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映画と『’39』とクイーンと。

隠れた名曲にして迷曲にしてメイ曲。『'39』の考察。

近頃、クイーンのファンがざわついている。
ざわついている原因は、今年11月に公開される映画『ボヘミアン・ラプソディ』の予告編である。

あの映画が何年すったもんだしたかは忘れたが(たぶんわたしが中学生くらいの頃から計画が頓挫したり再開したり監督が辞めたりしている)キャストが決まってから完成までは早かった。
そして、キャストの写真をみたときには似てる似てないで騒いでいたファンが、予告編の公開とともに黙った。
「俳優ってすげえ!」
みんな、そう思った。

特にみんなが驚いていたのは、ブライアン・メイ役のグウィリム・リー氏の演技だった。
前評判だとジョン・ディーコン役のジョゼフ・マゼロ氏が1番似ているという感じだったが、いざ予告編が公開されると、「グウィリム半端ない」という感じになったのだ。

具体的にどう凄いかと言うと、まずこのひと、身長がブライアンと同じだそうで、サイズ感がぴったりである。そして、仕草や表情のひとつひとつがいちいちブライアンそっくりだ。それだけならば演技力で片付けられるが、なんと声まで似てる。ブライアンメイが吹き替えしたのか?ってくらい似てる。よくもまあこんなひと見つけてきたものである。

ただしグウィリム氏はスポーツが趣味であり、けっこうムキムキだから、半袖を着るとなんか違和感があった。なんか、こう、違和感があった。
 

さて、クイーン程のバンドにもなると「隠れた名曲」がほとんど無くなる。アルバムがどれも何百万枚も売れているバンドだと、名曲は余すことなく知れ渡り、珍曲や微妙な曲が上手く隠れてしまうからだ。
特に『ボヘミアン・ラプソディ』が収録された名盤『オペラ座の夜』なんて1000万枚以上売れてるんだから、このアルバムの収録曲を「隠れた名曲」と言うのはちょっと苦しいものがあるとわたしは思う。
だって「隠れた名曲(1000万枚売れたアルバムに収録された曲)」って、なんか変だろう。

それでも、「隠れた名曲」と称するのが最も似合う曲というのは存在するのだ。たとえば、これから紹介する曲のように。

『’39』という、クイーンの隠れた名曲をご存知だろうか。
作曲はブライアン・メイ、宇宙についての曲というところが、いかにも天文学の博士号を持つ彼らしい。
この曲は1000万枚売れた『オペラ座の夜』に収録され、シングルを出すか出さないかで揉めたり悩んだりした挙句、結局シングル『マイ・ベスト・フレンド』のB面に入った曲である。この「B面曲」という扱いのおかげで知名度が下がっている感は否めず、ブライアンはこの曲をA面でシングルカットできなかったことを長い間悔やんでいるそうだ。そういう気持ち、わかる。

この『’39』という曲は、12弦アコギにウッドベース、バスドラムにタンバリンという所謂アコースティック編成で書かれた曲だ。ヴォーカルはブライアンで、間奏ではクイーンらしい分厚いコーラスと品の良いレッドスペシャルの音色が聴ける。ライブではフレディがヴォーカルを担当していたのだが、舞台の前面で横一列に並んで歌うパフォーマンスはなかなか良いものだった。ジョンは口パクだけど。

『’39』は隠れた名曲ではあるが、ファン人気はめっぽう高い曲だ。めっぽう高いというか、妙に高いと言ってもいいかもしれない。ライブで観客が「プリーズ『’39』!」と叫んでいたり、『’39』の横断幕を掲げていたりするのだ。そんなに演奏がレアな曲というわけでもないのに、この声望はやや過剰である。
しかし、明るいのにどこか哀愁を帯びた、加えて誰にでも歌いやすいこの曲をライブ会場で大合唱するのは、ものすごく楽しいのである。わたしは経験ないけど。

だがこの『’39』、人気と歌いやすさの割に、歌詞がめちゃめちゃ難解なことでも知られているのだ。

まず、この曲の歌詞はストーリー仕立てになっている。

1番……環境汚染か何かで地球を離れなければならなくなった「とある39年(2139年だか3139年だか)」。勇敢な宇宙飛行士たちが新天地を求めてすごく速いロケットへ乗り込み、旅立つ。
2番……荒れ果てた地球へ帰還した宇宙飛行士たちが、成長した自分の子孫たちの姿を見つけ、ロケットの中では数年しか経っていないのに、地上では数百年が経っていたと知る。

(ちなみになぜ「xx39年」かというと、これがクイーンの39曲めの曲だからだそうで、なんも深い意味は無い)

