398 件掲載中 月間賞発表 毎月10日

2017年4月20日

かやれん (20歳)

赤いクルマと、母親の背中

175R『MELODY』と結びつく幼き頃の記憶

 
 

父親がいないことに気がついたのは5才のときだった。

当時僕は保育園に通っていて、いつも夕方ごろになると遊んでいた周りの友達は迎えに来た親と先に帰ってしまう。僕はコマ遊びが好きだった。みんなが帰ったあと、僕はいつも園内で一人でコマを回していた。あたりがすっかり暗くなり、夜6時を過ぎると仕事を終えた母親が迎えに来てくれた。母親はいつも保育士に申し訳なさそうに頭を下げていた。そのとき、幼いながらも父親がいないということに気がついた。そういえば、父親の顔も見たことがなかった。
 

小学校に上がり、母親の帰りはさらに遅くなった。

それでも休日は姉と3人で公園に出掛けてくれたし、僕をサッカースクールに通わせてくれた。僕は今20歳だが、そのときのことは今でも覚えている。
当時母親は赤くてカッコいいクルマに乗っていた。車内では母親の好きな175Rのアルバム『MELODY』がいつも流れていた。僕は後部座席から運転する母親の背中を見るのが好きだった。
 
 

記憶は、音楽と結びついていると思う。

今でも175Rのアルバム『MELODY』を聴くと歌詞までしっかり覚えているし、当時のことが鮮明に蘇ってくる。
 
 

「-わかったフリをして いつも全てにつば吐いてた 大事な事にやっと気づいた 目に見える物だけじゃないんだ」(GLORY DAYS)
 
 

若い男が家にずっと居候していた。後から知ったのは、そいつが母親の彼氏だったということ。その若い男はいつも煙草を吸っていた。たまにCDショップに連れて行ってくれたり、母親のギターを弾いてくれたり、優しかった。僕はこの人が父親になってくれるんだと思っていた。ある日、母親とその男が楽しそうに話しているのを見て、僕はかまってほしくて灰皿に手を伸ばした。吸いがらは僕の目に入った。そのときのことはよく覚えていないが、僕の目に入った吸いがらを必死にタオルでこする母親と男が激しく口論をしていた。
翌日、そいつは母親のギターを盗んで出て行ってしまった。
 
 

「-いつまでたってもソコで立ち止まって歩き出す事 自分を信じていかなくちゃ 過ぎ去った事にクヨクヨしてたって目の前にしか道は開かないだろう?」(My life Your melody)
 
 

小学2年生のころ、ニンテンドーDSが流行った。クラス中のみんなが持っていて、僕はたまらなく欲しくて母親に何度もねだった。しかし家は貧乏だったのでなかなか買ってもらえなかった。どうしても欲しかった幼い僕はそこで悪知恵が働き、母親に見せるための日記を書き始めた。そこにはDSを持っていないからという理由で友達から「貧乏人」と言われること、ゲームを持っていない僕は友達の輪に入れず一日中自転車を漕いで遊んでいたことなどの嘘八百を書き連ねた。母親はその日記を読んで、僕に見られないところで泣いていた。
翌日、母親はニンテンドーDSを買ってくれた。しかし、僕の罪悪感はモヤモヤとしたまま消えなかった。
 
 

「-右手に鎖を 左手にナイフを 夢を見る事を忘れた人達 あなたに自由を 君にはいつでも 会いたい誰かに会える為のパスポートを」(パスポート)
 
 

当時、サッカースクールに通っていた僕は風邪などの仮病で練習を休みがちになっていた。僕は母親がサッカーが好きだったからという理由で始めたのだが、強豪のサッカーチームは学年が上がるにつれ、居心地が悪くなった。それでも毎週日曜日は練習試合があったため、母親は無理やり僕を赤いクルマに乗せて会場まで送ってくれた。僕は後部座席にうずくまって、母親が運転する背中を見ていた。車内ではいつもと同じく175Rの『MELODY』が流れていた。
そんな日々が続いていたある日、母親は僕に「嫌ならやめていいよ。あんたには自分の好きなように生きてほしい」と言われた。優しい口調だった。僕はその後小学6年生までサッカーを続け、中学校に上がる前にやめた。
 
 

「-哀しみはいつの時も僕の事を励ましてくれた 流してきた涙の後 残してきた僕の足跡 喜びはいつの時も精一杯の笑顔をくれた たった一つの誇れるモノを 胸に抱いて生きていけばいい」(PICCASO)
 
 

僕は20歳になった。その三ヶ月後、母親がガンになった。

1262号室。手術後、そこには生気を失ったように弱った初めて見る母親の姿があった。身体に突き刺さる無数の管、ひっきりなしに鳴るナースコール。抗ガン剤を投与している隣の患者は副作用によって髪の毛が抜け落ち、死んだような目をしていた。病院の食事はおかゆや煮物、卵スープ、メロンなど。僕にできるのはそれを運ぶだけだった。
リンパを巻き込んだ5時間の手術。取り除いたガン細胞。もし再発したら今度は助からないらしい。5年は油断できない。母親が抗ガン剤を投与する姿は見たくなかった。

現在は赤いクルマの代わりに、グレーの軽自動車に乗っている。

もう母親が運転する背中は見られない。
 
 

「-いつかこの場所でサヨナラを言うよ 新しい旅はまた始まっていくから 前が見えなくて明日が恐くても 僕が変えてみせるよ 空の向こうに」(夕焼けファルセット)
 
 

そんなとき、175Rが6年ぶりに活動を再開するということを発表した。

僕が175Rを最後に見たのは2008年の4月、日比谷野外大音楽堂にて行われた『175R 10周年感謝の野音! THANK YOU FOR THE FAN』というワンマンライブだった。母親と姉の3人で行った野音は僕にとって、初めてのライブだった。初めて生で見るSHOGOは離婚したばかりなのに、ステージ上ではそんなこと感じさせない熱量のこもったパフォーマンスで、前向きで溌剌としたメッセージを歌に乗せて観客に伝えていた。
僕は当時『MELODY』の収録曲しか知らなかったが、20歳になり、活動を再開した175Rのライブに母親を連れてもう一度見に行きたいと思っている。
 

今度は僕が運転している背中を、母親に見せる番だ。

  • 投稿作品の情報を、当該著作者の同意なくして転載する行為は著作権侵害にあたります。著作権侵害は犯罪です。
  • 利用規約を必ずご確認ください。
音楽について書きたい、読みたい