲』に寄せて

 京都にとあるブックカフェがある。そこは「一人客」しか想定していないカフェだ。古びたビルの一室の重い鉄のドアを開けると、三方の壁に向かってコの字型にカウンターと椅子が置かれていて、カウンターの奥にはカバーを外した文庫本が並んでいる。客はみな、壁に向かって座り、文庫本を手にとって、珈琲を飲む。店主が一人で切り盛りしていて、小声で注文をとりにくる。それ以外の話し声は一切ない。椅子を引く音が響きわたってしまうほど、静かな空間だ。

 土井玄臣の新譜『針のない画鋲』を聴いたとき、一度しか行ったことのないそのカフェを思い出した。あまりにも静かな世界だったからだ。土井玄臣の作品は、これまでも控えめで密やかな世界だったが、どこかでスイッチが入ったり沸点が上がる瞬間があった。例えば前作『The Illuminated Nightingale』には夜の繁華街のざわめきや夜の遊園地の興奮が垣間見えたし、夜の静寂の中から日常とは別のもうひとつの物語が立ち上がってくるのが見えた。そして音楽で創り上げた非日常の世界に逃げるということが、救いになっていた。しかし『針のない画鋲』には、そういった「非日常に足を踏み入れたときの高揚」みたいなものさえない。

 ここにあるものはなんだろうと目を凝らす。
『ありふれた話の唐突な結末も/日々の夢の中に埋もれて消える/どこまでもつづく/ここは君の荒野』
『臆病な風がいつも吹き付ける/どこまで逃げても/ここにひかりが届く』
(『みえないひかり』)
 つま弾かれるギターと時々ピアノ、柔らかな声の隙間を漂ってみると、これは「夜」や「非日常」が、もはや「逃げ場」や「救い」として機能しなくなってしまった人たちの歌なんだと気づく。そこにあるのは続いていく日々、日常、生活。ここではなんだかずっと淡い光が差していて、全てが白日の下に晒されてしまう。そして白日の下では、夜も夜に見た夢も過去もだんだんぼやけてやがて見えなくなってしまう。だが、それらは消えるわけではなく、日常の生活の中に白い闇として存在している。たぶんこの静かな静かな音楽の中にあるのは、この白い闇なんだと思った。

 「針のない画鋲」は誰も何も傷つけないかわりに、「何かを壁に留める」という画鋲本来の役割も果たすことができない無力な存在だ。そんな無力な存在から視た世界はこんなにも儚くて淡くて今にも崩れそうなのに、それでも日々は終わらずに続いていく。そんな中でこの作品の主人公は、
『意味の無い日を いつまでも紡ぐんだよ』『終わらない日々の 地獄にも耐えてゆくよ』(『謎』)
と言う。うつむいたり足をすべらせたりしながら、意味のない終わらない日々を続けていくなんて、ひどくつらい。でもそれは、私を含むこの国の多くの人の日常そのものだと思った。この国では救いも逃げ場も高揚もどんどんなくなっていき、淡い白い平坦だけが続いていく。みんながそれになんとか耐えている。

 アルバムの最後の曲『マリーゴールド』では、この作品で唯一ドラムビートが鳴らされている。ゆっくりと大切に鳴らされるそのビートによって、静かだが確かな前に進む力を感じさせてアルバムは幕を閉じる。この曲を聴いて、作者はもしかして、魔法が解けた後の世界で死なないということ、生き延びるということを歌っているのではないかと思えてきた。少なくともこのアルバムの中では主人公も「きみ」も死なない。そして、この作品で描かれている「魔法が解けた後の世界」というのは、東日本大震災の後の世界のことなのかもしれないと思った。この作品の主人公や「きみ」は、東日本大震災の後も息をしている私自身のようにも思えてくる。
 魔法が解けた後の世界、3.11後の世界で、私はますます無力な「針のない画鋲」だと思い知らされた。そこでできることは「白い闇」を呪いにしないように扱い、なんとか死なないようにやっていくことくらいだ。

『大切な言葉を何度か口にして歩いてゆく』
『きみは言葉の意味を考えて歩いている』
『きみはすべての意味を抱えて/通りを走るバスのなか少し笑った』
(『マリーゴールド』)

 これまでの作品で、いつもどこかしらで「呪い」と「祈り」について歌ってきた土井玄臣は、この作品の最後で「きみ」の中の「言葉」を呪いにしないように「少し笑った」と歌う。その柔らかな歌声は、とても弱くて諦念と倦怠が滲んでいるけれど、決して消えない力を持っている。勝手に続いていく日常の中で、白い闇を掬い上げるように、鳴り続ける。それはいつか呪いを薄め、ささやかな祈りに形を変えていくのだろうと信じさせてくれる。

 『針のない画鋲』は、押し付けがましくない、何も強制しない、という意味で「アンビエントミュージック」と呼ぶこともできるかもしれない。だけど、私はどうしてもこの音楽を「環境」や「背景」としてのみ位置づけることはできない。なぜなら、私はこの音楽を聞き流すことなんかできないからだ。その静けさの中にある白い闇を、つい身を乗り出して見てしまう。耳をそばだてて、聴こえてくるすべての音と言葉の中に意味を探してしまう。あの京都のカフェのように、椅子を引く音さえ意味を帯びる。

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