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記憶のとなりで流れる音楽

私家版くるりのこと。

好きな音楽をまじめに話すことは、好きな人に自分の本棚を見せる感覚と少し似てる。「おれこれが好きなんだ」は「君にも好きになってほしいな」が隠れているし、それはそのまま「君のことが好きなんだ」に続いていくかもしれない。(ここで言う“君”は男と女とか、愛とか恋とかヘチマとか、そんなの関係のないフヘン的な“君”だ)もしそんな大袈裟なことじゃなかったとしても、僕はそうだ。

かけがえのない音楽は、かけがえのない人に聴いてほしい。でも押し付けたくはないから、時々ひどくもどかしくなって、結局またイヤホンをつけてくるりを流す。くるりの音楽には、誰にでもある個人的な感情や記憶を、そっと追憶させるつよさがある。異なる境遇を抱えた人たちが「これは自分のための音楽かもしれない」と心地よい錯覚を抱かせるやさしさがある。
 

「歓びとは 誰かが去るかなしみを
胸に抱きながらあふれた
一粒の雫なんだろう
なんで僕は 戻らないんだろう」
(Jubilee)

18歳の自分が、上京する新幹線の中で感じていた高揚感と一抹の寂寥感は、きっとこんな感じだったのかもしれない。あれから何度も引っ越しをして、何度も新しい土地に移り住んでいった。けれど、移ろいゆく時の中でも「そんなに変わらない感情があるんだな」と、さいきんローカル電車の窓にふっと思い出したりする。
 

「このため息が 君に届けば
きっと誰よりも 悲しむのでしょう
街のざわめきも 行き交う船も
それぞれの想いを乗せてゆくだけ」
(三日月)

転勤で瀬戸内海を渡り、今住んでいるこの街で、ひとり歩いている時によく聴いていた。ある夜は三日月ではなく、眩しいくらいの満月だったから、月のクレーターがよく見えた。昔から洋の東西を問わず、その陰影をウサギとかカニとかヘチマとか、好き勝手言っていたようだけど、僕の目には女性の横顔に見えた。というか恥ずかしながら、そう見たかったんだと思う。(いちおう東欧ではその見方がふつうらしいです…)人を恋うる気持ちはいつだって海を越える。
 

「東からの風は絨毯のように
生まれた街へ飛んでった
それでもまだ 飛び足りなかったようだった
そして僕は君を絨毯で
まだ見ぬ世界へと連れてゆく
遠くなっても近くにいるようなんだ」
(魔法のじゅうたん)

この冬の終わり、まだ春一番が吹く前に、じいちゃんが亡くなった。近しい人が死んでしまったのは、三十路近くにもなって初めてのことだったから、少なからず動揺していたと思う。なんの修飾しようもなくただ悲しかったけど、親戚同士でじいちゃんの思い出を話す安心感はなんだろう。帰りの飛行機の中でこの曲を聴いていたら、眼下の薄い雲が、火葬場で見た棚引きの続きに思えて仕方なかった。
 

「バスが来た
見知らぬ行き先に微笑む
君の横顔がまぶしくて
海へ行こう
そしてまた名前を呼ぶよ
ここは名もなきバス停だよ
ここは旅のまだ途中だよ」
(旅の途中)

歳を重ねれば重ねるほど、記憶が澱のように積もっていく。それは良い悪いに関係なく積み重なってしまう。たまにその澱の重さ、歳月の重さに少し嫌気がさす時がある。けれどそれは、とてもふつうで、ありきたりで、掃いて捨てるようなことだと思う。それを自分だけと感じるのはただの思い上がりだ。なんて夢もヘチマもないけれど、この先もつらつらと続く旅はまだ途中らしい。旅の道連れにくるりの音楽があれば、もう少し大丈夫なような気がしてくる。

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