1383 件掲載中 月間賞発表 毎月10日
この数字はTwitterやFacebookでのリツイート・いいねなどの反応数を合算して算出しています。

祝クイーン フレディ伝記映画 ボヘミアン・ラプソディ 僕の見処

僕がクイーンに夢中だったころとジョン・ディーコンのナンバーを愛したフレディ・マーキュリーの実像とは

クイーンのフレディ・マーキュリーの伝記映画が11月に公開されるというので、
同級生の友人と盛り上がっている。
公開日に是非、観に行こうと計画中だ。

フレディの突然の死はショックだった。
1991年11月24日、僕はロックスターの死に初めて泣いた。
1985年の伝説のライブパフォーマンス、そして『Innuendo』で僕が熱中したクイー
ンが戻ってきて「やっぱりクイーンは凄いのだ、ザマーミロ」と叫んだ熱狂が覚めや
らぬうちの突然のフレディの死のニュース。

フレディのクイーンのライブを経験できなかったことは、今となっては仕方のない
ことであるが、2016年のクイーン+アダム・ランバードのライブに参戦し、その圧倒的
なパフォーマンスにクイーンはやっぱり最高だとの思いを新たにしているこのタイミ
ングでの映画公開は非常に喜ばしい。
また、フレディが映画になる日なる日が来るとは、感慨深いものがある
(ウディ・ガスリー、レイ・チャールズ、ジェームス・ブラウン ジム・モリソンと並ぶレジェ
 ンドなのだフレディも。しかも、まだクイーンはスタジアムを満杯にしている現役だ)

僕は1964年生まれで現在53歳。ビートルズ解散時には6歳、クリムゾン解散時には
10歳。ラジカセを手に入れたのが12歳。1976年から洋楽を聴きはじめた。
1976年というのは、洋楽のムーブメント的には、穴ぼこ世代だと思っている
パンク、サタデー・ナイト・フィーバーは翌年。
べイ・シティ・ローラーズが全盛期で、一部の女の子が騒いではいたが、大きなムーブメ
ントがなかった年である。
嵐(≒PUNKムーブメント)の前の静けさ

宝物のラジオから偶然流れてきたのがクイーンの『Somebody to Love』だった。
それまで聴いていた日本のあらゆる音楽、ニューミュージック、そして音楽の授業で
聴かされた芸術であるクラシックを内包して、かつ全てを凌駕する迫力の音。
一瞬で心奪われた。ロックのマジックの初期衝動ってやつだ。
歌謡曲のドーナツ盤を買うのをやめ、お小遣いを貯め『A Day At The Races』を購入
した。学校から走って家に帰り、チープなレコードプレイヤーで擦り切れるまで、
毎日聴いていた。イントロダクションののギターオーケストレーションから
『Tie Your Mother Down』のイントロに痺れ、万華鏡のような様々なナンバーから
『Teo Torriatte (Let Us Cling Together)』 の日本語の歌詞までサウンドは完璧。
アルバムジャケットの黒地に王冠も完璧、内ジャケットの真っ暗なステージに立つ、
バレエタイツのフレディ、ヒラヒラ衣装にアコースティックギターのブライアン、
バスドラにタンバリンのロジャー、白いオーバーオールのジョン。 ビジュアルも完璧。
このメンバー4人がだけでこんな凄い音、コーラスをするのか(多重録音というのを
当時は理解していなかったので驚愕するばかりだった)と思うともう信じられなかった。
ロック初心者の僕は貪るように聴き、熱狂した。

次に買ったアルバムが、偶然でしかないのだが、ビートルズのアビイ・ロードでこれ
で、ロック少年一丁あがりだ。
僕のロックの音の基本は、ギター、ベース、ドラム、ピアノとコーラスとドラマティッ
クな展開と組曲のようなmedley。こういう音を聴くと未だになんともワクワクしてしまう。
この2枚のアルバムで僕個人のロックの好みが決まってしまったといっていい。

クイーン熱は上昇の一途で、漫画を買うのもやめ、ひたすら、クイーンのアルバムを
購入していった。 『A Night at the Opera』『Sheer Heart Attack』『QueenⅡ』
『Queen』の順にすべて購入。 どうしても大きなステレオで聴きたくなりオヤジと交渉し、
成績しだいとの約束をとりつけ、必死に勉強して条件をクリアし買ってもらった。
オヤジが買ってくれた最も高価な物だ。
当時のオーディオというのは、信じられないぐらい大きいのにアンプの出力は60Wだっ
たりする。YAMAHAのステレオ(本当はパイオニアが欲しかった)で毎日正座して
クイーンを聴いていた。

