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風の中に答えが舞う夏

フジを演出に大観衆と渡り合う、ディランの果てしない挑戦

最近は数年のインターバルでジャパン・ツアーを果たしているディランだが、来日のインフォメーションを聞く度に驚きの声を上げてしまう。本当か、と。長くはない間隔での来日だから、その都度驚いていては何か大袈裟だ。心酔しきりと言ったらいいか、何処かディランに対しては盲目的で、周りが見えていないんじゃないか、というふうに思われるだろう。しかし決してそうではなく、自分では冷静に務めているつもりである。なのにディラン来日の報にだけは思わず驚愕の声が出てしまう。’10年以降に目撃しているツアーの告知では漏れること無く毎回「マジか」と、思わず声を上げてしまっている。
一ファンであるから好きな楽曲は幾ダースかあり、あれこれと取り留めなく並べることが出来る。ディランが歩むロードや旅先の風景、アメリカの果てしない大地を彼の歌声から想像することは代え難い至福の瞬間だし、そんな一瞬を眼前でボブ・ディラン・アンド・ヒズ・バンドが奏で、まるでロード・ムービーを観ているかのように展開されたりしたらー 想像の果てと実写の目まぐるしい交錯、そして放たれる天国への扉。そう例えたら伝わるだろうか。
だが、気づいたのである。自分はディラン来日というパッケージに驚いているのではない、と。私を打ちのめしているのは、その中に包まれている彼の止むことのない挑戦、そして最早ツアーとの境界が判然としなくなった人生、そしてディラン自身の演出能力。そのことに胸の鼓動が高鳴り、心を奪われている所以があるのだ、と。

’10年と’14年に開催された来日公演はライヴ・ハウスが会場だった。彼ほどのビッグ・ネームを座席の無いシンプルなハコで観ること、しかもディランがスタンディング形式の比較的小規模な会場でショーをするということ、そしてそういう場で彼の姿を目撃できることに理由無く格好良さを感じた。同時に何よりもディラン・バンドを小規模な会場で体験できる貴重な機会、間近で拝めるチャンスはそう滅多に無い、とも思った。所謂大物ミュージシャンのショーといえばスタジアムやアリーナを連想する。諸事情等考慮するべきことはあるだろうし、ディラン自身もそういう規模の会場で興行しない訳ではない。ただ、敢えて小さな会場を選び、その地に一定の期間根差し、連日連夜に渡りステージに立ち、そして何度でもプレイするところに、志のような、ディラン特有の反骨精神が見え隠れするのを感じてならない。ビッグ・ネームならばこうしなければならない、といった暗黙の了解事項からはほど遠く、当然のしがらみなど相容れぬところに彼のやり方や雰囲気はあり、そしてその方法を熟知している、そんなディランの流儀には、快くチケット代金を払って参戦しようじゃないか、という自身の気前の良さを感じたりもした。
彼の表現にはその長い年月が醸す雰囲気や匂いという要素が存在する。来日の度に一箇所を拠点とし、数日に及んで公演を開催することは、今では殆ど体験できなくなった、駅前や仏閣の広場で催されたサーカスや見世物、強いて言うと日本の祭りの雰囲気に近いものを感じさせる。コンサートやライヴと言うよりも、ショーとか興行と呼んだ方がしっくりとくるし、いかがわしさや猥雑さといった言葉までも想像できたりする。いくら近代的で快適なライヴ空間であっても、そこには黄土色をした泥の水溜りとか轍や砂埃が舞っている光景が見えてくるし、曲芸をする猛獣の鳴き声や、地球儀状の籠の中の壁面に沿ってグルグルと回り続ける曲芸オートバイの、甲高い乾いたエンジン音が耳奥で鳴っている感覚にも襲われたりする。ディラン自身がそういう匂いを体験し、それを鮮明に記憶しているという記述を読んだことがあるが、彼は日々続いている自らの日常を旅芸人に重ね合わせ、そうすることにディランにしかできない表現の一部分を担わせている。

