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たった5年前からさっきまでの話

チャットモンチーは教えてくれた

 
私にとってチャットは、「音楽好きなお姉さん」のような存在だった気がする。

今二十歳の私は、いわゆる「チャットモンチー世代」ではない。『ハナノユメ』や『シャングリラ』はリアルタイムで聴くのではなく後から追いかけるものだったし、周りにチャットを知っている同級生はあまりいなかった。私は、高校生の頃たまたまYouTubeで見た『シャングリラ』の動画をきっかけにチャットを知った。2013年のことだから、えっちゃんの産休をきっかけにチャットが表立った活動をしていない時期だった。当時私は学校に行って帰って来るだけの生活にうんざりしていて、家に帰り着いた瞬間からYouTubeを開いて音楽を聴く、ということをしていた。学校で優等生扱いをされていて、それが窮屈でしょうがなかった。音楽はずっと大好きだったけれど、それを分かり合えるような友達も学校では見つけられなかった。どちらかといえば、学校は嫌いだった。15歳の私は、新しい音楽と出会うことだけを楽しみに毎日をやり過ごしていたのだ。

そんな中でおすすめ欄に出てきた『シャングリラ』の動画を見て、次はコレ、と何の気なしに再生ボタンを押した。

画面の中央でぐるぐると丸が回った後に、ドッドッドッドッというバスドラが鳴り始めた。そしてそれが跳ねるような軽快なリズムに変わった。そこに、うねるようなベースの音が絡まる。最後に、引っ掻くようにかき鳴らされた、今までに聴いたことのないようなギターの音が重なる。まだ歌は始まっていない。

なのに、「こんなの聴いたことない!」そう思った。今までたくさんのバンドの音楽を聴いてきたつもりでいたけれど、こんなにも「バンド」が格好良いと思えたのは初めてだった。3つの楽器のこの3人が鳴らす音だけで成立している。当たり前のことなのに、当たり前のことがこんなにも格好良いなんて知らなかった。

〝シャングリラ 幸せだって叫んでくれよ 時には僕の胸で泣いてくれよ〟
学校であまり感情を表に出せずに過ごしていたから、透明な声で叫ぶように歌われるこの歌詞にも心を掴まれた。

〝希望の光なんてなくったっていいじゃないか〟
学校と家の往復だけの毎日で、自分の存在がちっぽけなものに感じていた。私なんかいなくても教室の中の誰も困らないのに、どうして学校に行かなきゃいけないんだろう。そう思うこともあった。でも、希望の光なんてなくったっていい。前を見て歩けよ。一時的に元気を貰ったとかそんなことではなくて、私はこの言葉をきっかけに、確かに強くなれた。

私はこうしてチャットを好きになった。他の曲もたくさん聴いて、CDも買った。けれど、やっぱり学校にはチャットを知っている人はいなかった。でも、それが逆に嬉しかった。こんなに格好良い音楽を知っているのは私だけ!その優越感があった。学校で嫌なことがあると、チャットを聴いた。「チャットモンチー」という1つのバンドなのに、色々な音楽を聴かせてくれた。夢中にならないはずがなかった。地球のすみっこにいる私が枯れてしまいそうになると、何度も何度も幸せをくれた。だから、チャットは私だけの音楽好きのお姉さんだった。

そして、「バンドって良いな、私もやってみたい」。チャット世代の方々がきっとそう思ったように、私も密かにそんな思いを持つようになった。後にその夢が叶うなんて、当時は夢にも思わなかったけれど。

チャットは教えてくれた。バンドの格好良さ、バンドだけが持つ無敵さを。
 

ドラムの久美子ちゃんが脱退していることは、後から知った。えっちゃんとあっこちゃんは2人でバンドを成立させていた。それでも久美子ちゃんがチャットに残していった歌詞はいつ聴いても変わらず素敵なままだと思ったし、2人でもチャットはチャットだった。私がチャットに出会って1年ほど経った頃、チャットはサポートメンバーを加えた男陣・乙女団という体制になった。『こころとあたま』が、私がリアルタイムで聴いた初めてのチャットの曲になった。
 