お盆に実家に帰りもう音がでない巨大なステレオを目にすると、若くして突然亡くなっ
たオヤジを思い出す。
この頃からオヤジを嫌っていて、大学入学を契機に口もきかなかったオヤジが注いで
くれた愛情を結婚するまで理解することがなく、孫の顔をみせることもできず、親孝行
もできなかったことのへの後悔とオヤジへの感謝の想いがクイーンのナンバーと共に
脳裏を過ぎる。
ロックという一生の宝物をオヤジとオヤジの愛情のこもったステレオが与えてくれたのだ。
 

当時はロック御三家の時代だったのだが(福島の田舎ではそんな情報はなかった)、
1977年に放送されたヤング・ミュージック・ショーのキッスのライブの武道館ライブ放映の
影響で、圧倒的にキッスが人気であった。
田舎の女子中学生はベイ・シティ・ローラーズに夢中、エアロスミスは知っている人さえ皆無、
クイーンは積極的なリスナーは周りにはおらず、僕は、クイーンが大フィーバーになってい
ることも知らず、一人孤独に聴いていた。
因みにPUNKバンドムーブメントは田舎にはなかった。ヤンキー文化だったのもあるし
田舎で洋楽ロックを聴いているのは、だいたいが僕のような真面目な優等生タイプだけだ
ったので、素行不良の臭いがプンプンする初期PUNKは当時は性に合わなかったのである。

クイーンの音色は他のバンドと全く違っていた。
オペラ歌手のようなボーカルに多重録音の美しいコーラス、多重録音の聴いたことの
ない不思議な音色のギターにピアノが絡む。曲の構成はこれでもかというほど複雑で
ドラマティックで展開が早く、疾走感があり、プログレバンドなら、10分以上の長さ
になるであろうアイデアを5分程度の曲で聴かせる。
そして、美しいバラード、ポップなメロディと多種多様なナンバーが洪水のように
押し寄せる。
特に『QueenⅡ』のサイドブラックの疾走感、組曲のような複雑な曲構成、凝りに
凝ったスタジオワークは今聴いても圧倒的だ。
今、聴いてもゾクゾクする名盤だ。

クイーンはレコードとライブを別物と考えていて、レコードの徹底的に拘った凝った
音作りというのはスタジオワークの追及といってもよい。
スタジオワークを極限まで追求、挑戦したバンドはビートルズ、ペット・サウンズの頃
のビーチ・ボーイズ、ピンク・フロイド、そしてクイーンの4大バンドだと個人的には
考えている。

3枚目以降には、フレディの美意識の重要なテーマである、バレエ、オペラ、
ボードヴィルなどのヨーロッパの伝統的な文化を音と視覚面で取り入れ、全く新しい
エンターテイメントとして成立させていること目指している。
芸術であるバレエもオペラも成り立ちは貴族のエンターテイメントであり、ヨーロッ
パの伝統にに魅せられたフレディはそれらの伝統的なエンターテイメントとの融合を
試みたのだ

フレディは華麗なるレース後のインタビューで語っている
【クイーンはロックンロールの壁を突き抜けたと思いたい】
(出展 rockin’on 2016年10月号 フレディ・マーキュリーインタビュー)

ロックと伝統的エンターテイメントを融合させて、クイーンというバンド4人で、
独自の音、視覚をも融合した新しく、斬新なエンターテイメントを確立させると
いうことをことをフレディはロックンロールの壁を突き抜けると表現したのだ。
だから、オーケストラとクイーンは共演はしないのだ、
後期のライブにはサポートメンバーを起用したが、ステージでも複雑な曲を4人での
再現(ライブアレンジではあるが)にこだわり続けた。
フレディの言うロックンロールの壁を突き抜けた初期の頂点が、『Bohemian Rhapsody』
だ。

『Bohemian Rhapsody』で頂点を極めたクイーンはその音の拡大再生産をしなかった
パンク以前の70年代に成功したバンドとしては稀有なことに、クイーンの音の骨格
を保持しながら、時代性を敏感に感じ取り、時代の音をクイーンの音として構築して
常にTOPを目指し、そしてTOPに君臨し続けた。
時代がPUNK、New Wave 、Technoを経て、打ち込みによるダンスミュージックに変化し
ていくなかで、新しい音を取り入れ、変化させ、ヒットを連発する。
『News of the World』から曲をPOPに短くしていき、ついに、『The Game』でDisco
を取り入れた『Another One Bites The Dust』、ロカビリーの『Crazy Little Thing
Called Love』で全米ナンバー1を獲得。打ち込みによるダンスミュージックを取り
入れた『Radio Ga Ga』も大ヒット。
クイーンというバンドは、レンジが広く、柔軟性を持ち、そしてその音は、常に時代
性を持ちえたのだ