そんな彼の戦い方に変化が起きた。前回’16年の来日、その一報は新聞の一面を使ったライヴ・ツアー広告によって届いた。「劇場で、ボブ・ディラン。」前回まではスタンディングだった彼のライブツアーが、規模をそのままに、何と座席指定のホールで催されるという。一面を使った広告の大きさも誇らしかったが、私を唸らせたのはその演出手法の変化だった。
そのツアーは現在まで三部作となっている、彼が幼少時から耳にし、感銘を受けてきたボーカル・ナンバーをカヴァーした第一弾アルバムに伴ったものだった。何度も歌い継がれ、カヴァーされてきた名曲の、究極の決定版を創る、ということを豪語した挑戦。ディランの胸中には、温もりある愛しい曲群に対し、余りにも敬意の無い気の抜けた紛い物たちが溢れていることへの苛立ちが湧き、それと比例するように、自身がそれらを歌い継ぐ相応のキャリアや年月を獲得してきていること、そしてもしかしたらそれらを愛し続けてきた自分にこそそれらがカヴァーされるべきで、自身が究極の完成形を提示できるのでは、という自信に昇華される思いが日増しに強くなっていったことが伺える。そしてツアー・パッケージの中では、これらの楽曲群が劇場の、あの燕脂色の座席を絶対的な必要条件としていること、そしてファンもその座席に腰を下ろしてこそ、それらの曲と対峙でき、そうしたいことを望んでいる、と察した。その演出法は、自身を「最先端を行く天才児としてではなく、ブルースやジャズやフォークの伝統の延長上に立つ者としてとらえている」とジョン・ハモンドの胸中を借りて自身の方向性を示した自伝の言葉と一致する。そしてディランの革新とは、思考やアイディアによって、特別に意図することなどなく当たり前のように存在し、日常気にもかけないもの、どちらかというと手垢にまみれたものにドラマを持たせ、自身の演出装置として、そして変化の材料としてしまうところにある。この一見すると「円熟を帯びた」と片付けられ兼ねない演出にこそ、彼が半世紀に渡り、身を挺し血肉化してきた、彼にしかできない戦い方がある。そして劇場では、彼の声色の変遷、ギターを弾くことが無くなったステージ・プレイの変遷、そして僅か数曲でしか語られず、しかもアレンジを大胆に刷新し、大きく姿を変貌させたディラン・オリジナル傑作群の変遷という挑戦を聴衆に突きつける。クッションの効いた居心地の良さ、そしてアメリカン・ミュージックの心地良さに昇天しながら、我々は同時にディランからナイフを突きつけられていた。挙げ句の果て、満場喝采の拍手沸き起こるショー終焉時、観衆はステージ上で整列したメンバーから、鋭利な目つきで睨まれるという落とし前までつけられる。

2018年3月。仕事を終え、ふと目にしたネット・ニュースに彼の顔写真が載っていた。その下には「ディラン、フジ・ロック参戦」の一行。またしても、である。私はディランが仕掛けた罠に嵌ってしまった。自身の演出法を熟知しているディランの能力、見せ方に魅せられてしまった。
ネバー・エンディング・ツアーとは、数十年に渡り継続されているディランの果てしないライヴ・ツアーに冠されているタイトルではあるが、もう彼の人生そのものを体現していると言っていい。世界幾多の都市、連日連夜に渡って行われるショーを繋げると浮かび上がる、地球をカンバスに描いたその果てしなく長い軌跡。ミュージシャンとしての才能に生涯という途方も無いスケールをひとつの表現手段としてしまっていることや、それ自体を証明すること、証明していくことに長い年月を費やしている壮大さや逞しさこそが、自分を、そして世界中の多くのファンを魅了し続ける理由のひとつとなっている。

77回もの夏を経験してきた男が、壮大な自然に立ち向かう姿とは一体どういったものだろう。
だが、もう、想像も、イメージを喚起することも、何もかも放棄していいのだ。フジ・ロックには轍も、水溜りもある。そして埃だって舞う。ミストが充満し、それに包まれる清々しい感覚。突然の激しい雨に途方を失う。山間を駆け抜けるゼファー、それが肌に心地よく感じることもあれば、愚かな風と化し、ハリケーンとなり、我々は時が経過するのを唯々ひたすら待つことも。ディランが揃えたい演出カードは総て手の内にある。どんな手を使ってくるのかー ディランの答が風の中を舞う。

スーズ・ロトロが寄り添い、雪で凍結したニューヨーク・グリニッジ・ヴィレッジの街路を歩く姿には、肌を刺す凍てつく風が吹いていた。その風に耳を澄ました時、その中には不条理に対する真理が舞い、人々はそれを信条と認め、賛同し、賞賛した。セカンド『フリーホイーリン・ボブ・ディラン』はあの『風に吹かれて』で始まる。彼の身を挺した長い旅は風に想いを託し、包まれながら始まった。彼はまだその路上にいて、その旅は一向に終わる気配などない。

旅の道中、山々に囲まれ、光量を落とした淡いスポット・ライトの中で、その男は幾世代にも渡る大観衆の前にその姿を晒す。

風に吹かれて、ディランがやって来る。
 
 
 
 
 
 
 

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