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andymoriが鳴らす人生のファンファーレ

7年間で生まれた永久的な熱狂の合図

 音楽というのはその演奏者がいなくなっても忘れられることはない。今や音源をCDやダウンロードで保持でき、聴きたいときにいつでも聴くことができる。きっと誰にでも音楽が時代のリマインダーとして作用した経験があるだろう。たとえすでに解散してしまったバンドの曲でさえも何度も聴き返し、時代の移ろいを感じることがある。ところで主にラジオから音楽を聴いている私は数々の解散したバンドを知っている。バンドの解散や引退のような重大な音楽ニュースはラジオでもしばしば大きく取り上げられる。ただ、私には1つだけどうしても忘れられないバンドの解散劇がある。そのバンドはandymoriだ。和製リバティーンズとの異名を持つ彼らは約7年という短い活動期間を通して私たちにたくさんの音楽を届けてくれた。時に型破りなことをしながら、彼らは常に私たちの心の奥底にある様々な感情を刺激した。

 子供の頃の日々が今となっては理想になることがしばしばある。例えば、喉から手が出るほど熱望していたにも関わらず、社会人になると一気にその正体がわからなくなる夏休み。誰もがこの言葉を聞いて思い出すものがあるだろう。夏休みの喜びをクールダウンする地元の祭りのかき氷、山の端に沈む日を背に家路につく友達の後ろ姿、そして朝から目が覚めるような大きな声で鳴くセミ。私は“1984”を聴くと夏の夕暮れを思い出す。振り返ると小学生の頃の放課後の日々は当時感じていたよりも優雅であった。その時の感覚を“1984”は取り戻してくれる。この曲は第3回CDショップ大賞を受賞したアルバム「ファンファーレと熱狂」の1曲目だ。これには以後続く曲と決定的に違う点がある。それはトランペットが入っているということだ。柔らかなトランペットの音色が1日の終わりを告げる夕焼けが照らす遠くまで続く家路への寂寥感と高揚感を同時に表現している。

≪ファンファーレと熱狂 赤い太陽 5時のサイレン 6時の一番星≫

このサビの歌詞が小山田のファルセットで歌う涼しげな歌声と相まって夏の放課後を想起させる。しかも1番最後のサビになるとファルセットではなく地声で叫ぶように歌う。その音から門限ギリギリの時間になるとこれでもかというくらい遊び倒したくなる気持ちを思い出した。この気持ちこそ熱狂なのだろうか。また、最後の大阪公演として行われた「ひこうき雲と夏の音」の一番最後に披露された“すごい速さ”には夏の疾走感を感じられる。曲自体は1分26秒しかないが、夏が終わり、また朝から早起きする生活が始まり気持ちを入れ替えなければという焦りが見える。というのもこの曲の歌い出しはこのようだ。

≪きっと世界の終わりもこんな風に味気ない感じなんだろうな≫

確かに夏休みの最終日は気づかぬ間にやってくる。しかも最終日というのは翌日への緊張感も心のどこかにあり、何もせずに終わることが多い。それを世界の終わりと重ね合わせて考えるのはとても規模の大きなことだがandymoriはその困難をも音楽で乗り越えていくのだ。そして曲の終わりにベースソロから一斉に音がなり終わった瞬間、andymoriの7年間というバンド活動こそがすごい速さであっという間に終わったと少ししみじみとしてしまう。

 また、andymoriは過去の当たり前の幸福を回想するだけでなく厳しい現実にも目を向ける。ファーストアルバムにしてセルフタイトルの「andymori」に収録されている“everything is my guitar”にはこんな一節がある。

≪街頭の右翼の叫び声 街宣車で叫ぶ議員の声
 everything is my guitar こんなとりとめのない平和な掃き溜めで≫

右翼の叫び声や議員の声は一見真っ当な持論を展開しているように思われる。しかし、よく聞いてみると現代社会に反対ということを何の論理展開も無くひたすら声にしているだけのように聞こえる時がある。きっと声を上げている彼らは中身のないことを大音量で主張することでただ見栄を張りたいだけなのだろう。この声明が小山田にとっては中身のなくむしろ現実味が無い場所、つまりとりとめのない平和な掃き溜めなのだ。私はイントロのギターの高速カッティングからこの現状をいち早く変えなければならないという使命を感じる。しかも彼らは次にこんなことを言っている。

