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安室奈美恵というフィクション

これからも生き続けるこのままの歌姫

1995年から1996年。若い女性の多くは眉を細く整えて、肌を小麦色に近付けた。ミニスカートに厚底ブーツ、と綴れば何の話かはわかるだろう。
そう、アムラーである。
当時私は9歳。華奢でパワフルな彼女に憧れながらも小学生の私にはアムラーに近付くために髪を伸ばす程度しか出来なかった。

あの頃から憧れていた安室奈美恵というアイドルは、アーティストとなり、パフォーマーとなり、今年の9月に彼女は活動に幕を降ろす。去年9月の引退報道から早8ヶ月が過ぎ、9月まで残りあと少し。まだまだ安室奈美恵という女性を追いかけたい思いもあれば、今までそのスタイルを変える事なく走り続けてくれた彼女への感謝もある。初めて好きになった、本当に好きで好きで憧れ続けたアーティストが目の前からいなくなる。その思いが上手く纏まらずにいるのは私だけでないと思う。

安室奈美恵のライブを生で見た事があるだろうか。
残念ながらラストライブのチケットは取る事が出来なかった。引退報道を受けて今までライブに興味を示さなかった人達もチケットを獲得するために奔走した人も少なくないと思う。お陰様でチケットは激プレミア化したとか。いい。ぜひ生で安室ちゃんのライブを見ておくれ。私は何度か拝見させてもらったから、最後のチャンス、一度でも生で安室ちゃんを見て、その胸に彼女の姿を焼き付けて欲しい。

好きな歌手やアイドルが、引退したり、解散したり、もしくは予期せぬ何らかの形でファンの前に現れる事が出来なくなった時、ファンはどんな気持ちだろうかと私は考えた事はあっても、「こんな気持ちなのか!」と感じた事は今まで無かった。後から「こんなに良い曲だったんだ!」と感じて復活を祈る事はあっても、今回のように静かに、日本の片隅でその時を待つ事は初めてだ。

私は安室奈美恵というアーティストの何に憧れていたのだろう。

昔は安室ちゃんをテレビでも見かけていたし、土曜日の夜にもなれば、ランキング形式の歌番組で他の歌手の歌を歌ったりもしていた。歌とダンスが上手い、顔の小さな可愛らしい女性だった。その分かりやすい特徴に惹かれたのは間違いない。すらりと伸びた細い足や伸び伸びと出る歌声に「いつか私も安室ちゃんと同じくらいの年齢になったら、こんな風になれるかな」なんてよく思った。
けれどご存知の通り、時間の流れはそう上手くコトを運ばせない。字が上手い人の持つペンで書けば字が上手く書けそうな気がする事と同じ原理だ。字が下手な人は、何で書いても字が下手なように、安室ちゃんでない私は、安室ちゃんにはなれないままだった。

安室ちゃんを追いかけていた時期、安室奈美恵低迷期があった、らしい。らしい、というのはその時期すら私は「安室ちゃんかっこいー!」と思っていたので低迷期というよりも、人気が落ち着いた程度にしか思っていなかった。けれど安室ちゃん自身も低迷期というものを感じていたようで、インタビューで「安室奈美恵は終わった、と言われた」と話していた記事を読んだ覚えがある。
人気は上がれば落ちる。致し方ない話だ。
そんな時期でも音楽番組で安室奈美恵を見る機会はあったし、ライブ活動も行っていた。もしかすれば私が「安室奈美恵はまだまだ人気がある」と思いたかったのかもしれない。
小室哲哉氏を離れ、自分のやりたい音楽へ進んでいった彼女の曲は確かに変わっていった。これは私の感覚だけれど「分かりやすい曲」から「分かりにくい曲」になっていったような気がする。私の母は私が曲を聴いていると「何て言ってるのかわからん」と言っていた。私は母に「若い人向けだから」と返して空気を悪くしたのだが。けれど、「何て言ってるのかわからん」ような曲はライブで生きるのだ。低迷期とされた時代の彼女のライブはダンスもキレッキレで何度見ても息を呑むばかりか、擦り切れるまで見ていたい。私は安室奈美恵のライブに「何て言ってるのかわからん」と評した母を同行させた事がある。20周年のドームツアーだ。あれ以来母は「安室ちゃんって凄くストイックだよね。じゃないとあんなライブ出来ない。声もよく出るし。あの子は凄いわ。」とコメントしている。ファンである私、鼻高々である。
いつからいつまで、とは言えないけれど「安室奈美恵から離れていたなぁ」と思う時期があるならばその時期のライブを見て欲しい。安室ちゃんは相変わらず歌とダンスが上手くて、顔の小さな可愛らしい女性なのだけれど、それに加えて見ている私には「自分の好きな音楽とパフォーマンスを見せたい」という彼女の気持ちがガツンと伝わってくるのだ。

