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忘れていた時間のこと

BUMP OF CHICKEN「記念撮影」より

遠くに聞こえた
遠吠えとブレーキ
一本のコーラを挟んで座った
好きなだけ喋って
好きなだけ黙って
曖昧なメロディー
一緒になぞった
(記念撮影)

『好きなだけ』とか『曖昧』だとか、不確かな時間が流れていたあの頃のことを思い出す。気がつけば外は真っ暗、急いで家路に向かうことは、何度もあった。この曲を聴いて懐かしむ。その時間の感覚を大人になった今に至るまで、すっかり忘れてしまっていた。

ねぇ きっと
迷子のままでも大丈夫
僕らは何処へでもいけると思う
君は知っていた
僕も気付いていた
終わる魔法の中にいた事
(記念撮影)

当時、転校が決まっていた私は、寂しいという気持ちの落としどころをずっと探していた。放課後、友達とたくさん喋った校庭も、帰り道も、日常が全部消えてなくなってしまう。その重みは、小学生だった私にとっては耐えがたいことだった。転校までのカウントダウンが始まってもなお、友達との変わらぬ毎日を過ごしていた。私だけがその空間からいなくなることは、嘘みたいだった。昨日あった何でもないことを話したり、落ち葉をかき集めてダイブしたり。繰り返し、同じことで大笑いした。くだらなかった。でも、時間を忘れるほど、とても楽しかった。近づいてくる別れを吹き飛ばすほどの、夢中な時間が流れていた。

転校してからも、寂しさの落としどころは見つからなかった。新しい友達が出来たって、記憶に残るワクワクには程遠い。だから、誕生日会やお別れ会の写真を引っ張りだしてきては、あの頃のことを思い出していた。戻りたいと、本気で思って、写真をしまう。それを繰り返していた記憶がある。

そして今
想像じゃない未来に立って
相変わらず同じ怪我をしたよ
掌の上の 動かない景色の中から
僕らが僕を見ている
(記念撮影)

だから、知っている。
誰かと撮った思い出の写真を一人で見返すのは、とても寂しいということを。あのときこうだったよね、と頷いてくれる誰かに、やっぱり隣にいてほしい。誰かと一緒に見て、笑い合って、現在進行形にしたい。

写真は、すぐさま過去になってしまう。過去を、現在ここには流れていない日常があったことを、写真は写し出す。それを形として確認しなきゃならない。それは、当時の私にとって、終わりを受け入れることと一緒だった。終わりを一人で確認することは、とても怖い。もう絶対に、あの時と同じ時間には戻れないのだ。

あれから、いくつも終わりを経験してきた。別れや限界、身近な人の死に触れる度に、命と時間が有限であることを知った。その度に、どうしようもないことだと、時間が癒してくれるのを待った。考えても仕方のないことだと、折り合いをつけた。今でも私は、終わりの恐怖からいつも逃げ回っている。

でも、この記念撮影を聴いたら思い出してしまった。
終わりと向き合ってきた過去と、それをしまいこんでしまったことを。遠くにいる手紙をやりとりする友達にも、近くにいる大切な誰かにも、言えなかった寂しい気持ちが、嘘みたいに溢れてきた。彼らの曲は、不思議と、正直な自身の気持ちを引き出してくれる。それは、彼らの曲がどこまでも、終わりの恐怖に対して肯定的だからだ。
彼らの曲に肩をたたかれて、ふたたび思い出す。寂しさで支配されそうな時間と、それに負けないほどの、『好きなだけ』や『曖昧』で満たされた眩しい時間があったことを。終わらせたくない時間は、ちゃんと心に残っていた。
今の私は、時が経つことや不安を忘れるほどの、輝かしい時間を持ちあわせているだろうか。

目的や理由のざわめきに囲まれて
覚えて慣れて ベストを尽くして

思わず、『目的や理由のざわめき』という歌詞にはっとさせられる。大人になった私は、目的や理由に覆いつくされている。『好きなだけ』や、『曖昧』とは正反対の場所にいる。
それは、終わりの恐怖と戦っている全ての大人たちが辿り着く、一種の答えのようにも思う。命と時間が有限であることを知っている私たちは、目的や理由を輝かせることで、今を精一杯生きる方法を探ってきたはずだ。後悔しないために、いつだって必死にベストを尽くそうとしている。職場でも家庭でも、たとえ誰に認められなくても、それは当然のように繰り返される。毎日、目的や理由と向き合いながら、無理だなって愚痴りながら、全力投球だ。それがたとえ、昔の自分とはかけ離れたところにいても、とてもカッコいいことだと思う。ざわめきと名付けるしか、言葉が見つからなくても、カッコ悪くたっていいと思う。
しかし、『ざわめき』という歌詞によって、私自身が、なんの面白味も、ワクワクも用意されていない時間に、支配されてしまっていることを自覚せざるを得なくなってしまった。目的やベストという言葉に支配されてしまっている私には、あの頃のような輝かしい時間は、もう訪れないのかもしれない。取り戻そうにも、難しいかもしれない。
 

と、ここまで音楽文を書いていて、筆が止まってしまった。
この文章の先に感じた、この記念撮影という曲がもつ凄さを、表現する言葉が見つからなかったからだ。真夜中、必死で考えたけれど、気持ちにぴったりと当てはまる言葉は出てこなかった。何度も書き直したけど、無理だった。送るのはやめようかと、悩んでいたら、救世主のように、ある音楽文が教えてくれた。

同じ、記念撮影という曲について書かれた音楽文である。

いつものように音楽文サイトを真夜中に開くと、タイトルを見た瞬間、『これだ!』と叫んでしまった。

彼なのか、彼女なのかもわからない、どこかの誰かが表現してくれた『時限装置』という言葉に、私はとても感動してしまった。ここまで読んで下さったあなたにも、ぜひ読んで欲しい。

時限装置とは、
一定の時間が過ぎたら、動き出したり停まったりするもの。

まさにその表現こそが、私が記念撮影を聴いてから、ずっと見つけたかった言葉だった。

寂しい気持ちで写真を見返していた頃の記憶のなかに飛び込んで、再び写真を振り返る。
迷子のままでも、折り合いをつけながら過ごしてきた今と、時空を飛び越えてやってきたその輝かしい時間はくっついている。
記憶に残る、『好きなだけ』や『曖昧』な時間が、目的や理由、時間にも支配されないどこへでも行ける切符だとしたら、私はすでに持っているはずだ。
時間が経ったおかげで、輝きだしたその記憶は、終わりを迎えたその寂しさは、これから私を照らしてくれると思う。

この曲を届けてくれたBUMP OF CHICKENにはもちろんだけれど、
きっと、何度も書き直して、記念撮影という曲の魅力を、本質を考えぬいて、教えてくれたあなたに、感謝したい。

忘れていた時間がさらに輝きだし、やっとこの音楽文が完成したのは、前述の音楽文のおかげである。

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