1087 件掲載中 月間賞発表 毎月10日
この数字はTwitterやFacebookでのリツイート・いいねなどの反応数を合算して算出しています。

矛盾する心を連れたひとつの身体

米津玄師「アイネクライネ」の表象

 米津玄師の“アイネクライネ”が好きだ。とても、好きだ。
 米津玄師という名前を至るところで目にするようになって、実ははじめ、その名前に対して近寄りがたさに似た感情を抱いていた。かっこよくて、キマっていて、なんだか雲の上の存在みたいで、「みたいで」というか実際そうで、だから私は関われないな、と思った。でもやっぱりその名前は、彼から世界に滲み出る雰囲気は、音楽に限らない部分での強さや無視できなさを孕んでいたから、私はずいぶんと勇気を出して、YouTubeでいちばん再生回数の多かったその曲を、再生してみたのだった。

〈あたしあなたに会えて本当に嬉しいのに/当たり前のようにそれらすべてが悲しいんだ/今痛いくらい幸せな思い出が/いつか来るお別れを育てて歩く〉

思い切ったように息を吸い込む音から始まる。弾かれるような音が印象的な心地よい旋律と、思わず目を見開いてしまうようなひりひりとした歌詞が、そのふたつの相容れなさが、一瞬で心に染みた。その始まりを知ってしまったら、もちろん続きを聴かずにはいられなくて、最後まで聞き終わってまた、始まりから再生した。何度も何度も、聴いた。それくらい、私にとってこの“アイネクライネ”は衝撃で、その衝撃は、新しさからくるものではなくむしろ懐かしさからくるものだった。この曲に歌われている感情を私は知っている、と思ったし、ずっと私が連れてきた感情をこの曲は知っている、とも思った。とにかく、“アイネクライネ”と、“アイネクライネ”を歌う米津玄師という人を、私は好きだろうな、と思った。でもそれは言葉通り、「好きだろうな」というどこか他人事な予感でしかなくて、「好きだ」と言い切るにはきちんと、そのわけを知る必要があると感じた。
 

 何度かこの曲を聴くうちに、私の頭の中に浮かんできたイメージが二つある。それは、「童話」と「メトロノーム」だ。
 「童話」は、“アイネクライネ”の白鍵的旋律や、一瞬で意味が染みてくるような言葉選びから、そう感じた。童話、子どもが手に取れる分かりやすさ、誰にでも伝わる普遍さ。言い換えるならそんなものたちが、“アイネクライネ”にはある。それは、聴く者の心の中に確かに在りながら忘れ去られていた感情や感覚を、優しく呼び覚ます呼びかけになるのだった。半ばノスタルジーにも似たような、誰の心にもある言葉以前の言葉を、米津玄師は知っているのではないかと思った。そして、そんな「普遍」な表現が「平凡」にならないところが彼で、たとえば“アイネクライネ”のサビの部分がまさにそうだ。

〈消えない悲しみも綻びもあなたといれば/それでよかったねと笑えるのがどんなに嬉しいか/目の前の全てがぼやけては溶けてゆくような/奇跡であふれて足りないや/あたしの名前を呼んでくれた〉

ひとつひとつの言葉はとても素朴で潔い。しかしその繋ぎ方や登場のさせ方、言葉の端っこの処理の仕方によって、そしてもちろん旋律との織り合わせ方によって、彼だけが作り出せる「手触り」があるように思った。美しいという点では普遍でありながら、その手仕事それ自体は誰も替わることができない。そういう種類の強さを感じた。
 そして、「メトロノーム」。彼の楽曲である“メトロノーム”とは別に、音楽室で揺れるあのメトロノームだ。ここでメトロノームというイマージュが表すのは、一定のテンポを刻むというよりむしろ、相反する二極を絶え間なく均等に行ったり来たりするという、その性質だ。これは、旋律においてもリズムにおいても歌詞においても、共通して浮かんだイメージだった。階段を駆け上がって、躊躇して再び駆け下りるようなメロディ、ひとつの地点に回帰していくようなリズム、ポジティブとネガティブを往来する歌詞。その往来の軌跡が奇跡的な収まりを見せるのも、メトロノームの刻む時間への信頼を思い出させる。

〈あなたにあたしの思いが全部伝わってほしいのに/誰にも言えない秘密があって嘘をついてしまうのだ/あなたが思えば思うよりいくつもあたしは意気地ないのに/どうして〉

全部伝えたい、完璧に隠したい。受ける期待、返す失望。サビの直前で切実に問いを投げかけるこの部分に、二極の間を揺れ動く軌跡が映し出されているようで、思わず胸が痛くなる。
 

