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2017年4月25日

ささき (25歳)

思いを馳せる、4月

フジファブリックの彼がうたった「春」

春が過ぎようとしている。

多くの人は皆、寒い冬のあいだ、春が来るのを心待ちにしていただろう。そしてようやく訪れた季節、柔らかい陽に目を細め、色とりどりの花を見ては美しいと感じていただろう。何もかもが真新しい。そんな季節が、もう過ぎようとしている。
春を喜ぶ人々を横目に、わたしは4月のあいだずっと、ある曲を聴き続けている。フジファブリックの「エイプリル」だ。

季節を表す歌、特に春の歌となると、桜や春風の描写を用いたり、そういった情景を思い起こす詞が多い。
彼らのメジャーデビュー・シングルである「桜の季節」も例外ではない。〈桜の季節過ぎたら〉〈桜のように舞い散って〉〈作り話に花を咲かせ〉といった美しい詞と、曲名からは想像もつかない強めのギター・リフ、そしてどこか古典的なピアノのサウンドが印象的な一曲だ。
「桜の季節」と「エイプリル」は、どちらも春の別れをうたった曲だ。しかし、「エイプリル」には前述のような情景描写が一切無く、春の歌という点では異彩を放っている。
アルバム収録曲であるこの曲は、「桜の季節」よりは知名度は低い。メロディも、キャッチーというわけではなく、どちらかといえば「陰」のイメージがある。
それでもわたしは、この曲に惹かれ、聴き続ける。
「エイプリル」という曲名と、たった一度だけ歌われる「春」という言葉。わかりやすい情景描写がなくとも、華やかなメロディがなくとも、この曲は紛れもなく春の歌だ。誰もが一度は感じたであろう、春をうたった曲なのだ。
 

ランニングするくらいの速いテンポでリズムが刻まれ、曲が始まる。一定のリフを繰り返し弾いているのに、急かすように聴こえるギター。キーボードが奏でる音は柔らかいが、どこか冷たく感じる。まるで桜の花を散らす強い風のようだ。
 

〈どうせこの僕なんかにと ひねくれがちなのです〉
 

随分と自分を卑下している歌い出し。
なぜか胸がざわざわする。
 

〈神様は親切だから 僕らを出会わせて〉
〈神様は意地悪だから 僕らの道を別々の方へ〉
 

親切と意地悪は紙一重。「出会い」の喜びには、「別れ」の苦しみという試練が伴う。そうやって、この世界は上手く出来ている。
サビの前に歌われるフェイクは、叫びのようにも聴こえる。
 

〈振り返らずに歩いていった〉
〈その時 僕は泣きそうになってしまったよ〉
〈それぞれ違う方に向かった〉
〈振り返らずに歩いていった〉
 

「僕ら」は別々の道を進んで行く。「振り返らなかった」のは決意なのか、世界の厳しさなのか、心に残った寂しさなのか。
 

〈何かを始めるのには 何かを捨てなきゃな〉
〈割り切れない事ばかりです〉
〈僕らは今を必死にもがいて〉
 

「3月、4月って別れがあり、また出会いの季節でもあるわけだし、またこの時期になるとそういうことをいろいろ思い出すわけです。」

この曲を歌った彼はそう語っていた。
彼は春に、どんな出会いと別れを繰り返したのだろう。スタートラインに立つために、何を捨てなければならなかったのだろう。

そしてわたし自身も、「振り返らずに歩いて」きたのだと気付いた。

学校を卒業した時だった。
一人暮らしを始めた時だった。
就職した時だった。

どの瞬間も、春だった。

今になって反芻すると本当に一瞬で、同じスピードで時が流れていたことが信じられない。それでもあの時あの瞬間は、「必死にもがいて」いた、そして「振り返らなかった」のだ。遠い過去のことなのに、その時感じた痛みは今でも覚えている。
 

わたしは春が好きだ。同時に、すこしだけ苦手でもある。もしかしたらそれは、出会いと別れが織り成す複雑な感情ゆえなのかもしれない。まるっきり変わってしまったわけでもないのに、何かが違う。何に追われているわけでもないのに、焦燥感にかられる。そんなわたしのことなど、知ったことではないという風に世界は淡々と進んで行き、待ってくれることはない。夏から秋へと移り変わる時の感傷的な気持ちよりも、もっと切迫したものであり、ただただ、不安になる。

だから、初めてこの曲に出会った時、詞もメロディも歌声も、定位置があるかのように自然と、わたしの心に入ってきた。同じだ、きっとわたしと同じだったのだと、勝手ながらひどくほっとしたのを覚えている。
 

〈また春が来るよ そしたのならまた〉
〈違う景色がもう 見えてるのかな〉
 

繰り返された「また」という言葉は、「もう」へと変わった。今では過去となってしまった事実だとわかる。「また」春が来ても、「もう」二度と、同じ春では無い。

何年経っても、いくつ歳を重ねても、春特有の焦燥感は薄れない。そんなわたしには、世の中に溢れかえる春の歌や桜ソングを聴くよりも、ただひとつ、「エイプリル」を聴き続けるほうが合っている。
この曲を歌った彼はもういないけれど、彼の気持ちをメンバーが引き継いだから、わたしはフジファブリックの音楽に出会うことができた。彼がいなくなってから引き合わせるなんて意地悪だ、だけど出会わせてくれたから、やっぱり神様は親切なのだ。

2017年の4月はあと数日で終わる。桜は既に舞い散り、吹く風からは初夏を感じる。この春は二度と来ない。季節がひとつ、終わろうとしている。

「また」春が来たら、あい変わらず切なくなるのだろう。
そしたのなら「また」この曲が、春のしがらみから
わたしを救ってくれる。それを「もう」、知っているから。

わたしは歩いて行く。
今はまだ、振り返らずに。

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