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ロックの衝動から柔らかな諦念、そして流浪へ

ルースターズ~ロックンロールジプシーズへの変遷

その友人の名はナベシマと言いました。だからナベジー。いたって普通。
イヤイヤ違った、表記はナベG。本人曰く、RCサクセションのG2に因み、ナベGでと・・・。
そのナベGからの突然の誘い。

「ルースターズのライヴ、一緒に行かない?誰も一緒に行こうって言ってくれないから。」

当時ルースターズの知識はうっすらとはありました。福岡のバンド、めんたいロック。
この頃THE MODSがマクセルカセットテープのCMでブラウン管に映し出され、
日本の青少年達に衝撃を与えていました。・・・一部の(健全なる)青少年達ですが。
それと比較すると、とある一地方都市では、このルースターズ多少、馴染みの薄い存在だったのは否めませんでした。悲しいかなこれが。
よっしゃ、取り敢えず行ってみようか、ナベG。

それから予習が始まりましたね。最新のアルバム「φPHY」、から「GOOD DREAMS」「DIS.」へと。うーん。どちらかと言うとU2やイギー・ポップ、エコー&ザ・バニーメンのようなサイケっぽい楽曲に、チョッと違うかなというユルい違和感を感じながら。
ゴリゴリのパンク系のロックを期待してましたからね。まあでもワクワク感はありました。どんなライヴだろう?って。

そして公演へのカウントダウンが始まる中、突然のナベGの固定電話連絡。
「ルースターズのライヴ中止だって。」
1985年4月。高校生活最後の年の春でした。

原因は、Vo.の大江氏の体調不良によるものらしいとのこと。しかも精神疾患だと。
予習の段階で結構ハマって来ていたので少なからずショックではありました。

その後、ルースターズ周辺情報として囁かれ始めたのがロック伝説的な話でした。
シド・バレット、ブライアン・ジョーンズ、イアン・カーティスなどの海外アーティスト達との類似性が取り沙汰され、興味本位な憶測のもと、神格化されていく様でした。
PCや、ましてや携帯電話さえないこの頃、情報は余りにも乏しく、鵜呑みにして聞き流すしかありませんでした。それが田舎の鼻たれパンク小僧の限界。
しかし、この事で逆に興味をそそられ、ルースターズに嵌っていくきっかけになったことは間違いありません。ハイ。

ついでと言ってはなんですが、1985年前後の話。それは昔話。
奇しくもこの頃、日本のロックシーンは空前のバンドブーム。
それに加え、ラフィンノーズ、ウィラード、有頂天などに代表されるインディーズバンドも台頭してきます。
反ビジネスロックを唱え、独自のスタイルを掲げて新たな層を獲得していき、益々ヒートアップ。そして群雄割拠するバンド達。

蛇足ではありますが、濫立するバンドもさることながら、集まるファン層も多様化し、パンクロック系、特にハードコア・パンクのライヴなどになると、唯、暴れたいだけのヤンキー経由のファッション・パンクスが集まり、ハラハラさせられたものです。喧嘩、暴動でライヴ中止などザラにありました。あ~おとろし。
うっすらと興味のある方は、上條淳士氏のコミック「TO-Y」をご閲覧下さい。
このコミックも当時流行りまして、割とマジでリアルなパンクス達の・・・。
イヤイヤ話がズレてきた。失礼。話を戻します。
兎にも角にもルースターズのライヴにもそういう輩が勘違いして来ていたらしいとの噂。
サウンド的にそういうイメージが強かったんでしょうか?
しかし、残念。そういった会場の雰囲気はおろか、ライヴ自体観れませんでした。
幻に終わりました。
 

