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「桜の花、舞い上がる道を」探す旅

エレファントカシマシが突然転がってきた件

3月18日さいたまスーパーアリーナへ、エレカシ・スピッツ・ミスチルが揃う、「ド・ド・ドーンと集結!!~夢の競演~」を、お得なバリューセットだ~楽しみ!と浮かれた気分で参加した。
私的には、スピッツ、ミスチル、エレカシの順で楽しみにしていた。
が、なんと一番衝撃的だったのが、まさかのエレカシだった。

スピッツもミスチルもCDを持っているし、ヒット曲が場内を包めば、会場はそれぞれの思い出とファンの人達の声援が共鳴し、自分の思い出さえも史上最高に嵩上げされたような気分になり高揚した。

しかしエレカシはCDは持っていないし、曲に関わる思い出もエピソードもない。
なのに、ドドーンと衝撃波を喰らってしまった。

宮本氏は歌の途中で自分のギターを肩から外したかと思うと、再びギターを弾きたくなったのかメンバーから奪って弾き始めた途端に、また投げ出して歌いだす・・・という、
夢中になったら雨風かまわず猪突猛進し突破していく、まるでジブリアニメの主人公のような振る舞いに釘づけになってしまった。

「何なんだ この人!?」
クラクラしながら家に帰り、ネットでエレカシのライブ映像を若い頃から順を追って見続けた。

野生動物のように右往左往駆け巡り叫ぶように歌う、今までに見たことないライブパフォーマンスの連続だった。
歌手であればお客さんに届くように一生懸命歌うには違いないだろうが、届けたい届け!という叫びにも似た歌いっぷりが風圧となって私を襲った。
というか、それすらも本能なのか・・・?

歌詞の一節に共感して励まされて泣けたとか、元気が出たとかではなくて
身を振り絞って歌い弾ける宮本氏の姿に、歌詞や歌をすっ飛ばして、何か人間の本能的な生命力を揺さぶられてしまったのだ。
共感ではなく、明らかに自分の本能が呼びさまされて共鳴した。

会社員を25年もやっていれば、若い頃のような夢や希望や光など、もはや無い。
かえって邪魔だ。毎日の生活には、忍耐と我慢と継続性が重要だ。
生活費を稼ぐための仕事は修行と捉えた方が理解しやすい。
仕事のスキルをあげるには、淡々と粛々と与えられた仕事をこなすしかない。
予定調和な平凡な毎日が何より大事なのだと25年かけて刷り込まれた。
別段そこに絶望や焦燥感もない。ないが
あの日、エレカシのライブを見た日から、何かが、揺れて、鼓動らしきものが鳴っている。
天職だと言って不器用に全身全霊で歌う姿が、小さな夢さえ諦めて生活している中高年の私の渇いたスポンジに、染み渡る。

しかし若いころのエレカシライブ映像を見てると、歌を介して伝わるメッセージよりも、宮本氏自信の天性の輝きが勝っていて、うっかりノーガードでくらい凡人には刺激が強くてヒリヒリした。
共鳴した途端にメーターが振り切って、オーバーヒートする。
歌手であることは天職だと本人は言っているが、天職過ぎて、自然に歌え過ぎて、ペース配分や加減が分からないのではないかという気がした。
こんなライブを続けていけば宮本氏が消耗してすり減ってしまうのではないか。
感動する前に圧倒されて、思考停止になり、まともなレスポンスが返せない。
バンドにとってそれでいいのか?コール&レスポンスになっているのか。
下手したら共倒れになってしまいそうなライブ試合だ。

若い頃、私は対人関係が苦手であった。コミュニケーションを円滑にすることは、即ち仕事を段取り良くまとめあげることに繋がる。
そういう意味ではコール&レスポンスは、私の仕事の中にも存在していた。仕事上での取引先の人、お客さん、同僚、あらゆる場面で、見合った応対が求められる。
しがない、しょぼい会社員だけれど、この対応スキルは仕事を通じて失敗を重ねながら熟得していけた。

