何でもない毎日の尊さ
チャットモンチーの「サラバ青春」に寄せて
きっと、あなたにも思い出の一曲があるのではないだろうか。青春時代、何度も何度も繰り返し聴いた曲。そういう曲には、知らないうちに聴いていた時の自分がまるごと切り取られてしまっている。例えばイントロが流れ出しただけで、当時の思い出が昨日のことのように鮮やかにフラッシュバックしたりする。
その曲を聴いていた時の空気、感情まで一気に蘇ってしまう。
わたしにとってのその曲は、チャットモンチーの『サラバ青春』。
『卒業式の前の日に僕が知りたかったのは
地球の自転の理由とかパブロフの犬のことじゃなくて
本当にこのまま終わるのかってことさ』
高校の時、ちょうど卒業前の時期、友達にこの曲を教えてもらった。彼女は自分の好みをはっきり持っていて、感受性が豊かな子だった。確か卒業ソングについて話していて、絶対この曲、めっちゃいいよ、そんな風に勢いよく教えてもらって、早速聴いてみたのだった。わたしは、チャットモンチーのえっちゃんの歌声は世界で一番可愛いと思っている。とびきりキュートで、勇ましくて、どこか切なくて。そんな歌声にぴったりの曲。聴いてみて、なんだかその子らしいなあとすごく思った覚えがある。そしてすぐにこの曲を好きになった。
サラバ青春をリピートしながら、3月のカレンダーを眺めていた。毎日当たり前に過ごしてきた高校生活がもう終わるなんて、実感がないなあと思った。
『思い出なんていらないって つっぱってみたけれど
いつだって過去には勝てやしない
あの頃が大好きで思い出し笑いも大好きで』
高校生のわたしはいつもよく笑っていた。友達の書くへんな落書きや、先生の口癖。くだらないすべてがなぜかすごく面白く思えて、涙が出るくらい笑う日もたくさんあった。
今では何をそんなに笑っていたのか全然思い出せないけれど、今でも思い返すとちょっと微笑んでしまうくらい、まったくしあわせな日々だったなあと思う。
『きっといつの日か笑い話になるのかな
あの頃は青くさかったなんてね』
高校生の自分から、大人というのはとても遠いものだった。
大学生になって、社会人になって、いつかお母さんになって。
そんなの全然想像できない。
将来の夢とか、目標とか、何もなくて、でも、友達と笑っていれば楽しくて幸せだった。今がずっと続いていけばいいのになんて本気で思っていた。将来はただただ広くて、想像の翼でどこへでも飛んでいけると思っていた。
『大人になればお酒もぐいぐい飲めちゃうけれど
もう空は飛べなくなっちゃうの?』
透明な歌声。切ない声。どこまでも胸を打つ声。
長い渡り廊下、
ホームルームの気だるい空気、
先生の抑揚の無い声、
教室の埃っぽいにおい、
落書きされた教科書、
並べられた机たち、
遠くまで響く笑い声。
ありふれた普通の毎日。でも、ほんとうは全部大切で大好きだった。別れがたくて名残惜しかった。
『汗のにおいの染みついたグラウンドも ロングトーンのラッパの音も
「さようなら」って言えそうにないなあ』
本当に本当にそう思っていた。
当たり前にずっと続いていくと思っていた日常は、卒業と同時にすべて消えて無くなる。
想い出は美化される、なんてよく言われるけれど。終わってから気づく、失われることで初めて知る輝きは確かにあるのだろう。
『何でもない毎日が本当は
記念日だったって
今頃気づいたんだ
今頃気づいたんだ』
そして青春時代を通り過ぎた現在でも、会社と家の往復を繰り返す退屈な日々の中でも、この曲を聴くと当時のわたしが呼びかけてくる。
いつかすべてが終わっていくから、「今」が一番大切でかけがえがないのだと。
何気ないありふれた日に幸福が宿るのだと、
そんな一日一日を積み重ね、たった一度きりのわたしの人生を生きていくのだと。
チャットモンチーは、今年、「完結」する。
ラストワンマンライブで、最後のアンコール曲で、この曲が歌われたと知った。
聴きたかったなあ、と思う。
正直に言って、わたしはチャットモンチーの熱心なファンではなかったと思う。
生で彼女たちの演奏を聴くことができたのは一度だけだった。
でも、この曲は、今でもとても大切な曲だ。
そういう人が、チャットモンチーの創り出す音楽に心を揺さぶられた人が、きっと他に何人も何人もいるのだろう。
そんな風に、誰かに、他の人の人生に、大切な何かを残せるなんて最高に素敵だなあと思う。
何でもない毎日の尊さを伝えてくれた、色褪せない歌声を聴いて、わたしは今日も一日を過ごしていく。
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