それから2年後、灰色の空の下、赤茶けた鉄の街。
ルースターズの出身地、福岡北九州での衝撃。

博多80’sファクトリーでのルースターズのライヴ映像をかつてのルースターズ関係者から見せてもらう機会があり、拝見。取り敢えず、ようやく観れました。

まさにロックの衝動でした。圧倒的な大江氏のヴォーカル。
不安、焦燥、迷い、苛立ちを一気に吐き出すかのような疾走感。
予習していたサイケっぽいサウンドとは違う、変遷前の荒削りだけどシンプルでストレートな演奏。そしてMCも無く、ひたすらプレイする武骨なスタイル。
初期ルースターズこそ日本のロック。

特に1’stアルバム「THE ROOSTERS」。これは傑作です。間違いない。
日本のロック史において外せない1枚。
カヴァー曲も含めて、圧倒的な存在感で、衝撃の作品です。
「ロージー」やはり名曲です。

そうです。実は、途中のアルバムからルースターズを知り、そこから遡ってルースターズを確認する事になった中途編入のファンでした。
しかし、その「音」を聴くだけでなく、鉄の街に居て、その独特な空気を知ることで、そのサウンドの所以を少し理解できた気がしました。

九州の北の端の街で、遅れてきたパンク小僧、いやいやルースターズファンが一喜一憂していた頃、巷ではBOØWYがチャートインし、ロックシーンを席巻していました。
またこれに追随するかの様に、数々のバンドが濫立しました。加熱するバンドブーム。

一方、大江氏の脱退に伴い、ある意味バンドの音楽性を模索せざるを得ない状況になったルースターズ。ポップ路線への変更など試行錯誤を繰り返していました。
更にこのバンドブームという状況。
それとは一線を画すルースターズではあったものの、この過剰な“波”に、多少なりとも抗えない感がありました。
けど、やっぱ系統が違うんじゃねぇ?うん。多分、きっと。

そして「KAMINARI」。そんな混沌とした空気の中発表されたアルバムです。
原点回帰とも思える吹っ切れた快作で、前述の危惧は吹き飛びました。
それまでの重荷を降ろし、肩の力の抜けた感じ。初期のような荒々しさはないにしても、
怒涛の如く畳み掛けるサウンド。新生ルースターズを再確認しました。

その後、1988年アルバム「FOUR PIECES」の発売。そして、解散。
最後まで自分達の音楽を追求し続けた姿がありました。

あ~ぁ。なんか終わってしまった。何とも言えない虚脱感。
あんなにワクワクして新譜発売を待つバンドなんてこれから現れるかね?
めんたいロックという一連の流れにまとめられがちなルースターズ。
実際そう捉えていました。
けど、途中からサウンドも明らかにそれらとは異なり、唯一無二のバンドとなったことは間違いなく、大江氏の存在とその脱退、そしてその後の経過を持って孤高のバンドとなりました。
アルバム「FOUR PIECES」で新たなリズム隊が加入し、最高の好スタートを切ったかに見えた為に、唐突な解散の感は拭えませんでした。
 

ルースターズが解散、活動停止。様々な理由や解釈が紙面に踊りました。
しかし、どれも釈然としないものでした。
しかし時を経て、「柔らかな諦念」という概念に気付きました。そう、勝手な解釈。
セールス的に成功し、メディアに頻繁に露出し、ショービジネス化してしまったロックバンドが巷に溢れていたこの頃。
純粋にバンドとしてのサウンドを追求する傍ら、飽和状態を感じ、その顚末までも俯瞰していたのでは?そう「明らかに見て」いたのではないでしょうか。

更に「目指す音楽」と「売れる音楽」との矛盾。
そういった苦悩も介在していたかもしれません。憶測ですが。
それでも敢えて真逆の解散という方向に舵を切り、その活動に一旦のピリオドを打ったルースターズ。潔く、ルースターズらしい決断だったと
 

そして、かつての「鉄の街」にもジリジリと夏の暑さが近づいて来た初夏、
広いようで狭いこの街角で、印象的な出会いがありました。

それはルースターズの前身バンド、人間クラブのメンバーだった南浩二氏でした。
片田舎のハナタレパンク小僧だった頃には“伝説の人物”でした。げっ、この街にいたのか。
予想通りの風貌、存在感でした。そして、想像以上に無口で穏やかな人物でした。