この時点でピンときたあなたは、学校の成績が良いか、あるいはSF好きだろう。この曲、要は3分半で相対性理論における「ウラシマ効果」を歌っちゃってるのだ。
では、「ウラシマ効果」とはなんぞや。様々な理論をぶっ飛ばし、その問いに簡潔に答えよう。

「光速に近いロケットで宇宙旅行すると、地上で流れる時間よりもロケットの中の経過時間のほうがだいぶ短くなるよ!!すごいね!!」

……ってことです。はい。気になった人はウラシマ効果とか双子のパラドックスとかで調べてみてください。
ちなみにウィキペディアでウラシマ効果について解説してるページでは、この曲も紹介されています。

相対性理論にウラシマ効果。光速やパラドックス、時間の遅れ。もう既にうんざりしてきた人は多いと思うが、ここまでがこの曲の理解への序の口だ。
実を言うと、上記の「ウラシマ効果」に関することは、SF好きやオタクにとっては常識である。わたしも初めてこの曲を聴いたとき、「あーウラシマ効果の話ね」とすぐにわかった。だから、そこはそれほど難しくない。理解の前提条件としての知識というだけだ。
だが実は、この曲の問題点は「歌詞の書き方」にある。

端的に言おう。この『’39』という曲、普通に歌詞を読んでもほぼ意味不明なのだ。

まず、この曲はロケットで旅をする物語だと言った。しかし、本文中には『ロケット』という単語も『宇宙飛行士』という単語も出てこないのだ。ついでに、『銀河』とか『宇宙』とかという単語も出てこない。
かろうじて「住む場所が少なくなったから、男たちが船に乗り込み、出航した」的なことを言っているのだが、それだけならばただの航海物語ともとれる。

1番の時点で「あ、これ宇宙を旅してるんだな」と辛うじてわかるのは「milky seas」という単語からなのだが、これはまず天の川が「Milky way」だということ、さらに、天の川が銀河の一部であることを知らなければ、「乳白色に輝く銀河の海」の姿が浮かばない。つまり、聴き手に一定の知識が求められているのである。

2番に入るとようやく『地球』という単語が出てきて、1番で男たちが旅に出た理由が「死にゆく地球から人類を救うため」だとわかる。このあたりでSF好きなわたしは「ウラシマ効果か!」とピンときたのだが、そう詳しくない人にとってそれ以降の歌詞は意味不明である。
これはもう「歌詞が知的」とか「難解」とかそういう話ではない。「歌詞を理解するためには一定の知識が必要」なのだ。

ただでさえ暗喩のオンパレードの歌詞に、前提知識を必要とする曲。なんでこんなん作っちゃったんだブライアン。もはやロックの常識を逸脱してる。とりあえずブライアンが頭良いのはわかるんだけどさ。

そして更に。『更に』である。暗喩ばっかりならまだいいのだが、この曲は誰目線で書かれているのかよくわからないため、余計に難解になっちゃってるのだ。
いちおう、サビでは『Me』と『You』が出てくるから、サビは『Me』の視点なのだとわかるが、それ以外のシーンでは基本的に三人称視点が用いられている。ただし、歌詞の5行目はおそらく主観で、「あれは綺麗な景色だったよ」的なことを言っている。
そして2番になると、半分くらいまでは三人称視点で、サビに入る直前、唐突に『You』が登場する。突然の一人称視点である。しかもこの『You』、サビの『You』とは別人だ。

『’39』のサビは、宇宙船の中から遠い地球へ、そして地球から遠い宇宙船へ、恋人たちが互いに呼び合い、互いに自分がいる惑星の大地へ手紙を書くという内容になっている。ここでの『You』は間違いなく、遠い場所にいる自分の恋人のことである。
だが、2番のサビの前に出てくる『You』は、自分の恋人のことではない。この『You』は、いま『Me』の目の前にいる人物のことで、その直前の歌詞では『Me』の恋人がすでにこの世にいないことが示唆されているのだ。
しかし、『Your mother’s eyes, from your eyes(直訳すれば、「君の瞳の中にある君の母の瞳」)』という歌詞から、この『You』は『Me』の子孫であることが読み取れる。

つまり、歌の主人公である『Me』は長い宇宙旅行から地球へ帰還し、恋人とそっくりな人物を見つけ、数百年の時が過ぎたこと、恋人がもうこの世にはいないこと、そして自分と恋人の愛が実り、その血が受け継がれたことを同時に知るのである。なんか星新一のショートショートっぽい、すげえ切ない歌詞だ。