≪everything is my guitar 物語が始まるかも知れないんだよ≫

彼ら自身の生み出すロックンロールでこの状況を変え、新しい社会を作っていくという意思が非常に強く現れている。そういえば中学生の時、この曲を通して音楽は世界を変えられるということに確信を持った。

 このような虚構の入り交じった現実の中で彼らの音楽がもたらす喜びは眩しいほど輝く。私は精神的に辛い時、少しでも日常を忘れるために“クラブナイト”を聴く。再生ボタンを押すとクラブビートから始まり今まで塞がれていたものが一気に弾けるかのようにホーンを含む全楽器が音を鳴らし始める。この瞬間、私も何かから解き放たれた気がして何度聴いても鳥肌が立つ。これまではギター、ベース、ドラムの衝動的な音が特徴的だったがこの曲に限ってはミドルテンポでポップで体を動かしたくなるリズムだ。退屈な時や辛いことがあった時、持ち前の柔らかな声で「クラブナイトへおいでよ」と優しく音楽の溢れる空間に私を招いてくれる。あるインタビューで小山田はこの曲は自主レーベルのイベントの歌であり、こういう時間に助けられていると述べていた。確かに私たちは何かしらのイベントに参加することで新しい発想や物の見方を得ることがある。特に音楽ライブではアーティストのみならず周りにいるオーディエンスと同じ場で騒いでいるという事実が幸せとなるのだ。

 最後に演奏者か聴き手かに関わらず音楽を愛する全ての人の人生が詰まった“Life Is Party”を紹介したい。この曲はandymori にとって最後のライブとなった日本武道館公演で一番最後に演奏された。ディレイの効いたギターのアルペジオが印象的なイントロから歩くのにぴったりなテンポで進んでいく。どことなくほのぼのとした雰囲気の楽曲だが、andymoriの提示する人生が私の心にグサッと刺さった部分がある。

《楽園なんてないよ 楽園なんてあるわけない》

楽園というのは幸せに溢れている空間のことを指すが、実際にそのような時間が私にあるのだろうか、と問いかける。現代のストレス社会の中、残念ながら毎日が楽園だと言い切ることは難しい。ただ、彼らはその直後にLife Is Partyと歌っている。彼らは幸福に満ちた楽園という不滅の場所を否定しているが、パーティといういつか終わってしまう社交的な集まりは肯定している。この曲で人生はいつか終わってしまい、毎日幸せを実感できるという訳ではないが、その限られた時間で楽しむということの大切さを教えてくれた。そして、andymoriとしての限られた7年間の活動は終わってしまうが音楽を求めて人々が集まるライブやクラブなどの場を決して無くしてはいけないというメッセージが込められているように思う。この曲がライブの最後に演奏されたのは音楽シーンで永久に唱えられるべき上記の大切なメッセージを印象的に伝えるためではなかろうか。

 andymoriが解散すると知った時は底なしの悲しみに襲われた。最後の武道館ライブがラジオで生中継された時、中学生の私は慣れない手つきでカセットテープに録音した。会場にいる愛情たっぷりのオーディエンスの声が流れるたびにやはり解散すべきでは無いのではと思った。それと同時にandymoriのライブに行っておきたかったと少し後悔もした。正直、今でもライブ音源を聴くと感傷的な気分になってしまうのも事実だ。しかしandymoriの活動が終わってすぐに小山田による新レーベルが立ち上げられ現在、メンバーはそれぞれの音楽活動を継続している。彼らは決して音楽を嫌いになったわけでは無かったのだ。そして、彼らが作った愛してやまない音楽は私たちの心の中で消え去ることはない。実際、邦楽ロックと一括りにできないほど多ジャンルのバンドが登場している中、ラジオでリクエストされたり大学生がコピーバンドをしたりする。もちろんandymoriが私にとっても大切だから今みたく曲を聴いて魅力を文字に起こしている。こうしてandymoriの音楽は人生という祝祭のファンファーレとしてこれからも鳴り続けるのだ。

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