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米津玄師の歌はいつでもわたしの救いだった

出会いから今まで

米津玄師。彼の歌に生きる力を貰った人はたくさんいるだろう。わたしもその1人だ。

わたしが米津玄師に出会ったのは4年前、中学3年生の時だ。
「アイネクライネという曲を聞いて欲しい。」そう中学の友人に言われた。
当時ボーカロイドが好きだったわたし。「話を合わせるために聞いておくか。」その程度しか考えていなかった。
でもそれはわたしの忘れられない出会いとなった。
なんだ、この曲は。
そう思った。

“あたしあなたに会えて本当に嬉しいのに
当たり前のようにそれら全てが悲しいんだ”
“消えない悲しみも綻びもあなたといれば
「それでよかったね」と笑えるのがどんなに嬉しいか”

1度聞いたら離れないメロディライン。どこか悲しそうに、でも優しく温かい歌声。初めて聞くはずなのに懐かしく感じる歌詞。柔らかなイラスト。

こんなに素敵な歌があるのか。
それが初めての米津玄師の歌との出会いだった。

アイネクライネを歌っているのが「米津玄師」だと知ったのは中学を卒業してから。
高校受験を経て音楽から離れていたわたしは、また友人の紹介で「Flowerwall」を聞いた。

“君のその声が 優しく響いた
こんな憂いも吹いて飛ばすように”

ひたすらに優しい歌だった。高校進学で不安でいっぱいだったあの時の自分を慰めてくれる歌だった。
アイネクライネを作り、Flowerwallを作った米津玄師。
わたしが彼の世界に引き込まれるのはあっという間だった。

サンタマリア、ゴーゴー幽霊船、vivi、恋と病熱、WOODEN DOLL・・・
YouTubeに公開されている曲を端から聞いた。
本当に同じ人が作っているのか疑問に思うくらい多種多様な曲たち。
それらは全て優しかった。
時には優しく包みこんでくれ、背中を押してくれ、元気をくれ、不安を笑い飛ばしてくれた。

そして、アルバム「YANKEE」を知った。

収録曲の1番最後。「ドーナツホール」
昔からボーカロイドが好きだったわたしは驚いた。
ハチさんの曲だ。カラオケで何度も歌った曲だった。
なんでこの曲が収録されているんだ。
ドーナツホールを最後に楽曲を発表していないハチさんのこの歌がなぜ。

答えはすぐに出た。
ハチは米津玄師。同一人物。
簡単かつ明瞭なその答えに、わたしはとても驚いた。
そしてすぐにYANKEEを聴いた。

わたしは元々歌い手があまり好きでなかった。人間が歌うとその人の癖が出る。その癖がずっと嫌いだった。無機質なボーカロイドの声が好きだった。
なのに、米津玄師の歌声に全く違和感を感じなかった。それどころか、心地良かった。
米津玄師。その名に注目するようになった。
 

わたしは高校3年生になった。
受験勉強に追われしんどい毎日を送っていたわたしを救ってくれたのも、米津玄師だった。
心が疲れたら聞いていたのが「海と山椒魚」「乾涸びたバスひとつ」「旅人電燈」

“あなたの抱える憂が その身に浸る苦痛が
雨にしな垂れては 流れ落ちますように”

“ねえ あなたは「どこにもいかない」と
そう言葉贈ってくれたこと”

“見つめてるよ ぼくは今も 地球の上で光る星だ
誰も ぼくを 知らなくとも まだ見ぬあなたのために光る”

米津玄師の歌に直接的な歌詞は少ない。
いつも遠回しになにかを伝えてくれる。
何度彼の歌に心を救われ、何度「明日のことは分からないけど、今日は頑張ろう」と思わせてくれたことか。

そしてBOOTLEG。
BOOTLEGの最初の3曲の流れがとても好きだ。
飛燕は、前を向く勇気を与えてくれた。
LOSERは、背中を押してくれた。
ピースサインは、前に引っ張ってくれた。

受験の日の朝、わたしは必ずBOOTLEGの最初の3曲を聞いて、元気をもらった。

彼の歌がいなければ今のわたしはいない。

わたし達の卒業に合わせるように公開されたLemonは、別れを悲しむわたし達の心を慰めてくれた。
 

そして今、慣れない大学生活を送るわたしは、やはり米津玄師の歌に励まされている。
 

いつだって米津玄師の歌はわたし達を救ってくれる。
そしてこれからも、米津玄師の歌に救われるのだろう。
彼の歌が、1人でも多くの人の心を救いますように。
 
 
 

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