さあ、こんなところで『’39』の難解な詩がだいたい読み解けたと思う。ここまで実に3000字である。曲は3分しかないのに、解説文を読むのには10分以上かかる。
しかし、この『’39』にはまだ、ひとつの大きな謎が残されている。それは「この曲は、いつ、誰が、どこで、誰に向けて歌っているのか?」という謎である。

この曲の最後の歌詞は『悲しいけど、それでも僕は生きていかなきゃいけないんだ』というような内容であり、なんだか自分の子孫へ向けた歌の締めくくりとしては奇妙である。
しかも、『Me』が体験談を歌っているのならば、一人称視点や三人称視点を混ぜこぜにするのはおかしい。最初から『むかしむかし、僕はロケットに乗って旅に出たんだ』で良いはずだ。それなのにこの曲は、『男たちが船に乗り込んだ』と歌い始める。

更に最後の方では『君の母の瞳』と言っているが、『君の母の瞳』というこの表現、普通に読めば『君』とは『母(歌の主人公の恋人)』の子供だと解釈できる。だがよくよく考えると、曲中では少なくとも100年の時間が経っているわけで、主人公が旅立つ前に恋人との間にできた子の年齢は、いちばん若くて90代後半。ちょっと長寿大国日本の平均寿命をはるかに超えちゃう。それに、仮にそのひとが生きてても、年老いたそのひとが自分の子供だとすぐにわかるだろうか?わからないと思う。

さて、この曲は「いつ、誰が、どこで、誰に向けて」歌っているのだろうか。

ここから先に書くストーリーは私の想像でしかない。想像でしかないが、どうか聞いてほしい。
 

はるか遠い未来。人類は地球を離れ、別の惑星へと移住を果たしていた。新しいその惑星では開拓が行われ、都市の建築が進み、人々の表情は希望に満ち溢れている。

そんな惑星の片隅で、年老いた男がギターを片手に歌いだした。ドームに覆われた街の摩天楼のふもと、細く柔らかい男の歌に、子どもたちが集まりだす。
男が歌うのは、子どもたちが学校で習った、この惑星の発見の歴史の物語だった。かつて『地球』という星から出発し、この惑星を見つけた、偉大なる英雄たちの物語。
それはこの惑星で生まれた子どもたちにとって、大人たちからうんざりするほど聞かされた物語だった。次第に子どもたちは男の歌に興味をなくし、去って行く。

しかし、ひとりの少女だけは男の寂しそうな歌声にじっと耳を傾け続けた。そんな少女に、男は宇宙への冒険から帰還した自分を地球で迎えた、自分の孫やその子どもたちの面影を重ねる。

そして少女も立ち去った後、かつて宇宙を旅した老人はギターを置き、全人類からの歓喜の声や新天地への希望にも埋められない孤独で覆われた自分の人生を「皮肉なものだ」とひとり振り返るのだった––––。

以上が、わたしの考える『’39』の物語である。

ところで近頃のクイーンのライブでは、ブライアンがギター1本で歌う『Love Of My Life』でスクリーンにフレディ・マーキュリーの姿が映し出され、ブライアンの生演奏のもとで、その歌声を聞かせてくれる演出がとられている。アダム・ランバートのファビュラスな歌声はもちろん最高だが、文字通り天国から降り注ぐ歌声に涙しないファンはいない。
わたしも2016年、来日公演でその演奏を生で観たのだが、あれはヤバかった。まず『Love Of My Life』の歌詞自体が、去って行く恋人へ「行かないで、帰ってきて」と歌うものだ。それだけでもヤバいのに、それをブライアンと会場のファンと、天国のフレディが歌い合う。
スクリーンの中ではブライアンとフレディが昔のように並んで歌っているのに、舞台をみるとブライアンがひとり、薄っすらと涙を浮かべて、微笑みながらギターを弾いている。これはヤバいとしか言いようがない。

わたしはあの日、武道館で声を張り上げて歌いながら、「ああ、これ『’39』だ」と、そんなことを考えていた。

年老いて髪も真っ白になったブライアンと、歳をとらないフレディと。歳月は遠く隔たれ、互いに遠い世界にいて、そして互いに歌い合う。けれどスクリーンの中のフレディとブライアンの手が触れ合うことはない。
遺された歌声は、けれど彼がこの世に生きているという事実ほどには心を癒してはくれない。

それでもクイーンは進み続ける。無限の星空に照らされながら。だがそれは『’39』の主人公のような、孤独な旅ではない。クイーンという巨大な宇宙船は、クイーンを愛する全ての者と共にあるのだから。

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