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チャットモンチーと「誕生」と私

Last Album 「誕生」を聴いて

 
 散った桜の花びらが玉川上水にぽつりぽつりと浮かびはじめる4月の半ば。2階のネットカフェと一緒に慎ましく営業しているような、狭い狭いTSUTAYA。そこで借りた、3人の後ろ姿がギザギザの線で描かれたCD。それが私のチャットモンチーとの出会いだった。窮屈そうに肩を寄せ合って並ぶ縦長の長方形のなかで、上段2段目くらいだったと思う、他とは距離を置き、胸を張るかのように堂々とした正方形。それが目に留まった。上京したての私は慣れないセルフレジに慄きながらも、なんとかお会計を済ませ、お馴染みの黒い袋に入れてそれを持ち帰った。
 
 
 
 

 野球をする高校生の「ファイオー」という声が、一番離れていても聞こえてくる部屋。私はこたつに入りながら、高校受験のときからお世話になっているラジオカセットにCDをセットし、1980円のイヤホンを耳にはめ、スイッチを押した。「薄い紙で指を切って 赤い赤い血が滲む」。今までに味わったことのない感覚が私を襲った。「ハナノユメ」の生々しい歌詞、「シャングリラ」の胸が躍る四つ打ちのドラム、「親知らず」の実家を思い出すような温かさ。「染まるよ」のエモーショナルな転調。その全てが私を刺激した。選りすぐりの17曲が終わるころには、私は既にチャットモンチーの虜になっていた。
 
 
 
 

 次の日、私の通う大学では赤、青、緑、色とりどりの幟があちらこちらに飾られていた。入ってきたばかりで右も左も分からない新入生たちを、木製のテーブルで今か今かと待ち受ける上級生。サークルの新入生入部期間が始まったのだ。自転車置き場から道路を横切ってすぐ右手。大学に3つあるバンドサークルのうち、1つがブースを構えていた。私は同じく木製のベンチに座り、ノートに名前を書いた。まだ、私の名前の他には何も書かれておらず、好きなバンドの欄には「チャットモンチー」、ではなく「the pillows」と書いた。まだ、昨日ベストアルバムを聴いただけで深く聴かれると困るなと考えてのことだった。
 
 
 
 

 ともかくも、一か月間の仮入部を経て、私はそのサークルの正部員となった。あれは文化祭でのことだったと思う。先輩を中心にしてチャットのコピーバンドが組まれた。もちろん、私は入っていなかった。前日にみんなで作った仮初めのステージでの先輩たちの演奏に、私はたぶんハイになっていた。格好よくあって、可愛らしくもあって、とても凛々しかったのを覚えている。初めての文化祭は盛況のうちに終わり、その後も定期ライブで、合宿で、文化祭で、いたる所でチャットのコピバンは組まれた。年の半分くらいは誰かがチャットを歌っていた。私もコピーしたいと思ったが、在籍した2年間で結局一回もチャットをコピーすることはなかった。
 
 
 
 

 問題は、私が男だったということだ。しかもあまりイケてない、どちらかといえば陰キャに分類されるような。そんな私がチャットをコピーしたら周りの目にはどう映るだろうか。答えは一つ、気持ち悪いだった。チャットのコピバンをやりたいと思っていても声に出せず、「次チャットなにやるー?真夜中遊園地とかいいよねー」という周囲の話をただただ聞かないふりをしながら、でも聞いていた。私の中のチャットをやりたいという気持ちは燻ぶり続けた。
 

ただ、幸運だったのはその頃私がキーボードを始めたということ。インターネットには、様々なアーティストの曲をピアノで弾けるようにアレンジした楽譜を販売しているサイトが有難いことに存在していて、そのなかにチャットもあった。私は「世界が終わる夜に」と「風吹けば恋」の楽譜を買って、夜な夜な自分の部屋で弾いていた。まったく上手くはならなかったけど、誰にも見せる予定のない独りよがりのチャットのコピーは、それはそれは楽しかった。自分とチャットの距離がほんの少しだけれど縮まった気がした。
 
 
 
 

 小さな遠慮が邪魔をして、話したことはあまりなかったけれど、たぶん私がいたサークルのみんながチャットを聴いていたと思う。髪色を金や青や緑にちょくちょく変えてピアスを両耳にぶら下げていたあの人も、徹夜でマージャンをしていた(と思われる)あの人も、背が低くて似合わない縁なしの眼鏡をかけていたあの人も、やる方も見る方もみんなチャットのコピバンを楽しんでいた。たぶん私たちのなかで、チャットモンチーは共通言語で最大公約数だった。
 

おそらく今もそのサークルではチャットがコピーされ続けているのだろう。とくに3ピース時代のチャットの取っつきやすさはものすごいものがあり、それは時を経ても変わらないと思われるから。本人たちは完結しても、こうやって聴き継がれて歌い継がれていくというのはとても素敵なことだとふと思う。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 一人で家にいた2017年11月のことだった。私がスマホでツイッターを見ていると、トレンドにチャットが上っていた。何事かとタップしてみると公式HPには「CHATMONCHY Last Album 2018 Release」とだけ。それ以外はどこをタップしても何の反応もなく、それがさらに私の不安を駆り立てた。そしてその翌日、「チャットモンチー 完結」が正式に発表された。チャットモンチーが、終わる。とても信じられることではなかったが、ネットの反応を見ていくうちにそれが本当のことだと思い知らされた。
 

