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どこにもいない男は僕かもしれないし、君かもしれない

生きる意味を見失った僕に、The BeatlesのNowhere Manが直撃した

人は誰しも生きる意味を持ちながら生きていると思う。
自分が成長するから、収入が増えるから、名声が得られるから、単純に目立てるから、女の子にモテるからなど、生きる意味は人それぞれ。
常に意識的に考えて行動している人もいるだろうし、潜在的に心のどこかで原動力になっている人もいる。
僕はこれまでの8年の間、ある一人の女性とお付き合いするために行動してきた。
世の多くの男性が経験したであろう、好きな女の子に振り向いてもらうために、ってやつ。
おそらく男性の原動力って異性からカッコ良く見られたいからってのが多いんだよね。
僕も多くの男性が通るこの道を経験し、そして典型的な挫折も同時に経験した。
結果から言うと、お付き合いできる期待値が0になった。
好きな女性が亡くなったとかほかの男性と付き合ったからとかではなく、そもそもその女性は男性と付き合う気が更々ないのである。
この女性がこういう思想を持ち合わせていたことは知っていたが、改めてこの現実を突きつけられ、僕は途方に暮れた。
僕は高校の時も大学の時もカッコ良かったし、社会人になった今も超カッコ良い。
自分で言うのが恥ずかしいとも思わないくらい、徹底的にカッコ良い経験を積み、多くの面白いことに挑み、確実に結果を出すことに成功してきた。
まるで漫画の主人公のような人生を送ってきたと自信を持って言える。
膨大な時間を費やしたにも関わらず、好意を寄せてきた一人の女性さえも口説き落とせないことのみに目を瞑れば。

嫌なことがあると僕は音楽を聴いて気を紛らわす、多分皆そうだよね。
僕はこれまで嫌なことがあると、大音量でDeep Purpleを聴いて乗り越えてきた。
もちろんDeep Purpleのみではない。
Bon Jovi、Guns N’ Roses、Van Halenにだって助けられた。
正直な話をすると、ガチャガチャした音楽であれば僕にとってはどんな曲だって誰が歌っていたってどうでもよかった。
こういう音楽を聴いて思考をバカにさせ、その間に次の面白いことを発見するのが目的だから、やかましければ何でもいい。
この時に面白いことを見つけさらに自分をカッコ良くできればいいから、自分にとっては最適のうっぷん晴らしの手法だったんだと思う。

今回の失恋は事情が違った。
次の面白いことを見つけることもできないし、そもそもこのやる気さえも出てこない。
新しく好きな女性でも見つけたらいいんじゃない?と言う友人がいるが、そんなことができてたら8年も時間を費やしてはない。
1人の女性しか見ないことが男としてカッコ良いと思っていたし、僕は2人以上の女性を同時に口説き落とせるような恋愛慣れしている人間ではない。
裏を返せば上手くリスクヘッジできておらず、リスクヘッジしなくても僕はなんとか上手くできるだろうという過信がダメージの大きすぎる失恋に繋がった。
さらに、自ら命を断つことにさえ失敗したんだから、これまでの超カッコ良い姿は自分の中に無くなってしまったんだなと確信した。

だから僕はとりあえず毎日のルーティーンをこなした。
とりあえず会社に行き、それなりに仕事をし、家に帰って腹を満たすために何かを食べ寝る。
こんな非生産的なモチベーション0の生活を送る中で、仕事中ある曲が僕に直撃した。
The Beatles「Nowhere Man」。
これまでハードロックで嫌なことを忘れ次に進むことがほとんどだったが、その中に唯一心を穏やかに落ち着かせてくれるのが彼らの音楽だった。
ハードロックの中にある言わば逆の意味での”スパイス”である。
しばらく仕事も手につかない状態だったが、Nowhere Manを聴いた時に心を奪われてしまった。
また別の要因で、仕事が手につかなくなってしまった。
 

Nowhere Man。
23歳の僕はThe Beatlesが演奏を披露していた時代をリアルタイムに生きてはいないから、当時彼らはどのように人気で、どのように世界に影響を及ぼしていたかなんて又聞きでしか知ることができない。
ただ、今の僕にはわかる。
これほど素晴らしい曲は世界のどこを探しても、どれだけ歴史を辿っても、これ以降も僕の前には現れない誓う。

この曲の邦題は「ひとりぼっちのあいつ」。
The Beatlesの楽曲につけられる邦題は「全然歌詞と関係ないじゃん」と言いたくなるものが多いが、「ひとりぼっちのあいつ」に関してはなかなか的確だと思っている。
この曲をシンプルに表すのであれば、自分の殻に籠り何の役にも立たないことを考え、自分が何者なのかも分かっていないNowhere Manに対し、それでも世界は変えられるんじゃない?と手を差し伸べる、批判的であり応援歌のような曲である。
 

