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生きるチカラをくれたBUMP OF CHICKENの音楽

「喪失」の先にある光

音楽との出会いはいつどこに転がっているかわからない。
わたしのBUMP OF CHICKENとの出会いも偶然だった。

ドラマ「白線流し」をきっかけに好きになったスピッツ。それなりに長い期間ずっとスピッツばかり聴いていた。
ある日のこと、パソコンでスピッツのMVを見ていたら、右に並ぶ次の動画にBUMP OF CHICKENの‘ray’が上がっていた。
「へええ、BUMP OF CHICKENか、‘天体観測’は知ってる、好きな音だったけど、今はどんな曲を歌ってるんだろう…」と何気なくポチっとした。

わたしがBUMP OF CHICKENの沼にはまり込んだ瞬間だった。

「なんかキラキラしてる、え、BUMPって今こんな曲やってるの? え?初音ミクとも歌っている、え?え?」
次から次へとMVを観て、翌日にはCDを探しにショップへ走っていた。
 

“自分で選んできたのに 選ばされたと思いたい”―(please)forgive―

自分なりに夢があった。しかしその夢はあきらめざるを得なかった。それだけのものだったのだろうと言われれば、はいそうです、と首をうなだれるしかないのだが、実現に向けて何が何でもやってやる!という気概がそもそも自分に無かっただけなのに、それを認められなかった。
夢を追うことも実現することも出来ない経済的な事情、それを全て夫の生き方のせいにし心に棘を生やしていた。そのように選ばざるを得なかった家の状況をただ恨めしく思うことしか出来なかった。
夫の生き方暮らし方、その存在さえも受け入れられなくなってしまっていた。そしてそういう思いにかられる自分が、ひとのせいにばかりしている自分が実は一番情けなくて嫌だった。ひとりになりたくて家を出ることを決意した。
3人の息子たちもそれぞれに自らの決めた道を歩き始めていた2012年のことだった。

新しい自分になるのだと勢い込んでひとりの生活を始めたが、そう簡単に思い通りに事が運ぶ訳ではなかった。
突然の父の死。1年3ヶ月の間に3回の引っ越し。
腰から左足の親指にかけて酷い痛みを感じ始めたのは3回目の引っ越しが終わった直ぐ後だった。
歩くのも辛かった。5分で行ける距離が痛みのせいで20分くらいかけないと辿り着かなかった。近所の整形外科で椎間板ヘルニアと診断されリハビリに通う日々。それでも仕事には行かなければ食べていけない。勤務を終え痛む身体を引きずりながら地下鉄を降り、駅を出たとたん涙が溢れて毎日泣きながら帰宅した。部屋に入るなり声を上げて泣いた。

痛みで仕事を続けることが困難になり一旦退職して次の仕事を探す日々の中でBUMP OF CHICKENと出会った。
自分でも一体これはどういうことなんだろう、と思うくらいずぶずぶとはまり込んでいった。

彼らの音楽は決して「がんばれ」とは言わない。ただそばに居てくれるだけだ。そんな音楽は初めてだった。

彼らの音楽に出会ってとにかくライヴに参加したかった、生身の彼らの姿と音に触れたかった。 STADIUM TOUR 2016 “BFLY”のチケットを取ることが出来た。目の前に生身の4人が居て、CDでもDVDでもない、直接耳にし目にする彼らの音と姿だった。夢のようだった。ただただ楽しかった。生まれて初めてライヴのために遠征もした。

少しずつ身体の痛みとの付き合い方がわかってきた頃、新しい仕事に就くことが出来た。
 

BUMP OF CHICKENのライヴに行くとリスナーの年齢層の広さに驚かされる。そもそもチケットの取れなさにまずおののくのだが、さもありなんだ。10代、20代はもちろん、50代、60代とお見受けする人たちもたくさん目にする。同志が居る!と嬉しくなる。幸いにもBUMP OF CHICKEN TOUR 2017-2018 PATHFINDERも複数の公演に参加できたのだが、どの会場にも幅広い年代に沢山のファンが居て、みんなライヴに行きたくて行きたくて、必死の思いでチケットを手に入れやってきていた。