『Another One Bites The Dust』の大ヒットはクイーンの時代を読む鋭敏な感性を
表している。時代の音を最先端で常に切り開いたデヴィッド・ボウイであるが、
『Let’s Dance』は『Another One Bites The Dust』の2年後のヒット曲である。
デヴィッド・ボウイが『Under Pressure』でのクイーンとの共演に刺激を受けたの
ではないかと想像すると楽しい。
デヴィッド・ボウイが『Let’s Dance』を製作し、カルトヒーローからスーパースター
、スタジアムロックに一時期でも変貌したことはクイーンの先進性を証明するひとつ
の要素であると非常に個人な意見であるが、今でも信じている

初期のコアな僕のようなファンは、その変化を受け止められなくなり、クイーンから
離れていったが、時代性を失わない先見性こそがクイーンを名実ともに世界的な
バンドへと飛躍させた。
東欧、南米などでの圧倒的な人気を誇ることはクイーンの特筆すべきことだ。
70年代から活動しているバンドで、長い低迷時期もなく(解散の危機はあったが)、
活動を継続したバンドはクイーンしか存在しない
(エアロスミス、キッスは80年代以降に大きく失速している)

僕は、フレディ時代のクイーンを観ることができなかった。
東京に上京していて、ライブを観るチャンスもあったのだが、正直にいえばシン
セサイザー中心の音作りでPOP化していく時代の音を取り入れたクイーンの
意図、本質が理解できず《POPなクイーン》に興味を失っていた。
が、伝説になったライブ・エイドのステージで僕はクイーンの素晴らしさを再発見
する。クイーンにそれまで否定的だったマスコミもクイーンを大々的に評価をし
クイーンの世界的評価が決定的になった
結局、ライブエイド直前の来日がフレディ在席のクイーン最後の来日になってしま
ったので、フレディのライブを観に行かなかったのは悔いが残る。

クイーンのライブを体験したのは、2005年のポール・ロジャースとの突然の復活の
ときにまで持ち越しになる。ハードロックにカテゴライズされるバンドは、ブルー
スからの影響が垣間見えるものだが、 初期の頃からクイーンにブルースっぽさが
皆無であった。そんなクイーンがブルースど真ん中のポール・ロジャースをボーカル
に迎えたのは意外なことであるが、ライブはポール・ロジャースの『All Right Now』
とクイーンの楽曲とを同時に聴ける一粒で二度おいしい素晴らしいライブだった。

フレディとポール・ロジャーズは全く異なるタイプのボーカリストであるが、故にク
イーンの楽曲の根底に実はブルースフィーリングがあることを改めて発見するこ
とができたのである。クイーンの音は深い。
とは言え、クイーンのライブと考えると、少しだけ違和感があったのは事実。
このライブがポール、ブライアン、ロジャーの3大アーティストのそれぞれのソロ
の趣が強く、若干散漫な印象かあったこと、そして何より、クイーンの煌びやかさ
というより《渋すぎるブルースハードロック》なのだ。
ポールは素晴らしいボーカルでブルースロックとして新しいクイーンを提示し、
非常に感銘を受けた。クイーンとしてではなく、新バンドとして新アルバム聴いてみ
たいと思った。実際、3人は、渋い名盤『The Cosmos Rocks』を制作しているので、
ブライアン、ロジャーはフレディ時代にはできなかった自分のルーツであるブルース
を基調としたロックをついに実現する。
そして、このコラボ経て、ブライアンはハードロック、ヘヴィメタルを模索する
長い迷走から抜け出した

このコラボを経たからこそブライアンとロジャーは、クイーンの音を再発見し、
2012年から新ボーカリストとして、アダム・ランバートを迎え、コンスタントにツアー
をして、大成功をおさめている。

2016年の武道館のコンサートは素晴らしかった。
フレディのきわもの、いかがわしさのオーラとステージを支配するカリスマ性を
アダム・ランバート流に表現し、その圧倒的な歌の上手さでクイーンサウンドを
見事に蘇らせている。