その後、私は大学に進学した。すみっこにいるだけだと思っていた窮屈な高校生活の中でも、私はものを書くことが好きなんだ、ということを見つけられた。だから、文学と芸術を学ぶことが出来る大学に通うことにした。でもいざ通ってみると、ただ忙しさに流されているだけで、何も手に出来ていないような気がした。演劇やその演出、創作においてすでに優れている同級生がたくさんいて、私がいくら「書くことが好き!」を振りかざしても、どうにもならないのかもしれないと思った。萎縮してしまい、友達も彼氏も上手く作れなかった。作らなきゃ!その気持ちだけが先走っていた。接客のアルバイトも始めたけれど、慣れないことに戸惑って失敗ばかりしていた。芸術や才能うんぬんの前に、人並みのことすら満足にできない自分が情けなかった。全部全部、辞めてしまいたくなった。そんな時にリリースされたのが、『majority blues』だった。

〝my majority みんなと同じものが欲しい
だけどmajority minority みんなと違うものも欲しい〟

サビの歌詞が、メロディーと共にスッと胸の奥に入ってきたのを感じた。自分でも理解できていなかった自分の気持ちを言い当てられてしまったようだった。ライブハウス、徳島、東京。チャットに関わりのある言葉が盛り込まれた歌詞は、お姉さんが自分のことを話してくれているような、不思議な説得力があった。

慣れないことばかりの日々の中で、いつのまにか「自分は人並み以下なんだ」「だから人と同じにならなくちゃ」と決めつけていた。でも、私を作ることが出来るのは私だけだし、私が作ってきた私を守るのも私。そう思うと、フッと気が楽になった。そして、それは色々な形に変身しながらもずっと「チャットモンチー」であり続ける2人と、作家として歩き出している久美子ちゃんと重なっているような気がした。

チャットは教えてくれた。人と同じでなくても良いということ、私も知らなかった私の気持ちを。
 

正直、大学に入った頃からチャットの音楽からは少し離れてしまっていた。嫌いになった訳では無くて、忙しさを理由にしていただけだったのだけれど。それが『majority blues』をきっかけにまたチャットの音楽をたくさん聴くようになり、私はついに初めてチャットのライブに行くことにした。「チャットモンチーと機械仕掛けの秘密基地ツアー2017」だ。同じ大学にチャットが好きな知り合いがいたので、その子に声を掛けて一緒に行った。必修の英語の授業のクラスが同じ子で、英語で好きなものについてスピーチをしなければいけなかった時に、チャットが好き、とスピーチをしていた子だ。それ以来私から声を掛けて、たまにチャットについて話すような間柄になっていた。

初めて見る2人はヘッドフォンを付けて、打ち込みの音楽を奏でていた。かと思えば、『とまらん』では両手両足全部使っているのでは!?と思えるほどのアクロバティックな楽器演奏をしていた。私が初めてチャットに出会った『シャングリラ』も聴くことが出来た。初めて見たお姉さん達はとても可愛くて、でもやっぱり格好良かった。

「凄かったー!」
「あの曲の何々がさ〜!」

帰り道は、ライブのことについて話しても話しても尽きなかった。人とあまり音楽の趣味が合わない私は1人でしかライブに行ったことが無かったから、そんな帰り道は初めてだった。思い返せば、チャットも「私だけしか知らない」優越感の音楽だったはずなのに。音楽を通じて分かり合えることがこんなに嬉しいことも、初めてだった。

そして、その子が言ってくれた。「チャットのコピバンやらない?」
その子はギターが弾ける歌の上手い子で、軽音楽部に所属していた。実は私も大学入学直後は軽音楽部に入ってベースを弾いていたのだけれど、あまり馴染めなかったことから完全に幽霊部員になっていた。ベースもほぼ弾けない状態。そんな私が、良いのだろうか?

でも、チャットのコピバンならやりたいと素直に思った。ライブ後の高揚感のせいも、少しはあった。でも、昔から思っていたことが少しの勇気で今叶うかもしれない。そんな風にも思えた。

「やる!組もう!」

こうして、ライブの帰り道にバンドを組んだ。もう一度ベースを練習すること。ドラマーを探すこと。約4ヶ月後の学園祭のステージに出演すること。それが決まった。

話し合った結果、演奏する曲は『8cmのピンヒール』と『染まるよ』になった。恥ずかしくてとてもここには書けないけれど、バンド名はチャットモンチーを文字ったような、猿の名前を付けた。ドラムを叩いてくれる子も無事見つかり、幽霊部員になってから約1年ぶりにベースを手にして、練習をした。『染まるよ』は特に難しくて、心が折れそうになった。それと同時に、あの3人だから出せる音が確かにあったということが身に染みて分かった。上手く言えないけれど、チャットは本当に「バンド」だったのだ。ギターボーカルがいて、ベースがいて、ドラムがいるというそれだけの意味ではなくて、それがこの3人でなくてはいけなかったという意味で。だから、チャットと全く同じ音が出せなくても仕方ない。だけど、私なりにちゃんと格好良いものでありたい。生意気だけれど、そんなことを思って練習を重ねた。