「チャットモンチーやめないで」という声が多かったと思うが、一方でこの完結に前向きな反応を示している人も確かにいた。それに触れるにつれ、私の気持ちも前向きになっていった。チャットモンチーが終わってしまうのはすごく寂しいけれど、たぶん二人はこれからも音楽を続けていくはずだし、今度はそれを楽しみにしていたいなという気持ちに。そして翌4月。ラストアルバム「誕生」の6月27日リリースが発表された。最後の最後で「誕生」。なんてインパクトのあるタイトルだろう。
 

その日はあっという間にやってきた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 あれ?今って梅雨だよね?と聞きたくなるような晴れの日だった6月26日。チャットモンチーLast Album「誕生」のフラゲ日。私はその日の仕事をつつがなく終え、自転車を漕いで、急いで駅前の書店に向かった。エスカレーターを昇って3階。本館との連絡通路のすぐ隣のCD売り場の新譜コーナー。私はそれを目にしたとき驚いた。形状がDVDそのものだったからだ。困惑したままアルバムを手に取り、裏面を見てみる。緑色の翼竜が翼を広げている。左上には「Headphone Recommended!!」。私はレジに向かい3500円を支払った。
 

店の中のベンチに座りビニールを剥いで中身を確認。そこでもう一度驚いた。歌詞カードが本になっているではないか。ページをめくると歌詞とその英訳。ここまではよくある、英訳が載っている時点で希少ではあるが、サプライズはその先。レコーディング風景のスナップ写真が20点ほどに、さらに「『誕生』に寄せて」という二人のライナーノーツまで載っている。これはまさに「買い」だ。そう思った。
 

まず、私はアルバムの楽しみ方は曲を聴くだけではないと考えている。それはジャケットだったり、歌詞カードだったり、CDの盤面だったり。そういった様々が合わさってアルバムは一つの作品となる。だから、私は「誕生」をiTunesでダウンロードしても、アルバムは絶対に買おうと決めていたのだ。そしてその予感は見事に的中した。心の中でガッツポーズをしながら、持参した黒のポータブルCDプレイヤーにCDをセットした(その日は外せない用事があった)。
 

聴き終わり、配信とはまた違った、よりダイレクトに響いてくるような、印象を受けた。用事が終わって家に帰ったら、あのラジカセで、今度はオススメされたようにヘッドホンをつけて、聴いてみようと、そう考えた。
 
 
 
 

 リレーでトラック1周400mを全力で走り終えた後のように疲れた体を引きずりながら帰宅。母親が作ってくれた温かいご飯を食べて2階へ向かう。よく熟れたりんごのような色をしたブックレットをカバーから取り出し、もう一度二人のライナーノーツをじっくり読んでみる。テーマは同じなのに、二人で切り口がまるで違うのが面白い。CDをセット。ヘッドホンのプラグをラジカセのジャックにイン。擦れて三角形もよく分からなくなったスイッチを押す。さあ始まった。変わらず心が躍り出す。
 

1曲目は「CHATMONCHY MECHA」。打ち込みのドラムから始まり、今までのチャットモンチーとは一味違うぞというところを見せつけるかのようなインスト曲。ゲームのオープニングのようで楽しい。
 

2曲目は「たったさっきから3000年までの話」。暗くて壮大でどこか神秘的。後半で加速するのが、未来に向けてギアを上げた感じがあって印象的。ここのギターやベースの歪み具合が好き。それと、「ボケたボケてない」のところは「Last Love Letter」のMVを思い出す。どうでもいいことなのだけれど。
 

3曲目は「the key」。正直、最初に聴いたとき「うへぇ、重い」って思ってしまった。でも、恐竜の足音みたいな打ち込みドラムから、サビで生音主体のバンドサンドに変化するのは、開放感があって気持ちいいなあ。
 

4曲目は「クッキング・ララ feat.DJみそしるとMCごはん」。このアルバムで一番明るくて楽しい曲。ここまで2曲重い曲が続いていたのでホッとする。DJみそしるとMCごはんさんのラップも等身大でとても素朴でいい。心の氷が融かされるよう。
 

5曲目は「裸足の街のスター」。「いまも群れるのは嫌いさ」や「派手に転がるのはごめんさ」のひねくれっぷりがたまらない。ミドルテンポで展開されているのも、歌詞の一言一言や音の一つ一つに存在感が感じられて、個人的には好きだなあ。
 

6曲目は「砂鉄」。元メンバーの高橋久美子さんが作詞した曲で、もう当然のように泣いた。こんなの泣くに決まってる。これについては思うところがあるので後述したい。
 

7曲目は「びろうど」。終わりからまた新たに生まれる始まり感が強い。ここまでさんざ、メカメカ―打ち込み打ち込み―ってやってきての最後にアコースティックが最高に沁みる。曲中の「青い血」は「ハナノユメ」の「赤い血」との対比になってるのかな。とても鮮やかな対比。チャットモンチーの最後を飾るにふさわしい曲だなあ。
 