 そういう性質を持ったこの曲から、では一体、私は何を感じていたのだろうか。何を感じたから、“アイネクライネ”を、それを歌う米津玄師「好きだろうな」と予感し、そして「好きだ」と言いたくなったのだろうか。
 陳腐な言葉を使うことが許されるなら、私の感じていたものはずばり「世界への片思い」だった。そもそも“アイネクライネ”は、ありのままに聴いて「女性の切ない恋心」を歌った曲だと察しがつくのだけれど、私はこの曲に「女性の切ない恋心」以上のものを感じた。より壮大で、切実で、生き延びることそのものに関わってくるような。この世界そのものという〈あなた〉に恋をしていて、どうか私の思いが届いてほしいと願っていて、事実この世界と共にいることがとても幸せで。しかしその一方で、〈細やかで確かな見ないふり〉を繰り返しながら、この世界に生きていることを自分自身で認められずに、どうか静かに消え去ってしまいたいと切望する。でも一度でも〈あたしの名前を呼んでくれた〉世界に対して、〈あなたの名前を呼んでいいかな〉と問いかけずにはいられない。まさに、生きることと生き止めることの境界線上を、一歩一歩しっかりと体重を乗せて歩いていくような。そういう、張り詰めた空気と確かな足取りという一見矛盾したまとまりが、ひとつの音楽となって私の心をがっしりと掴んだのだった。そして、「女性の切ない恋心」がそこまで拡張されて耳に届くのは、「童話」と「メトロノーム」、普遍であることと二極のあいだを往来することの性質が働いているからにほかならない。
 

 また、「二極のあいだ」ということに関して、米津玄師のメジャーデビュー曲でもある“サンタマリア”を聴くとより腑に落ちる部分がある。重みのある雫がぽたりぽたりと落ちていくような印象を受ける曲で、この曲もまた愛してやまないのだが、私はこの“サンタマリア”をある種の象徴として受け取った。

〈掌をふたつ 重ねたあいだ/一枚の硝子で隔てられていた/ここは面会室 あなたと僕は/決してひとつになりあえないそのままで/話をしている〉

世界観、という言葉を使うといささか平たい表現になってしまうが、言うなればそういうものが、この曲に表れているように思った。そしてそれはやはり、何か融け合わない二つのものの存在とその接触なのだった。
 そんな世界観を踏まえて、では何を目指しているかというのが、サビの最後の歌詞で明らかになっているように思う。

〈一緒にいこう あの光の方へ/手をつなごう 意味なんか無くたって〉

決定的、という言葉が思い浮かんだ。こういうことなんだろうな、と思った。差していることだけはきちんと分かっている〈光〉の方へ、何か生み出すことはできなくてもそれはただ「出会えたから」という一点のために、二人で。〈意味なんか無くたって〉ということが、ある種破壊的な威力を持ってここで響いている。その破壊的、の意味は決して暴力的という意味ではなくて、全ての小難しい理屈や凝り固められた建前を清々しく取り払ってくれるような、そういう正義の破壊だ。
 

 “アイネクライネ”はおそらく、そういう営みの中で生まれたひとつの小さな恋なのだと思う。生きていくこと、この世界という場で世界と共に生きていくこと、それ自体への切実な片思いだ。成就しないかもしれない不安に、その恋は嫌悪へと変わってしまう危険をいつでも孕んでいて、でもその相反する二つの心を「持っていていい」というのが、この曲のメッセージのひとつかもしれない。矛盾する心を、それでもひとつに繋ぎ置いておくのが身体の役目でもあって、その「生身であること」というのが、ハチから米津玄師への点の連続の中で生まれてきた主題とも読み取れる。
 

 “Lemon”のヒットや“LOSER”への再注目が湧き起こる中で、今“アイネクライネ”について語ることにどれほどの価値があるかは分からない。それでも、米津玄師の音楽と私を引き合わせてくれたこの曲を、この曲への思い入れを、こうして書かずにはいられなかった。そんな「衝動」を与えてくれる米津玄師の音楽と、これからももっと出会っていきたい。

  • 投稿作品の情報を、当該著作者の同意なくして転載する行為は著作権侵害にあたります。著作権侵害は犯罪です。
  • 利用規約を必ずご確認ください。
  • ハートの数字はTwitterやFacebookでのリツイート・いいねなどの反応数を合算して算出しています。
音楽について書きたい、読みたい