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今日もアデルに相談だ

歌姫は真実を明らかにする

「彼女は美人で神々しい声をしているけどちょっと太めだね」と言ったカール・ラガーフェルドに、余計なお世話だ(「大多数の女性を代表して自分を誇りに思う」)と反撃した一件以来、私の中でアデルは『アデル姐さん』になった。
力強い歌声を持つ、隙のないメイクの美しい歌姫が、自分の3倍くらいの年齢の、白髪の大御所デザイナーと渡り合う。ドラマチックで勇気が湧く光景だ。実際の彼女はざっくばらんな性格で、普段はナチュラルメイクで赤ちゃんみたいに無防備な顔をしていることは後から知った。それもまた素敵だ。
とはいえ、ここ数年は、音楽は気合いを入れるときに短時間流す程度で、アデルの曲もじっくり聴いていたわけではなかった、
 

アデルをかけなくちゃ、と思ったのは、二週間ほど前に猫の病気が再発したときだ。
猫の免疫力を高める方法を考えていると、なぜか『Live At The Royal Albert Hall』の映像が浮かんだ。桟敷席のある格調高い会場に、60年代の女優さんのようにクラシカルに着飾ったアデルはあつらえたようにぴったりで、ぴかぴかに輝いていた。観客との親密な雰囲気の中、アデルが荘厳な曲を伸びやかに歌い上げると、このアルバムが録音されたのがいつの時代なのかわからなくなる。
聴きながら、あまりに美しくて敬虔な気持ちになるから選んだのかなと思ったものの、猫の病気が勘違いだった(肥満細胞腫だと思ったものは、ただのかさぶただった)ことがわかり、その後は考えるのをやめていた。
 

そして今日、アデルを聴いて泣いてしまった。
音楽好きの方々が読む場所にこんなことを書くのもどうかとは思うのだけど、数ヶ月前から楽しみにしていたプロレスの日本公演が昨日あって、目当てにしていた中邑というレスラーが怪我で試合できなかったのだ。え?と思われた方は、ほんとうに申し訳ないのですが、次の段落は飛ばしていただいて、楽しみにしていた音楽フェスで、お目当てのヘッドライナーがトラブルに見舞われ、当日は「ごめんなさい」というアナウンスをするのみで、他のバンドがフェスを締めくくったような事態を想像いただければ幸いです。それはそれはショックだったのですが、十分いい大人なので我慢をしました。しかし、アデルの歌声の前では私の虚勢は無力でした。
 

アメリカのプロレス団体WWEに所属する中邑真輔は、今週月曜の試合前に、爆発物を捜索中の警察犬に左足をかまれ(必殺技のキンシャサは膝蹴りで、左足を使うことが多い)、以降の試合を欠場していた。欠場した試合のうちのひとつはタイトルマッチで、私はいまだに、このアクシデントがなかったら中邑はベルトを持って日本に凱旋したと信じている。
日本公演の初日は金曜で、前日に来日したというニュースはあったものの、試合に出場できるかどうかはわからなかった。両国国技館に一緒に来てくれた(私が誘った)人たちも中邑が目当てで、きっと大丈夫だよねと言い合って不安を紛らわした。日本公演は年に一度なので、これを逃すとしばらく見ることができない。不吉すぎて口には出さなかったけど、もし欠場でも、中邑も団体も精一杯努力した上での苦渋の選択なんだろうからやむなしだと思っていた。会場中の期待を背負って応えられなかったら、いちばんつらいのは中邑なんだから。
中邑は公演前半にスーツ姿で松葉杖をついて登場して、試合できないことを「悔しいワン」と冗談を交えつつ説明した。うわあ、と思ったけど、実はウソで、メインの試合に乱入するんじゃないかなと最後の最後まで期待していた。でも、中邑はもう出てこなかった。
 