………。
 

ブックレットに私の目線は釘づけにされ気づいたら30分が経っていた。どの曲も本当に素晴らしくて、まるで時間の経過を感じない。橋本さんと福岡さん、そして2人を支えるたくさんの人達によって、魔法にかけられたような心地だった。この魔法を一人でも多くの人に味わってもらいたいと心の底から思う。ありふれた言葉だけれど本当に。
 
 
 
 

 がっつり書きたい。ここから、「砂鉄」のことを。がっかりしないよう最初に伝えておきたい。この項の文章は全て推測で妄想だということを。
 

「砂鉄」はその曲もいいけどやっぱり高橋さんの歌詞が最高だ。「だめでもだめだめでも 許すよ」という歌詞は、「やさしさ」の「明日ダメでも 明後日ダメダメでも 私を許して それがやさしさでしょう?」のアンサーになっている。泣ける。でもそれだけではなくて、注目は2回目のサビの歌詞。「どうせ嫌いにはなれない」。これが「変身」の「どうせ嫌いになんてなれないだろ?」の意趣返しになっているのだ。先日刊行された高橋さんのエッセイ集「いっぴき」でも、チャット退団後の高橋さんの苦悩が少しだけだが綴られている。(まだ読んでいない人は早く買ってほしい)
 

脱退して初めて私はチャットモンチーだったんだと実感した。(中略)やっぱり私はどこへ行ってもチャットモンチーの高橋なのだった。最初は参ったなぁと思ったが、今は超える必要のない勲章なんだなと思える。
(高橋久美子著「いっぴき」より引用)
 

脱退直後は高橋さんもチャットの幻影に苦しんでいた、ようだ。しかし、高橋さんも「変身」して、それを受け入れられるようになっての「どうせ嫌いにはなれない」である。チャットのことを嫌いになりそうになったときもあったが、それを乗り越えたという重みが感じられる。このフレーズで私の心のダムは決壊した。曲の素直な展開も相まって本当に泣いた。チャットモンチーは最高だ。
 

さらに、これは高橋さんから橋本さんと福岡さんの2人に贈るはなむけの言葉でもあると私には感じられた。チャットを完結させた後も、これからいろんなところで「元チャットモンチー」は付いて回るだろう。元チャットという部分だけが注目されて、今自分がしていることがクローズアップされないかもしれない。でも、大丈夫だよ。私もそうだったから。受け入れられる日がきっと来るよ。そう高橋さんが橋本さんと福岡さんに話しているように私には聴こえた。友達ではないけどそれ以上のつながりで繋がっている3人。なんて美しい関係なんだろうと思う。やっぱりチャットモンチーは素晴らしい。
 

以上、100%妄想と推測で塗り固められたこの項は終了。書きたかったから書いた。それだけ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 ところで、時は止まらない。どんなに素晴らしい音楽を聴いても、どんなに美味しいものを食べても、どんなに極上の魔法をかけられても、だ。時間をゆっくり感じたり、時間の経過を感じなかったりはあるかもしれないが、それで時が止まるわけではない。時は今この瞬間も変わらずに流れ続けていて、チャットモンチー完結の瞬間も刻々と近づいてきている。7月4日の、チャットモンチー最後のワンマン、武道館はもう1週間もないし、7月21,22日の、チャットモンチー最後のステージ、こなそんフェスはもう1ヶ月もない。チャットモンチーがチャットモンチーではなくなる瞬間が確実に迫ってきている。
 

先に私は、「チャットモンチー完結を受け入れた」と書いたが、この「誕生」というアルバムを聴いてやっぱりこう思う。完結してほしくないと。
 
 
 
 

 産声を、全編打ち込みという新しいスタイルで、大きく高らかな産声を上げたチャットが、「誕生」を経て、次はどんなアルバムを作るのだろうかと楽しみにしている自分がいる。しかし、その機会は永久に訪れることはない。それはとても悲しいことだ。もっとチャットモンチーの音楽を聴いていたかったし、行ったことのないライブにも行きたかった。武道館にもこなそんフェスにも私は行けそうにない。その事実が私をより悲しくさせる。
 

CDをラジカセにセットしてもう一度初めから聴いてみる。私は再び魔法にかけられる。チャットモンチー最後の曲「びろうど」ではこう歌われている。「生きていくのよこれからも」。そうだ。生きていくのだ。これからも。橋本さんも、福岡さんも、高橋さんも、それを支える多くの人たち、顔も名前も知らないけど同じチャットを聴いている大勢のリスナー、そして私も。生きていくからにはそこには音楽が生まれる。橋本さんと福岡さん、そしてそれを支えるたくさんの人達による、新しい音楽の「誕生」を心待ちにしたいと、改めてそう考えた。
 

あの春の日、チャットモンチーに出会えて本当に良かった。
 

最後にもう一度。チャットモンチー、ありがとう。

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