よくよく考えればエレカシだって客商売である。いくらクリエイティブだ、天才だ、と言われても、ライブで満足させなければ意味がない。
売れなければ認知されない。ヒット曲売れる曲を作りコンサート会場を満員にするために、右往左往・五里霧中・起死回生・試行錯誤しただろう。
セオリー通りにして売れなかったり、売れるために妥協したり、意に反する事、理不尽な事、裏切られた事、口にできないことなぞ山程あるだろう。
くだらないと思う曲が売れて、素晴らしいクリエイティブな曲が日の目を見ないなんてことも腐る程あるのだろう。
どのみち若い頃のままのモチベーションでやり通すことなぞ、心身ともに出来なくなってくる。
エレカシのことを言っているのか?自分のことをぼやいているのか混乱する程、一連のエレカシのライブ映像を見ていたら、ビッグデータと個人情報が同時に自分にインストールされてしまった。
とどのつまり皆同じさ、何が答えなのかわからないまま、必死で今を生きている。

そして25周年30周年のさいたまスーパーアリーナの『桜の花、舞い上がる道を』を歌うライブを見た。
近年のエレカシを見て、おや?と、思う。

若い頃の力で圧倒させる歌い方ではなく、歌詞の物語を体現するように大切に丁寧に歌いあげていた。

“わざと背を向けて生きてたあの頃 やってられない そんな そんな気分だった 
遠くのあの光る星に願いを…”
あんなに才能のある宮本氏でも、私達と同じようにやさぐれるのか。
なんだかそれはせつないぜ。あなたは花の輝きを持つ人なのに。
不思議だ、歌詞がすんなり入ってきて、そのレールの上を色んな人生が重なり走っていく。

“でも例えりゃあ人生は花さ 思い出は散りゆき ああ 俺が再び咲かせよう”
桜吹雪の中、両手を天に広げて花道を歩く。

“見ろよ 大いなる花”
ギターを外して、実はここにあるんだぜ、ここに、皆のステージが!と歌いながら教えてくれる。
けもの道か花道か、暗闇の桜吹雪の舞う中で、自分と歌と宮本氏の物語が交差して
大いなる花の舞台が観客全員に降り注ぐ。
花咲爺さんのように桜を舞い上げるステージ上の、むせかえる花の中の宮本氏を私は探す。

“確かに感じる 明日は来る さあ今おまえと行く 桜の花、舞い上がる道を”
確かに感じる。
生きているはずの自分の鼓動を感じたくてライブに行き、
流れ星のような一瞬光る幻を見て息を吹き返して、それを胸に、糧に、また自分の生活の軌道に戻っていくけど、
実はその幻のような光を放つライブは、彼らの労働と練習の果てに溢れた光の結晶であると知った時、鑑みた時、平凡な自分の中でも灯せる光や花であると、覚醒する。
同じけもの道か花道の上にいる同士だと、確かに感じる。
毎日の練習という名の労働が着火剤だ。
きっと誰もが、その光を灯せる。
若いあの頃とは違う同じ花を、咲かせられる。

“夢や幻じゃない くすぶる胸の想い笑い飛ばせ桜花”
宮本氏が目指す「エゴの無い歌」の定義はわからないが
『桜の花、舞い上がる道を』その世界に入り込みながら、再び現実へと橋渡ししてくれる大いなる再生の歌だ。
宮本氏自信の輝きを足掛かりにして、歌の世界へいざない、再び現実で生きてくためのエッセンスをチャージしてくれる。
この歌が持つ普遍的な世界観は、人々のテンプレートになり、カスタマイズされて
いつかエレカシや宮本氏すら超えて、その人の心の中で育っていく。
経験値が増えれば、その人の歌は強く育つだろう。
そして歌自身が力を蓄えて免疫をつけて、自らその歌で蘇り、更に光や希望をチャージできる。

“そんな気分だった 遠くのあの光る星に願いを…”
遠くのあの光る星は、エレカシであり、笑い飛ばせるほど強くなっている自分でありたいと、願う。
そんな気分だった。
「いい歌だよ!」叫びたい。
そんな気分だった。

さぁこれからのエレカシはどうなるのだろう?

人工知能やAIは、ライブ会場でのコール&レスポンスを取りまとめて、これからのエレカシの活動に役立てられるよう、指針を示せるのか。
あのライブで舞った紙の桜が、本物の桜吹雪に見えた根拠は示せるのか?
この胸の鼓動は、ビッグデータに反映されたのか。エレカシの輝きの成分は何なのか。そもそもデータ化できるのか。来年も好きでいるか?

もはや神様にしか分からない。

宮本氏が歌う 
“神様俺を見て”
コール&レスポンス。お客様は神様です。
私は言う「見てる。さぁ 歌って」

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