欠場の理由は不幸な事故で、誰のせいでもないし、どうしようもないことは理解できた。枡席に座った私以外の3人は、残念がりながらもにこにこして公演を楽しんでいた。私はいつもよりちょっと元気にしていた。大っぴらにがっかりしたら、せっかくの雰囲気を悪くするし、責任を感じているに違いない中邑にも申し訳ないと思った。残念だけど仕方ないね、でも楽しかったよね、と達観できたつもりになっていた。
 

その翌朝である今朝はあまり眠れずに早起きしてしまい、返却するCDを揃えていたらアデルがあった。猫が病気と勘違いした時、歌詞と対訳が読みたくて借りたのだった。
歌詞カードを開いて『21』を聴いていたら涙が出てきて驚いた。
昨日からずっと「大丈夫大丈夫」と思っていた。本当はぜんぜん大丈夫じゃなくて、どうしたらいいかわからないでいたことに泣きながら気づいた。
アデルの歌声には、自分の気持ちをクリアにするだけじゃなくて、他人の気持ちまで想像させてしまう力がある。あたたかみのあるちょっとかすれた声は、高くなったり低くなったりとんがったり広がったり自由自在で、胸やおなかに響いてくる。聴いていると、いろいろな考えでこんがらがった頭や心の中が少しずつ整理され、よけいなものが取り除かれていき、本当のことがだんだん見えてきた。
最速の先行抽選に意気込んで申し込んで、チケットを入手して、公演を夢見てわくわくしたこと。ぜったいいい試合になるよねと話し合って、ますます楽しみになったこと。怪我のニュースを聞いて不安になったこと。あらかじめ覚悟していても、欠場のアナウンスを聞くのはつらかったこと。同席のみんなも苦笑しながらこっそり落胆していたこと。こんないい人たちを誘って、がっかりさせてしまって申し訳なく思ったこと。そんなことを考えるのは怪我を押して来日した(移動は怪我の回復を悪くする)中邑に悪いと思ったこと。中邑が、怪我をしてからずっと苦しんだだろうこと。松葉杖姿に動揺する客席に、欠場をアナウンスしてさらに気落ちさせるのはしんどかっただろうこと。軽い野次はありつつも客席は受け入れる雰囲気で、むしろ罵声を浴びたほうが本人も気が楽だったかもしれないこと。
 

「オーセンティックな音楽」の意味がわからないでいる。authenticを辞書で引くと、信ずべき、本物の、といった意味だ。音楽はみんな信ずべき、本物のものだと思うので、本当の意味は音楽に詳しくなればそのうちわかるはずと信じて保留にしている。
アデルの音楽でオーセンティックな自分の気持ちはわかった。狭量な私が、他人の苦しみや悲しみを思ってエンドレスで泣くことになるなんてアデルの歌の力はすごい。たぶんこれで今夜はぐっすり眠って、明日にはけろっとしているはずだ。落ち着いたら今回大泣きしたことの教訓を見つけたり、違った見方もできるようになるだろう。
中邑も早く元気になってほしい。気にしないでまたいいパフォーマンスをしてほしい。きっとみんなそれを願っている。
 

現時点の私が解釈する「オーセンティックな音楽」は、本当の自分を見つける手助けをしてくれるものだ。突っ張って身構えていても、アデルはその温かい手でそっと腕に触れて心を開かせたり、背中を押して先に進ませてくれる。
行動しないで後悔するより、行動して後悔したほうが良いとはよく言われるけど、後悔するのは一仕事だから、できれば後悔せずに行動したかった。
でもアデルがいれば大丈夫かなと思う。悲惨なことが起きても、壮大な歌声で自分の問題のちっぽけさに気づかせたり、からから笑って大したことないと励ましてくれそうな気がする。
たぶんアデル抜きで今回の教訓を得たら、人様に迷惑をかけないため今後は自分一人のチケットしか買わない、になっただろうと思う。それは寂しい教訓で、きっと正しくない。だって一緒にすばらしい経験をする可能性をなくしてしまうことになるから。
 

だから後悔や失敗のリスクがあっても、勇気をもって行動しようと思う。さあ、せっかくの土曜だから泣いてないで出かけよう。
ありがとう、今後も頼みます、アデル姐さん。

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