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「1991年世代」の輝きが、燦燦と初夏を照らす

never young beachツアーファイナルに、胸を打たれた

小袋成彬、Yogee New Waves、Suchmos、yahyel、そしてnever young beach――。
いままさに日本の音楽シーンを代表するバンドたちには、ひとつの共通項がある。

それは彼らが「1991年生まれ世代」であるということだ。

本文の主役であるネバヤンのフロントマン・安部勇磨は1学年上の90年生まれだが、松島皓(Gt)、鈴木健人(Dr)は91年生まれ。まさに、Nirvana「Nevermind」とともに産声を上げたバンドマンたち。YouTubeはもちろん見るけど、やっぱりレコードで掛ける音がたまらない。友達にはSpotifyなんかで音楽を聴いてる人もいて、音楽のリソースは無制限、海外で演奏するそういう時代だからこそタイムレスな音を出すことに喜びを覚える。

そういう人たちが、いまの日本の音楽を変えようとしているのだ。

4月27日、「April O’Neal」――タートルズの名ヒロインを冠したツアーファイナルは、キャパシティ2700人のZepp Tokyoを満員に埋めつくし、10分遅れで始まった。

「SUNDAYS BEST」「ちょっと待ってよ」「自転車にのって」……。
かつてないほどのゆったりとしたセットで、ネバヤンはライブの口火を切った。まるで、週に3回は会っていて、もう話すことなんてなんもないみたいな――そんな大好きな友達と、結局全然退屈じゃなくて今日も楽しいんだろうな、って思う飲み会の、おざなりな乾杯の挨拶みたい。それが嬉しくなって、僕は手元のビールをスッと上に掲げた。

これまでのネバヤンの音像と言えば、ヴィンテージのレスポールにリッケンバッカーが奏でる、西海岸をクラシックカーで転がすようなイナタさが特徴的だった。このツアーファイナルは若干変わり、上手からジャガー、ストラト、テレキャスターとフェンダー系のシングルコイルで揃えたトリプルギター。音像は硬いサスペンションをきしませるスポーツカーように、よりソリッドになっていた。

でも、ネバヤンらしさが失われたわけではない。

いつもどおりマック・デマルコのようないでたちの安部、売れてもなお引き締まったシェイプでギターを奏でる松ちゃん、MCもプレイもクールそのものな阿南智史、そして、骨太だけど温かみのある巽啓伍&鈴木のボトムセクション。『スタンド・バイ・ミー』の10年後かというくらい、アドレセンスとキャラクターに富んだ5人組だ。

「夏は大好きだけど、外に出るよりも家でのんびり音楽でも聴いてるほうがいいよね…」なんて言ってそうな、「丘サーファー」ならぬ「丘スケーター」ファッションに身を包む彼らに、いつもよりも黄色い歓声が多かったのは気のせいではない。MCでは和気あいあいと、男子校の放課後のようにやり取りを繰り広げる。カリスマというよりかは、深夜ラジオを聴いているかのような一体感に会場が包まれていた。

ドリンクも空っぽになった7曲目、あの名曲がプレイされた。

「ベランダで揺れてるシャツはひらひらと 太陽の下で 夏が来る前の柔らかな風に そっと吹かれてる」(気持ちいい風が吹いたんです)

4月にしてはやや暑い、1000回目の異常気象のような夜にぴったりの一曲だった。

「俺ら、バンド名のせいもあって、夏のバンドってイメージ持たれることが多いんですけど、本当は春なんじゃないかなあと。だから、みんなも春のバンドと思って、今日は聴いて下さい」

安部ははにかみながら、MCで客にこう訴える。このバンドは春なのか、夏なのか…細野晴臣の名曲を引けば、「どうでもいいことさ」って感じなのだろう。

「夏」だけじゃない。「西海岸」「ヒッピー」「シティーポップ」……そんなキーワードがネバヤンにはどうしてもついて回る。だが、彼らにとってはひとつのモチーフでしかないのだと思う。
昔誰かが(岸田繁か後藤正文だったと思う、失念)「音楽って、どれも何かに対するラブソングだと思うんですよね」と言っていたけど、ネバヤンは好きなものを、「街」とか、「朝」とか、もっといえば「いま」とか、そういった日常をただ好きと感じて、歌として伝えているだけなのかもしれない。

「明日また会えたら 嬉しくて笑うんだ 僕達が出会ったことは奇跡なんだって思うから」(SURELY)

「平気だよって言い聞かせるけど なんだか焦ってしまうのさ 他愛のない君との話が 僕の心 締め付けてゆく」(なんかさ)

終始笑顔に、だが時折びっくりするくらい物憂げな一面が歌詞に現れる。

あっという間にスターダムを駆け上がった「1991年世代」を見ていると、そのやや学年下の僕からしたら、彼らは「神様」なのかと思ってしまう。ヤイエルの日本人離れしたコンセプチュアルなビジュアル、メジャー・インディーの垣根を「退屈」と一蹴するミュージックをシーンに叩き込むサチモス、時代遅れなんて言われるロックンロールの魂をライブハウスにぶち込み続けるヨギー、突然変異のように生まれた彼らは天才ばかりで、平々凡々と暮らす僕たちとは違った生き物なのだと。

ネバヤンだってその一角だ。ただ、理屈とかどうでもいいことはとりあえず忘れて、今を生きる、まぶしいまでに「フツーの」若者で、はっきり言ってそれがうらやましくて仕方なくなる。

「CITY LIGHTS」「SURELY」「明るい未来」――ライブ終盤、畳みかけるように名チューンが繰り広げられる。

Zepp Tokyoに詰めかけた客は、ネバヤンと同い年くらいのような人が大半だった。失礼な言い方かもしれないけれど、おそらく、六本木や渋谷でハデに遊んでいるタイプのような人たちではない、「フツーの」人ばかりだ。僕も含めて。

色あせたリーバイスも、妙にクタクタなTシャツも持ってないし、ミュータント・タートルズやらなんやら、ギークっぽいアメリカ趣味を持っているわけではない。タイムレスな時代だとしたら、さしずめ「タイムレス・レス」な人間だ。だからこそ、僕の生きているのは「いま」しかないんだって、思うこともある。

それでも、「神様」でない僕たちも、自分たちだって「いま」が大好きで、それが「1991年世代」なんだって思えるようなライブを、ネバヤンは演じてくれたのだ。不器用ながらも、フロアで精いっぱい身体を揺らしている仲間たちを見て、そんなことを僕は考えていた。

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