是非、再来日を期待したい。
実現したら、『You’re My Best Friend』『Spread Your Wings』
『I Want to Break Free』『Friends Will Be Friends』等の楽曲を演奏する
ことを願っている。全てジョン・ディーコンのペンによるナンバーだ。
僕はジョン・ディーコンのナンバーがお気に入りで、アルバム『A Day at the Races』
では『You and I』、アルバム『Jazz』では『In Only Seven Days』が最も好きな
ナンバー。いずれもシングルのB面のPOPな小品でライブで演奏されたことはない。
ジョンのナンバーは、POPで美しいメロディをフレディのピアノ、ブライアンの唯一
無二のギ多重録音ギター、多重録音のコーラス、そして何より日常のロマンティッ
クな情景を表現した歌詞を唄うフレディのボーカルの繊細な表現力を堪能できる。

クイーンらしいドラマチックさはないが、メンバーがリラックスして演奏している趣
がある。きっと、唄えないベーシストのジョンが美しく繊細なフレディのボーカルの
魅力を際立たせるナンバーに仕上げるサウンドの設計図を作って、録音に臨んだの
だ。
フレディのボーカルはカリスマのロックスターを演じるフレディではなく、生涯語る
ことのなかった深層心理の自分が望む「日常」を描くジョンのナンバーを大切にして
特別な想いを抱いて唄ったに違いない。
その証拠にフレディは自分の心中を知り尽くしていた寡黙なベーシストジョンとは、
気を許したかのように数曲を共作している。

フレディはステージ上で、キングのようにふるまい、エンターテイナーであり続けた。
そして、きわものである自分を演じ続けた。
フレディのロックスターとしての派手な振る舞いはプライヴェートでも貫かれたが、
その内面は、シャイで神経質だったとも言われる。インタビューも少ない。
彼はその内面を語ることはなかったし、生涯で自分のインド出身のペルシャ系である
出自、宗教、セクシュアリティを一切公言しなかった。

フレディがヨーロッパの伝統的エンターテイメントをクイーンの楽曲に取り入れたの
は自分では消すことが出来ない持って生まれたアイデンティティに対するジレンマか
らくるヨーロッパへの強い憧れからだったと思う。
そのジレンマこそが、フレディを世界的バンドのリーダー、ステージを支配
したカリスマボーカリスト、ゴージャスなロックスターへの強い憧れと野望とになり、そして生涯ロックスターとしての振る舞いへと駆り立てた。

『Innuendo』

「While we live according to race, colour or creed
 While we rule by blind madness and pure greed
 Our lives dictated by tradition, superstition, false religion
 Through the eons and on and on
 Oh, yes, we’ll keep on trying, yeah
 We’ll tread that fine line
 Oh oh we’ll keep on trying
 Till the end of time
 Till the end of time

自分を縛り付けている出自、宗教からは逃れられない。
だからこそ死ぬまで(ロックスターとしてのフレディ・マーキュリーとして)挑み
続ける。

『Innuendo』は、フレディの生き方の赤裸々な告白だ

映画にジョン・ディーコンは関わっていないという。
映画のジョン・ディーコンもそのパブリックイメージ通りに寡黙なベーシストとして
描かれているのだろう。 あまり出番もなさそうだ
フレディの死と共にクイーンを辞めたジョン・ディーコンは二度とステージに立たない
しフレディ、クイーンのことを語ることはない。
それを僕も望んではいない、
それでも僕は映画 ボヘミアン・ラプソディをフレディの内面とその葛藤を理解して
いたジョン・ディーコンの心の交流に着目して堪能するつもりだ
クイーンというバンドのマジックとミラクル、イニュエンドゥに思いを馳せるのだ

ジョンはフレディの死と共に完全にショービジネスから引退したことは、彼の中で
のクイーンの時間は止まったことを意味する。その気持ちにシンパシーを感じながら、
世界中の若い新たなファンにフレディのそしてクイーンのナンバーを披露する伝道師
としてのブライアンとロジャーの生き方も支持する。

何より僕はまだクイーンを愛しているのだ。
クイーンの物語はまだ続いている。
The show must go on

  • 投稿作品の情報を、当該著作者の同意なくして転載する行為は著作権侵害にあたります。著作権侵害は犯罪です。
  • 利用規約を必ずご確認ください。
  • ハートの数字はTwitterやFacebookでのリツイート・いいねなどの反応数を合算して算出しています。
音楽について書きたい、読みたい