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BUMP OF CHICKENと私

夢に向き合う勇気をくれた言葉たち

私の夢は、小説家になることだ。

この言葉を堂々と言えるようになるまで、随分と長い時間がかかった。いつも冗談めかして、まるで本当の夢ではないかのように話していた。

なぜなら、小説家になりたい、と口に出すと、大概の人には笑われたからだ。

「そんな夢物語ばっかり語っていないで、真剣に将来を考えなさい。」

「ふざけていないで真面目に進路について話そう。」
家族にも、学校の担任にも、そう言われた。

そのうちに、自分自身でも、夢を語ることがなんだか恥ずかしいことに思えて、あまり口に出さなくなった。気づいたときには、私は本当の夢を見失い、芽生えた気持ちを心の隅に置き去りにしていたのだ。
これは誰のせいでもない。ただ、自分自身で招いたことだった。笑われるのに怯えて、夢が叶わなかったときのことを考えては怯えて。
自分の弱さと、眩しすぎる夢と向き合うことから逃げた私は、最終的にすべてを周りのせいにしようとしていた。

そんなときに出会ったのが、BUMP OF CHICKENである。
それまでの私は、彼らのことを知ってはいたけれど、特別ファンだというわけでもなく、ぼんやりと認識している程度だった。
親友が、BUMP OF CHICKENの「ユグドラシル」というアルバムを勧めてくれたのがきっかけで、私はBUMP OF CHICKENの楽曲に強く惹かれるようになった。

BUMP OF CHICKENのアルバムを借りては聴き、借りては聴き、を繰り返して、私は、「才悩人応援歌」に辿り着いた。

《得意な事があった事 今じゃもう忘れてるのは それを自分より 得意な誰かが居たから》

《大切な夢があった事 今じゃもう忘れたいのは それを本当に叶えても 金にならないから》

《隣人は立派 将来有望 才能人 そんな奴がさぁ 頑張れってさぁ》

《死にたくなるよ 生きていたいよ》

《世界のための自分じゃない 誰かのための自分じゃない
得意な事があった事 大切な夢があった事》

《僕らは皆解ってた 自分のために歌われた唄など無い 問題無いでしょう》

《僕が歌う 僕のための ラララ
君が歌う 君のための ラララ
いつか 大きな声 唯一人のための唄 ラララ》
(“才悩人応援歌”より)

仕舞い込んだ自分の心の声そのものだった。
狭かった自分の世界が広がるにつれて、私は自信をなくし、勝手に自分から夢を諦めようとしたのだ。

私より才能のある人がたくさんいる世界で、私なんかの書くものが通用するはずがない。
小説家は不安定な職業だし、目指したってお金持ちにはなれない。
頑張れ、なんて言われたって、私だって頑張っているのに。
こんな自分も、周りもみんな、何もかも嫌になる。
でも生きたい。

不格好で、我儘な自分の本音が抉り出されたようだった。
でも、自分のために歌うこと、あがくことは間違っていないと認められたようで、ひどく清々しい気分になれた。
初めて聴いたとき、歌詞に共感し、涙がこぼれた。音楽を聴いて、涙を流した経験は初めてだったので驚いたが、泣いたあとはすっきりして、今度は悩みが馬鹿らしく思えて、思いきり笑うことができた。

自分以外の誰かが紡いだ言葉が、こんなにも力をくれるなんて知らなかった。
自分以外の誰かが創った音楽が、こんなにも心を満たして、背中を押してくれるなんて知らなかった。

この歌詞を、BUMP OF CHICKENの藤原基央が紡ぐからこそ、響くのだと思う。私は、彼の作る曲を数多く聴いて、彼は天性の才能を持っていると感じていた。
モーツァルトのような、音楽の天使に微笑まれた天才。それがBUMP OF CHICKENの藤原基央という人物の印象だった。実際、彼は世間からも天才と評されることが多い。
しかし、そんな彼が、こんなにも真っ直ぐな言葉で、劣等感を歌うのだ。
この歌詞を聴いて、自分の弱さに気がついた。私は逃げていたのだ。この人は天才だから、あの人は私よりも優れているから、私には敵いっこないのだと決めつけていただけだった。
そして、藤原基央が歌う「才悩人応援歌」を聴いて、自分も歌えばいい、あがけばいいんだと、心が軽くなった。
この曲は初めて聴いたときからずっと、私にとって大切な応援歌になっている。

それからはあっという間だった。BUMP OF CHICKENの楽曲が、どんどん自分の中に積み重なっていった。

「Stage of the ground」。この楽曲も、私の応援歌のひとつだ。

《古い夢を一つ 犠牲にして 大地に立っているって 気付いた日》

《未来永劫に 届きはしない あの月も あの星も 届かない場所にあるから 自分の位置が よく解る》

《飛べない君は 歩いていこう 絶望と出会えたら 手をつなごう》

《迷いながら 間違いながら 歩いていく その姿が正しいんだ
君が立つ 地面は ホラ 365度 全て 道なんだ》

《その足に 託された 幾つもの祈りのカケラ達と 
叫んでやれ 絞った声で ここまで来たんだよって 胸張って》

《躓いた小石を 集めて歩けたら 君の眼は必ず 再び光るだろう》

《那由多に広がる宇宙 その中心は小さな君》

《君をかばって 散った夢は 夜空の応援席で 見てる
強さを求められる君が 弱くても 唄ってくれるよ》

《あの月も あの星も 全て君の為の 舞台照明
叫んでやれ 絞った声で
そこに君が居るって事》

《迷った日も 間違った日も ライトは君を照らしていたんだ
君が立つ 地面は ホラ 365日いつだって
Stage of the ground》
(“Stage of the ground”より)