そして、学園祭の日がやって来た。ベースを抱えて、久しぶりにステージの上に立った。軽音楽部に入って舞台に立ったのは入学してすぐの頃の1回だけだったから、少し緊張していた。最初に演奏するのは『染まるよ』。何度も何度も練習したのに、緊張から指が固まってしまって、ミスを連発。悔しい、と思いながらも、ステージを照らすライトの明かりの中に自分がいて、その中で『染まるよ』を聴いていることがとても不思議だった。冷静に考えれば、高校生の頃にぼんやり描いていた夢が叶っているのだ。

『染まるよ』が終わって後は、少しMCをすることになっていた。6月にあったチャットモンチーのライブに行って、その帰り道に組むことを決めました!そんなことを話した。時間にすれば1分くらいだけれど、その間に話したこの事実がなぜかとても誇らしかった。

「じゃあ、次の曲聴いてください。」
そんな風に、『8cmのピンヒール』が始まった。さっきとの『染まるよ』とは打って変わって、ただひたすら楽しかった。緊張が溶けたせいもあるだろう。お客さんの拍手がちゃんと聞こえていた。まだまだ未熟なベースだから、その拍手につられてしまいそうになりながらも、でも幸せだった。あっという間に曲が終わってしまい、ハッと我に返った。そして、ステージに立っている自分に驚き、そそくさとステージから降りた。人前に立つなんて、本来はすごく苦手なはずの私だったから。

「良かったよー!」
「ベース、上手かった!」
ステージが終わった後、たくさんの人が声を掛けてくれた。私としては課題ばかりが見つかる悔しい結果だったけれど、それ以上に楽しいと思うことが出来た。今回1回だけじゃ足りない。まだまだやりたい。上手くなりたい!そう思って、幽霊部員は辞めて、軽音楽部に本格的に復帰することを決めた。

すると、その次の月、次期副部長になってほしいと言われた。もともと部員が少なく、役員決めが難航していたようだった。そんな状況の中で、先輩が私のやる気を買ってくれたのだ。でも、それはさすがに断った。そんな大役を務めるには、経験が足りなさすぎる。何てったって、入学以来ずっと幽霊部員だったのだ。自信も無かった。団体行動も得意じゃない。けれど、何度もそのことについて考えているうちに、「頑張ってみようかな」と思っている自分がいることに気が付いた。一生懸命になれることを与えてもらったような気がした。こうして、私は軽音楽部の副部長をやる、という返事をした。してしまった。そして、本当に副部長になってしまった。部長は、一緒にライブに行ったギターのあの子だった。

チャットは教えてくれた。バンドをやる楽しさ、一歩踏み出す勇気を。
 

学園祭ライブの後は、4年生を送り出す卒業ライブが3月に行われる。その企画と開催が、副部長としての初の大仕事だった。ライブハウスを探して借りる。タイムテーブルを組む。部員が動くスケジュールを作る。ライブハウス側との細かい打ち合わせを行い、それと同時進行で自分たちもバンド練習をする。経験の無さから、その全てに行き詰まった。必死になってやっているうちにあれよあれよと本番の日が来て、嵐のように去っていった。
卒業ライブで演奏したのは、『バスロマンス』、『CAT WALK』、『親知らず』。
『親知らず』は私が選曲をした。大学からの卒業と同時に、家族と離れて生活する先輩もきっといるのだろうと思ったからだ。私もあともう少しでこんな気持ちになる日が来るのだろうか。そう思って少し切なくなった。
 

その後も私は副部長として奮闘しながら、チャットのコピーを続けていた。やりたい曲はまだまだ山のようにある。他のバンドの曲もやりたい。でも、やっぱりチャットが好きなのだ。その全てをやり尽くすには、きっと残りの大学生活だけでは足りないのかもしれない。そんなことを思い始めた頃。

チャットは教えてくれた。「好きなバンドが解散する」ということを。
 

私は、既に解散したバンドや、解散を経て再結成を果たしたバンドを好きになることが多かった。例えばJUDY AND MARY、ユニコーンやTHE YELLOW MONKEYのように。けれど、私は彼らの解散をリアルタイムで知っている訳ではない。そして、私が音楽を好きになるきっかけになったスピッツはずっと変わらない声で歌い続けてくれていて、ライブに行けば「まだまだ格好良い曲を作っていきたい」と話してくれていた。ふと思えば、好きなバンドの解散に私は初めて直面していた。それがチャットになるなんて、夢にも思わなかった。

