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ノイズを以て毒を制す

My Bloody Valentineの荒療治

精神的に追い込まれているとき、いつも愛聴している応援歌さえ目標に届かない自分を責め立てているように感じられ、ありのままの自分への肯定を高らかに歌い上げるスターは何者にもなりきれていない自分をより一層浮かび上がらせる。そんなとき、プレイヤーの液晶画面をスクロールする指は、決まってMy Bloody Valentine『Loveless』(1991)を縋りつくように探しあてる。

サウンドの全面を覆うノイズ、その奥に浮遊するポップなメロディー、そして男女混成のウィスパーボイスが特徴のこのアルバム。全編を通して、平板なノイズの渦に甘ったるいメロディーが溶け合い、目に映る諸物の輪郭と色が滲み、ささくれ立っていた気持ちがだんだん丸みを帯びていくように感じられる。そして、さっきまで堂々巡りを繰り返していた自問自答すらできなくなって、ただ音の渦に身を任せるしかなくなるのだ。

かなり荒っぽい分類だが、歌には聴き手に寄り添うものと聴き手をどこかへと連れ出してくれるものがあると思う。(後者の例としては、森進一『襟裳岬』が挙げられるだろう。私は北海道南端のその岬に行ったことはないが、心だけは「何もない春」へと連れて行かれる。)『Loveless』はどうだろうか。どちらでもない気がする。遠くノイズの奥から微かに響くビリンダとケヴィンのささやき声は、聴き手の存在など一切お構いなしとばかりに耳をすり抜けていく。歌声にしろ話し声にしろおよそ他人の声は、楽器音とはちがった重みのある異物として引っかかるものだが、二人の声はあまりに楽器音とシームレスで軽い。そして声を覆うレースカーテンのようなノイズは楽曲ごとに色味が変え続け、聴き手の感覚をじんわりと痺れさせる。この痺れは最後の一音が止んだ後も残り、しばし放心状態。おそらく会話もできないほど『Loveless』に心を持ってかれている。自分に執着する気持ちなどとっくに消されていた。ようやく頭の痺れがおさまる頃、「夕飯は何にしよう」とむくりと腰を上げ日常に戻る。そして、このアルバムのことも痺れた感覚もケロッと忘れてしまうのだ。

2018年6月、My Bloody Valentineのライブを観る機会を得た。留学生としてイギリスに滞在していた私は、言語の障壁と学問的成功に対するプレッシャーから気分が塞ぎがちだった。梅雨がないイギリスは、渡航前のイメージに反してからりとした晴天が続いていたのに。イギリス中部のバーミンガムで彼らの公演があると知り、迷うことなくチケットをブッキングした。あの音の渦を直接体験するということに自分の心理的均衡を託すと共に、どんな人がどんな気持ちであの音楽を演奏しているのかという好奇心も疼いていた。

会場に入ってまず目を引くのは、ケヴィンのエフェクターの多さである。多いってもんじゃない。彼の足元だけに収まらず、2列5段余りのラックにも所狭しと並べられていて、シューゲイザー(英語で「靴を眺める人」の意)ではなくラックゲイザーか、と面食らってしまった。開場から2時間近く経過してようやくメンバーがステージに姿を現わす。ビリンダが「Evening(こんばんは)」と呟き、『Loveless』の「I Only Said」が音源を凌ぐ轟音で始まる。ケヴィンとビリンダが常にアームを握ったままギターをストロークすることによって、凄まじい音のうねりが押し出された。その音圧たるや、耳を凝らさなければボーカルは聴こえないほど攻撃的だった。

My Bloody Valentineのライブの轟音ぶりは特別なことではなく、会場入口で耳栓が配布されるのがお決まりの光景である。1曲目から圧倒された一部の観客が眉をしかめて、オレンジの耳栓を押し入れる。その爆音のど真ん中で10cmはあろうピンヒールミュールと深くスリットの入ったミニスカートを纏ったビリンダは、直立不動のまま、無表情で観客の方を向いて歌い続けていた。彼女の斜め後ろで盛んにアイコンタクトを取りながら演奏に没頭するリズム隊のコルムとデビー、曲中であってもステージ下手の音響スペースにまで乗り込んでスタッフに指示を出し続けるケヴィンとは対照的である。

先の『Loveless』からは、冒頭の「I Only Said」を含め、6曲が演奏された。彼らの演奏に身を置いて感じたのは、音源で隠されていたこのバンドが持つ攻撃性である。音源での彼らが楽器音と声、聴き手と音、日常と非日常の境界を水に溶された絵具のごとくじわじわとぼやかして聴き手の感覚を痺れさせるのに対し、ライブでの彼らは問答無用で境界を壊しにかかり、感覚をつんざいていく。不安がノイズによって焼き尽くされていていく。それは不思議と不快でなくて、ずっと浸っていたいとすら思わせるものだった。そして彼らへの好奇心は見事に蹴散らされた。何を考えて演奏しているのか、このライブにどのような意味を込めているのか、あらゆる問いや分析を拒む演奏だった。

帰り道、耳鳴りは残っていたけれど気持ちは穏やかで、初夏の夜風が爽やかに感じられた。
励まさない、寄り添わない、そんなバンドに救われる日もある。

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