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消えない悲しみと生き続ける意味

BUMP OF CHICKENの楽曲とともに

「消えない悲しみがあるなら 生き続ける意味だってあるだろう」ーHAPPY

私が昔も今も、理解するのに苦しむ一節である。

何がきっかけで生きるのが辛くなったのかは、もうあまりに苦しくて覚えていないけれど、15歳の誕生日を迎える頃、私は死にたかった。

当時助けてくれた人がBUMP OF CHICKENが大好きで、誕生日プレゼントにと宇宙飛行士への手紙と、HAPPYのCDをくれた。

それまでもBUMPの楽曲は聴いていたけれど、こんなにも涙が溢れたのは初めてだった。

「膨大な知識があればいい 大人になって願う事
 心は強くならないまま 守らなきゃいけないから
 少女はまだ生きていて 本当の事だけ探している
 笑う事よりも大切な 誰かの手を強く握って」ーHAPPY

大人とも少女ともつかない15歳という年齢。
だからこそ、両方の歌詞が自分と重なった。

受験のために膨大な知識を詰め込みながら、助けてくれた人の手を必死で握って、どうにか生きていた。
「いつも笑顔ね」と周りに褒められる裏で、助けてくれた人の前では笑うことも、目を合わせることも、うつ向けた顔を上げることも、口を開いて話しをすることさえできなかった。
それが、当時の私のあるがままだった。

大人になればもっと苦しいことがある。今だって世界の誰かは私よりもずっと苦しい思いをしている。生きたいのに死んでしまう人がいる。死にたいと思っている私には、助けてくれる人も健康な肉体も、家も学校もあって、家族も友達もいて、温かいご飯もある。なんて甘ったれてるんだ。たかが15歳で死にたいだなんて。その手首の傷だって、かまってちゃんの証拠だろう、死にきれないくせに。

常に、周りの目線がそう言っているように思え、自分が自分にそう言っていた。

「優しい言葉の雨に濡れて 傷は洗ったって傷のまま
 感じる事を諦めるのが これほど難しい事だとは」ーHAPPY

もういっそ傷つくことが目に見えているなら、期待なんてしなければいい、嬉しいとか悲しいとか感じなければいい。優しさで癒された傷は、もう忘れたフリができる傷は、二度と痛まなければいい。何も感じなければいい…。
でもそんなことは到底無理なわけで、無理だから、死にたいと願うのだった。

たった一人の、助けてくれる人の手を強く握って生きていた私は、本当はそれさえも「依存なんじゃないか」とか「この人に頼っちゃいけないんじゃないのか」とか思っていた。助けてくれる人に「いいんだよ」と言われても、その思いは払拭できずに、自分をさらに死へと追いやった。

だけど。
「借り物の力で構わない そこに確かな鼓動があるなら
 どうせいつか終わる旅を 僕と一緒に歌おう」ーHAPPY

「わざわざ終わらせなくていい どうせ自動で最期は来るでしょう」
「死んだ魚の目って言われても 心臓はまだ脈を打つ」ーモーターサイクル

そんな私でも生きていていいと、BUMPの楽曲はそっと包み込んでくれた気がした。
誰かに頼っても、死んだ魚の目でも、苦しんでいても、死にたいと思っていても、いいんだよ。
生きてる君は、どんな思いを抱えていても生きていていいし、生きていて。と言われた気がした。

それからと言うもの、どんどんBUMPの楽曲を聴くようになり、決して元気とは言えない日々が大半を占めても、23歳まで生きてきた。

2016年には熊本地震後のBFLY福岡公演に参加。
「ここにいるためだけに 命の全部が叫んでいる
 ちゃんと守れるように 作られた体で生まれたよ」ーファイター

「ここに」で自身の足元を指差し、「作られた体」で自身のTシャツの胸元を掴み唄う藤原さんを見て、「ここにいる一人一人に、ここに来れなかった一人一人に向けて、全身全霊で唄っている」ことをひしひしと感じ、涙が溢れた。こんなにも向き合ってくれる人が、音楽が、あるなんて…。
BUMPの音楽は、なんて優しくて、なんて力強いんだろう。
決して無理矢理入り込んで来たりはしないのに、こちらが求めた時は待ってましたと言わんばかりの力強さを発揮する。