この楽曲も、歌詞に印象深いフレーズが多い。
特に、《絶望と出会えたら 手をつなごう》のフレーズが気に入っている。“絶望”を悪者として捉えない、決してネガティブに表現しないところが好きだ。
メロディーラインも大好きで、毎朝必ず聴いている。

BUMP OF CHICKENの楽曲の中で、背中を押してくれたり、心の根っこに届いたフレーズを書き出せば、選びきれないくらいだ。本当は歌詞すべてを挙げたいほどだが、その中でも特に響いた部分を抜粋した。

この2曲は、私にとってかけがえのない宝物だ。

様々な楽曲に触れた上で、今私が一番好きなのは、「ゼロ」である。
ゲームのタイアップという点も関係しているかもしれないが、私にとってこの楽曲は、前述した2曲とは大きく異なる立ち位置にいる。

まず、私が思うこの楽曲の一番の魅力は、ボーカルギターの藤原基央の声である。
彼の声は特徴的で、非常に魅力的だ。それはどの楽曲でも同じなのだが、「ゼロ」における彼の歌声には、特に感情を揺さぶられた。
感情の高ぶりのままの荒々しい歌声と、すべてを包み込むように優しく、穏やかな歌声が、絶妙に混ざり合っている。
深く心に響く低音や、ファルセットを使った切なげな高音、そして、熱が籠もって若干の掠れを帯びる歌声。
それらすべてを味わえるのが、この楽曲だ。
藤原基央がもつ、ボーカリストとしての圧倒的才能をすべて詰め込んだような楽曲だと、私は感じている。

さらに、聴いているだけで涙がこぼれそうになるほどの、切ないメロディーラインも魅力である。
私は初めてこの楽曲を聴いたとき、前奏部分で鳥肌が立った。まだ歌い始めていない部分でそんな風に感じたのは初めてで、驚いた。
なぜかはわからないけれど、あまりの美しさに、身体がぶわりと震えたのだ。

歌詞にももちろん、好きなフレーズがたくさんある。この楽曲の歌詞は、共感するというよりは、1本の映画を見るような、そんな感覚に近い歌詞だと感じた。物語が浮かぶ、という表現が一番しっくりくるかもしれない。
MVの世界観も好きなポイントの1つだ。とにかく切なくて、苦しくて、でも何度でも聴きたくなる、そんな不思議な魅力をもつ楽曲である。

《瞳の色は夜の色 透明な空と同じ黒
確かさに置いていかれて 探して見つめすぎたから》

《終わりまであなたといたい それ以外確かな思いが無い》

《架かる虹の麓にいこう いつかきっと 他に誰も いない場所へ》

《心に翼をあげて どこへでも逃げろと言った
心は涙を拭いて どこにも逃げないでと言った》

《命まで届く正義の雨 飛べない生き物 泥濘の上
一本道の途中で 見つけた自由だ 
離さないで どこまでも 連れていくよ》

《あの日のように 笑えなくていい だって ずっと その体で生きてきたんでしょう》

《架かる虹の麓にいこう ずっと一緒 離れないで あの日のように笑えなくていい いつかきっと 他に誰も いない場所へ》

《迷子の足音消えた 代わりに祈りの唄を 
そこで炎になるのだろう 続く者の灯火に 
七色の灯火に》
(“ゼロ”より)

「ゼロ」は、歌詞の力はもちろん、音楽そのものが持つ力を強く感じる曲だ。
BUMP OF CHICKENの魅力は歌詞だと言われることが多いが、メロディーや歌声、すべてがひとつになって初めて、多くの人に感動を与える楽曲になるのだと改めて感じた。

とはいえ、BUMP OF CHICKENの歌詞の魅力は、やはり絶大だ。
作詞を担当する藤原基央が紡ぐ言葉には、本心を抉りだすようなものもあれば、弱さや悩みを包んでくれるような優しいものもある。
聴く人次第で、楽曲から受け取るメッセージは無限に広がるし、涙を流すポイントも異なる。
それらすべてを受け止めてくれる、大きな器を持っているのがBUMP OF CHICKENだ。
だからこそ、他のバンドや音楽に触れても、BUMP OF CHICKENに帰ってくる、という感覚になるのだろうし、ふとした瞬間に、BUMP OF CHICKENの音楽に触れたくなるのだと思う。

BUMP OF CHICKENとは、私にとって家族のような存在だ。
力をくれたり、慰めてくれたり。
自分の弱さと向き合わせてくれたり。
勇気づけてくれたり、鼓舞してくれたり。
泣きたいときに泣かせてくれたり、大笑いしたいときに笑わせてくれるような、優しくて、でも時に厳しく、大切なことを気づかせてくれる、そんな存在である。

私は、藤原基央の書く歌詞を、彼らの作る音楽を聴いて、人から笑われた夢にもう一度向き合う勇気を得た。
彼のように、言葉で誰かの心を掬いあげられたら、誰かの心の片隅に少しでも何かを届けられたら、誰かの哀しみや不安を少しでも拭えたら、そう思った。

今、私は、働きながら、そして、日々の生活を営みながら、小説を書き続けている。その小説を様々な新人賞に送った。まだ、結果は出ていないけれど。
それでもやっと、少しずつでも夢に向かって前進し始めた。
不安や悩みを抱えながら、それでも、私は私のまま、夢に向かって一歩ずつ歩いている。

いつか、誰かの心に届くように、おばあちゃんになっても、諦めずに夢を追いかけ続けたい。
書き続けたい。
歩き続けたい。

その道の側には、BUMP OF CHICKENの楽曲を携えて。

《迷いながら 間違いながら 歩いていく その姿が正しいんだ 
君が立つ 地面は ホラ 365度 全て 道なんだ
Stage of the ground》
(“Stage of the ground”より)
 

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