こんな歳になって何に魅かれたのだろう。
ツイッターを通して知り合った、社会人や大学生・高校生の子どもが居たりするそれなりの年齢のリスナーたちも、話を聞くと最近ファンになったという人が多い。過去と記憶の積み重ねがあるからこそ、失ったパズルのピースが少しずつ埋められていくように心の奥底に響いてくるのかも知れない。

わたしは音楽の好みは言葉よりも音で決めることがほとんどだ。歌詞を聞くより、メロディーだったり音やリズムで‘好き’が決まる。
ところがBUMP OF CHICKENの音楽は、音はもちろんだが、歌詞が迫ってくるのだ。突き刺さる。何度も聴いていても、ある日突然歌詞が心に浸み込んでくるのだ。これはこういうことを歌ってくれていたのか!と。わたしのことをどこかで見ていたのですか、と言いたくなる。
 

人生は喪失の連続だ。家族、友人、夢、絆、健康、仕事、記憶、、、
生まれた瞬間から喪失の日々が始まる。容赦なく死へと向かう。得るもの、出会いがあるということは、それを失う時が必ずやって来る。自らの意志で手放すこともある。今、自分のこの命があるということは、必ず終わりの時が来るということなのだ。

その『喪失』を唄にするのが藤原基央という人だ。
BUMP OF CHICKENの楽曲の多くが『喪失』を歌っている。失ったもの、いつか失うもの、そしてその喪失について彼は明るいメロディーを言葉に添わせて届けてくれる。
失ってしまったものも、これから失うであろうものも、その存在した過去や今があるから存在したことは確かなことなのだから大丈夫だと唄う。

“お別れした事は 出会った事と繋がっている” ―ray―

“掌が覚えた 自分と近い 自分のじゃない温度
 君がいない事を 温もりから教えてもらった”―グッドラックー

“そしていつか星になって また一人になるから
 笑い合った 過去がずっと 未来まで守ってくれるから”―宇宙飛行士への手紙―

息子のような年齢の藤原基央という人が創り出す言葉とメロディーが、こんなに歳の離れた者にも深く強く迫ってくる。いや、歳を重ねてきたからこそわかる、彼の紡ぐ言葉の意味、深さ。いろんなことを経験して、失うことが日常になってしまった、この歳まで生きてきたものにこそ伝わる彼の言葉、BUMP OF CHICKENの音楽。
 

家族のかたちに無理矢理終わりを告げて出てきてしまった自分が選ぶべき道は他にもあったのではないかとの想いがずっと頭から離れなかった。手放したことを後悔する日々に出会ったBUMP OF CHICKENの音楽は、いつかは誰もが全てを失うのだから、それでも過ぎ去る今という時を生きるしかないのだから、悔やむことはないのだ、みんないろんな想いを抱えて生きているのだからと言ってくれている気がした。

人生は確信からはほど遠く、常に迷いのままに進んでいく。そして、生きるとはそういうものなのだという寂しい諦めの連続でもある。
しかし、今、わたしには生きる支えになってくれる音楽がある。出会えて良かったと思えるものがある。それはとても幸せなことだ。

失うことを恐れるのではなく、出会えたことを喜びたい。
BUMP OF CHICKENの音楽と出会った事、その音楽を通してたくさんの素晴らしい友人と出会えたこと、いつか失うものだと分かっていても、わたしはその出会いに「今」を生きるチカラを得ている。

“消えない悲しみがあるなら 生き続ける意味だってあるだろう
 どうせいつか終わる旅を 僕と一緒に歌おう”―HAPPY―

生きていく果てには『喪失』のみがあるのだとわかっているからこそ、
“「イマ」という ほうき星”―天体観測―
をわたしはこれからもずっと追い続ける。

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