「もう答え出ているんでしょう どんな異論もあなたには届かない
 もう誰の言う事でも予想つくぐらい長い間 悩んだんだもんね」
「怖くても誰も背中押さないよ 押す方も怖いから
 それくらいあなたは勇敢な人」ーbeautiful glider

「腕の中へおいで 醜い本音を
 紡いだ場所に キスをするよ」ーembrace

人知れず悩んだり考えたり頑張ったりして、本当は気づいて褒めて欲しいけど、みんな頑張っているし自分だけじゃないから言っちゃいけないと、「何考えてるかわからない」と周りから言われるほどに、何も言えなくなって。
そんな抑え込んだ気持ちに、たくさんのBUMPの楽曲が寄り添ってくれた。

あまりに真っ直ぐなBUMPの楽曲は、時に痛いところを突いて来る。自分の情けなさや弱さを見せつけられ、何者でもない自分自身と向き合わされるため、時に怖くなり、聴けなくなることもあった。

「あなたは変わったあなたも やっぱり嫌になったでしょう」ーmorning glow

「人に触れていたいと 思う事を恥じて
 嗚咽さえも 噛み殺して よくもまぁ
 それを誇りと呼んだモンだ」ーTitle of mine

「狂ったふりが板について 拍手モンです 自己防衛
 それ流行ってるわけ? 孤独主義 甘ったれの間で大ブレイク」ーレム

「腹を空かせた抜け殻 動かないで 餌を待って 
 誰か構ってくれないか 喋らないで 思っているだけ」ー ギルド

怖くて聴けなくなっても、また聴くようになるのは、彼らの楽曲がいつでも待ってくれているからに他ならない。

「 僕のことは忘れていいよ 君と今を叫ぶよ」ー ガラスのブルース
ツアーで行われる歌詞変え。
彼らはいつも、そういう姿勢でいるのだ。

「 この眼が視力を失くしても 僕は君を見るだろう
  体中の細胞 フル動員で 君を見るだろう」ー embrace
ハンドマイクで、リスナーに背を向け、メンバーの方を向いて歌う藤原さん。
絶対的とも思われる絆を、自分たちの意思でしっかりと結んできた4人。

そんな4人だから、結成から22年経った今も、決して変わることのない軸を持った音楽を、「君の人生の隅っこに置いといて。いつでも聴きに来て。僕らはずっと歌っているから」という変わることのない姿勢で届けてくれることを、私は信じることができるように思う。

そんな彼らがPATHFINDERツアー福岡の振替公演で
「 顔をあげて 僕らを見て 君に会いに来た音がある ここにも」ー 花の名
と歌ったのが衝撃だったのは言うまでもない。

その衝撃は、うまく言葉で言い表すことができない。

けれど、自分が逃げていたことには気づかされた。
本当の、何物でもない小さくて大きな自分自身を見るのが怖くて。逃げてもいい、生きていてと包み込んでくれた楽曲にいつまでも甘えて、もう本当は見れるはずなのに、見たくなかっただけだった。

生きていること。
いつかは死ぬこと。
抱えている気持ちがあること。
消えない傷があること。
それでも、生きていること。

生きている限りずっとついてまわるそれらは、社会の日常生活の中ではあまり大事には取り扱われない。特別、話しをすることもない。だけど、自分の中にしっかりと重さを与えるそれらを、唄い続ける彼らがいる。時折足かせにもなるその重さを、大事なものなのだと、それらを含めて自分と向き合うのだと教えてくれる彼らの楽曲がある。

死にたいと願い、BUMPの曲に生きようと思わされるのを、何度も飽きずに繰り返す。
生き続ける意味も、生きがいも、今だに見つけられていないけれど、これからもBUMPの曲を聴きたい…
とここまで書いて、「消えない悲しみがあるなら 生き続ける意味だってあるだろう」の意味が、ふとわかった気がした。

消えない悲しみがあるから、私はBUMPの音楽を聴き続ける。それが生き続ける意味になるだろう。
そういうことなのではないだろうか。あぁ、ものすごく腑に落ちた。

これからも、BUMPの楽曲を聴いたり聴けなかったりしながら生きていくんだろう。

「どうせいつか終わる旅を 僕と一緒に歌おう」ー HAPPY

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