人は悩みを抱えると自分の頭の中で思考を巡らせ、良い方向へも悪い方向へも精神を左右することができる。
でもこの悩みが自分の制御下にない外部にある要因だとするならば、自分の頭の中で考えたところで根本的な解決には向かわない。
僕にとってのこの失恋は完全に自分の外部の要因に当たるため、行動しないと何も変わらないのに、頭だけを動かし少しでもマシな方向に舵を切ろうとする。
これを見ている君も、こういう思考フレームに陥ったことがないだろうか。
 

『彼は本当に何も見えていない。自分の見たいものしか見ていないんだ。』
的確に容赦無く僕の心を抉るのが、僕がジョンをたまらなく好きな理由である。
そんなこと知ってるよ、知ってる上で悩んでんだよと、天国まで追いかけてジョンに言いたい。

『Nowhere Manよ聞いてくれ。君は気づいていないかもしれないが、この世界は君の手で変えられるんだ。』
そして飴と鞭のように、たまに応援してくれる。
ジョンは僕の心の状態を熟知しているようで、こんな状態なら励ましてくれてもいいじゃんという要望に見事に応えてくれる。

『Nowhere Manよ、心配はいらない。時間をかけて焦らずいこう。誰かが手を貸してくれるまで時の流れに身を任せてしまえばいい。』
無責任な言葉を僕に放つ友人や知り合いよりはよっぽど安心できるジョンの言葉である。
そしてこの「誰かが手を貸してくれる」の「誰か」とは、無責任な言葉を僕に放つ友人らではなく、この問題を根本的に解決する人物なんだと思う。
恋愛以上に面白いものを僕に教えてくれる誰かなのか、僕の心を奪う女性なのか、多分どちらかだと思うが、根本的な解決をしてくれるのであればどっちであろうと僕にはどうでもいい。

ジョンはこの曲の中で、批判する時も応援する時も”Nowhere Man”に対して言葉を放っている。
日本語での解釈はさまざまだが、僕は”どこにもいない男”と捉える。
そしてNowhere Manは、No-where Manであり、Now-here Manでもある。
どこにもいない男であり、今ここにいる男。
それは、どこかの誰かであり、今のこの僕であり、ジョン自身なのである。
誰もが”どこにもいない男”になりうる可能性があり、この”どこにもいない男”は一瞬にして”今ここにいる男”に成り代わるかもしれない。
誰もが踠き苦しみ、苦悩で頭を抱え、自分の殻に籠り誰のためにもならない計画を立てる。
苦悩の大小や要因は違えど、誰しも。
だからこそジョンは”Nowhere Man”に自分を投影し、その”彼”にさまざまな声をかけることで自分を奮い立たせたのだろうか。
ジョンが僕に問いかけた”Nowhere Man”という「言葉遊び」はこの上なく美しく、そして力を持ち、僕の頭に滑らかに浸透し、僕の精神を浄化してくれた。
 

僕は感受性が欠落しており、さらに豊かな教養なんて受けてこなかった人間だから、楽曲の歌詞なんてのは大衆を騙すためのものだと今まで思ってきた。
人生や恋愛、努力や成長、社会的批判や思想など、現代はさまざまなモノやコトに訴えかける楽曲が溢れている。
でも詰まるところ作詞者自身の体験に基づくもの、もしくは作詞者が大衆の思考を仮定した歌詞の楽曲しか存在しないから、僕の心にピンポイントで手を差し伸べてくれるものなんてこれまでどこにも存在しなかった。
誰もがそこにある歌詞に自分を無理やり入れ込み、勘違いし、共感していると思い込むことで感傷に浸っている。
これも楽曲を楽しむひとつの方法だから正解ではあるけど、僕はこんなことをしている人間をクソダサいと思っていた。
でも今Nowhere Manで感傷に浸っている。
ダサすぎるが、でもこれでいい。
人生で初めて歌詞に共感し、涙を流した。
 

『彼はちょっとだけ君や僕に似ていないか?』
“Nowhere Man”ができる限り”今ここにいる男”にならぬよう、自分で苦悩に正面から立ち向かって行きたいと思った。
 

ジョンがこの世を去ってから38年ほど経つ。
彼が生きていた時代に僕は生まれてもいない。
ジョンは今、正真正銘の”どこにもいない男”であるが、僕にとって彼は”今ここにいる男”に違いない。
いつも力をもらっているよ、ありがとうジョン。

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