2人は「解散」ではなく「完結」という言葉を選んで、私たちにそれを伝えてくれた。

〝忘れたくない スタートした瞬間にだけ 見えるゴールを〟

『ここだけの話』という曲に、こんな歌詞がある。2人には、こんなゴールが見えていたのだろうか?そんなはずはないだろう。思いがけないことも、壁にぶち当たることも、きっとたくさんあったはずだ。それでも、「やり切ったねと2人で話し合えたので」と穏やかに話し、新曲『たったさっきから3000年までの話』をラストのテレビ出演で演奏する2人を見ていたら、寂しさや悲しさが自然に消えていくのが分かった。「解散」ではなく「完結」。それは2人の優しさから選ばれた言葉のようでもあり、チャットモンチーというバンドを的確に表す鋭い言葉のようにも感じられた。
 

そして、2018年7月4日。私は日本武道館にいた。チャットのライブに行った帰り道にバンドを組み、現部長として共に頑張っているあの子と一緒に。理由はもちろん、チャットのラストワンマン公演を見届けるためだ。

武道館には大勢の人がいた。この人たちもみーんな、チャットが好きなんだ。そう思ったら、ステージをぐるりと囲む会場の中がとても温かく感じられた。

けれど、いざ2人がステージに登場して手を握り合っているのを見たら、涙が止まらなくなった。自分でも予想外だった。なぜだろう、寂しさや悲しさはもう無かったはずだったのに。きっとあの瞬間、私は高校生の頃に戻っていたのだと思う。私は地球のすみっこにいて、チャットが私だけのお姉さんだった頃。それは今も同じなはずなのに、私は変わったしチャットも変わった。そのことが急に胸に押し寄せてきた。

高校生活の中で感じていた行き場の無いモヤモヤを重ねながら、『橙』を聴いたこと。
大好きなおじいちゃんが亡くなってしまって、泣きながら『ミカヅキ』を聴いたこと。
不器用すぎる自分に嫌気が差した時には、いつも『きみがその気なら』が励ましてくれたこと。

思い出のそばにはチャットがいてくれた。でも、もうそれは終わってしまう。やっぱりとてつもなく寂しいと思った。

そんな中、ふと『Last Love Letter』のPVを思い出した。
67歳、68歳になったえっちゃん、あっこちゃん、久美子ちゃんの3人がチャットモンチーとしてのラストライブを行っているという内容のPVだ。その中では観客も同じように歳を取っていて、それでも拳を振り上げてチャットの最後の姿を見届けようとしている。そのままの形では、それはもう叶わない。チャットはもう完結してしまうのだから。でも、その時思った。この現実も、もしかしたらあのPVと何ら変わらないのではないだろうか。チャットの残してくれた作品はずっとずっと心の中にある。〝好きでも嫌いでも好き〟だし、〝一生会えなくても忘れない〟くらい、大事なものだ。いくつになっても私はチャットを聴き続けるし、それはきっと武道館にいる全員が同じだ。だからあのPVは、決して叶わなかった未来なんかではない気がした。
 

アンコールの最後の曲は、あっこちゃんのピアノ伴奏に乗せて歌う『サラバ青春』だった。チャットの完結と同時に私の青春も終わった、という言葉を聞くことがある。でも、私の青春はまだ終わらないと思う。やりたいことも、やらなきゃいけないこともたくさんある。でも、たった5年前に始まったそれは、全部チャットがくれたものだった。そんなことに今頃気づいた私がいた。
 

だから、私の音楽好きなお姉さんへ。

本当に本当にありがとう。たくさん救われて、たくさん強くしてもらいました。色んなことを教えてもらいました。
武道館で「これからもチャットのコピバンやってな」ってあっこちゃんが言ってたけど、やっています。これからもやります。こんなに長いお話になってしまったけれど、結局はそれを伝えたくて、これを書きました。

そして、愛のある日々と栄光の結末と、大きな大きな拍手と、たくさんの笑顔を どうかあなたに。

本当の最後のこなそんフェスには行くことが出来ないけれど、それが最高に楽しいだけの2日間になるように心から祈っています。

本当にありがとう。ずっとずっとずっとずっと、大好きです。

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