そして「時代が安室奈美恵に追いついた」なんて言われつつ、再び安室奈美恵人気が上がってくる。
長年ランキング1位から遠ざかっていたオリジナルアルバムも首位復活、「BEST FICTION」は久しぶりにミリオンセラーを記録する。「BEST FICTION」には「最高の作り物」という意味で、彼女がイメージする強い女性像をイメージして作られたものらしい。

それならば、安室奈美恵は昔の安室奈美恵とは違うのか。

少し前に、知人に安室奈美恵のライブツアーのDVDを見せた事がある。ダンスパフォーマンスよりも驚かれたのは「え、安室奈美恵ってこんな風に可愛く笑うんだ!」という事だった。知人の中の安室奈美恵は「ダンスが上手く、謎に包まれたクールな女性アーティスト」らしい。その時ふと私は「もしかしたら知人の抱く安室奈美恵というアーティストは、安室ちゃんが作り出したかったBEST FICTIONな安室奈美恵なのかもしれない。」と思った。勿論私は安室奈美恵ではないので想像の範囲に過ぎないのだが。
けれど、安室ちゃんが昔懐かしい曲を歌う時、そこには何の違和感もない。「今の安室奈美恵が歌えば、こんな風になるんだなぁ」というよりも私には「私も安室ちゃんの年齢になったら」と夢を見た安室奈美恵がそこに立っている。走って、笑って、生き生きと昔の曲を歌う彼女に、私は当時の自分が蘇るような感覚を覚えるのだ。

安室奈美恵の何に憧れたのか。

私は安室ちゃんが若い時から描いていた安室奈美恵というアーティスト像に憧れていたのか?
いや、もしかしたらそのアーティスト像を具現化する為に自分を表現者としてストイックに追い詰める安室ちゃんに憧れていたのではないだろうか。

時代が流れても安室ちゃんはそのアーティスト像を変えずに表現し続けてくれていた気がする。
可愛く、かっこよく、ダンスや歌も完璧な安室奈美恵という存在。
アムラーと言われていた時代から随分経ったけれど、安室奈美恵はあの頃の姿とあまり変わらないままステージの上にいる。
ブーツに短いスカートで、長い髪を揺らし、歌って踊る安室奈美恵というアーティストはどんなに時が流れてもステージの上にいたのだ。
私が憧れたのは、いや、私が日々彼女への憧れを増していったのは間違いなくこの、ブレない安室ちゃんだと思う。
やりたい音楽、描きたいアーティスト像、安室ちゃんが作り上げて行く「安室奈美恵」という確固たる存在。その為に何を言われても、どう評価されても彼女はその道を走り続けていたように思える。真正面から安室奈美恵を見ながらも、走り続ける彼女の背中を見つめていたような気さえする。
彼女は世間に「安室奈美恵として生きる」ダイヤモンドのように固い意志を追い続けさせたように思える。

そして、今年の9月。
安室奈美恵は幕を降ろす。

私は思うのだ。
この先自分が老いて、段々と知らない芸能人や歌手が増えていくだろう。その時、私の持っている音楽を作ったり、歌ったりしてくれた人達のどれ程が同じように活躍しているのだろうかと。「あぁ、こんな人がいたなぁ。」とか「懐かしいな、この曲。」「流行ったなー、この歌」とか、不意に思うこともあるだろうし、「若い時、好きな歌手は誰だった?」とか話す時もあるだろう。
そんな時、「私は安室ちゃんが好きだったな。」と思い出して、懐かしいような、寂しいような気持ちになるのだろう。
彼女は私が髪を伸ばすだけしか出来なかったあの時から変わらず、安室奈美恵だった。安室奈美恵というアーティストを崩す事なく、ずっと安室奈美恵でいてくれた。これからも間違いなくそうだろう。
なぜなら、いつか年老いた私が懐かしいような、寂しいような気持ちで安室奈美恵を思い出す時、脳裏に蘇る彼女はこれまでと変わらない安室奈美恵だ。変わらないままの安室奈美恵なのだ。
それは、安室奈美恵を表現し続けた安室ちゃんも、そして私達ファンにとっても幸せなことかもしれない。

引退の理由もいらないし、憶測も望まない。
ずっとずっと、安室奈美恵は安室奈美恵で残る。
そう考えてみれば安室奈美恵はアーティストへと進化したように思えて実は、ファンに夢を与え続けるアイドルのままだったのだろう。

そう考えればこの引退は、安室奈美恵が最後にくれた最高の贈り物なのかもしれない。

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