丁度ソロアルバム「GLITTER」を発表したころで早速聴かせて頂きました。
ルースターズの下山氏のプロデュース、井上、池畑、大江氏など花田氏以外の人間クラブのメンバーが参加していました。何もメジャーで露出するのが必ずしも正解ではない。
そう思わせるには十分すぎる素晴らしさでした。

そして地元北九州でのライヴ。普段とは人格が変わったかのようなステージ。
もしや生粋のロッカー?そう思わざるを得ない威圧感が有りました。
そんなルースターズ・ファミリーでもある南氏との出会い。

その後も南氏とは度々顔を会わせる機会があり、様々な思い出が残りました。
生前は懇意にしていただいた事。有難く思います。
また、会える日まで。

ルースターズ解散後、各メンバーは個々に音楽活動を展開していきます。
ソロ活動、あるいはバックミュージシャンとして様々なアーティストと競演したりと、ミュージシャンとしての新たな地位を確立していきます。
そんな中、花田氏のソロアルバム「ROCK’N’ROLL GYPSIES」のレコーディングの為に下山、井上、池畑氏が参加します。
その後2001年北九州博覧祭で花田氏を含むこのメンバーがロックンロール・ジプシーズ名義で出演し、ヴォーカルは元人間クラブの南浩二氏がゲスト参加しました。
この一連の流れから2003年ロックンロール・ジプシーズとして活動を始めました。

そして“ロックの流浪”が始まります。宛も無く空を彷徨う”音“のように。
自分の求める音楽を追いかけて。心があるがままに。
これがルースターズからロックンロール・ジプシーズへの変遷です。
もはや各々が日本を代表するミュージシャン。その彼らが紡ぎ出す音に憂いや迷いは有りませんでした。一点の曇りも無し。晴ればれです。

2015年、地元北九州で花田氏を含む一連のライヴがありました。
独特のやや落ち着いた空気のライヴで、大人でした。当たり前ですが。
物憂げな雰囲気で淡々とスタートしましたが、徐々にギターも冴えてきて、最後はやはり納得。静かな高揚を覚えました。
「ルースターズ」の大看板を降ろしたナチュラルな花田氏、歌う事、ギター弾く事が唯々、楽しそうでした。少なくともそう、見えました。

そして翌年ロックンロール・ジプシーズのライヴ
Ba.は井上氏ではなく、市川氏に代わっていましたがその他は変わらずのメンバーでした。
音の隙間は見えず、そして音が痛く、唯、見入ってしまいました。あっという間の時間。
これがロック。これがジプシーズ。圧巻でした。

まさにロックの神に魅入られてしまった故の流浪にも見えてきます。
ロックミュージシャンの本来の姿はこうあるべきで、それを具現しているのではないかと。ジプシーズの名の通り、まさに宿命なのでは?

ルースターズを育んだこの「鉄の街」。
大江氏を始め、ジプシーズのメンバー、そして故・南氏も含め、彼等の軌跡に触れてみると、それはあたかも、この街の、悪ガキで永遠のロック少年達の奇譚のようでした。
そして伝説のバンドとして、数々のミュージシャンからリスペクトされているイメージよりももっと自然体で普通でした。

なんだかんだ言って、気が付けば、この街に来て30年余りになってしまいました。
長いようで早いようで。
ナベGともあれ以後音信不通のままで。
あの頃憧れたルースターズはジプシーズになりました。

広義で言えば、何人のものであれ、重ねてきた歳月は寡黙で且つ嘘を付かないもので。

そう「ロックの衝動」から「流浪」まで30年余りかかってしまいました。
この先に何があるのか? 興味は尽きません。
そして、この一点の曇りも無く晴れ渡った「流浪」の空の下なら、自分にもまだ何かやれることがあるような気がして。

唯、少し巻き戻しが出来るなら
来年はルースターズ結成40周年。淡い期待を込めて。

「元気か?ナベG。遅くなったけどルースターズのライヴ観に行こう。」

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