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彼らが考えさせてくれたこと

リンキン・パークとの出会い

 この歳になって、こんな衝撃的な出会いがあるなんて、思ってもみなかった。

 これまで音楽とはおよそ無縁の生活を送ってきた。特に興味もなかった。

 昨年の8月。
 偶然TVで耳にした曲が印象に残った。
 その場にいた主人が、バンド名と「確かボーカルは自殺したんじゃなかったかな」ということを教えてくれた。
 しばらく忘れていたが、そういえば、とふと思い出し、ネットで調べてみた。バンド名はもう忘れていたので「ロックバンド」「ボーカル」「自殺」で検索してみた。
 それですぐ出てきたのが「リンキン・パーク」だった。
 最初のきっかけはそんな感じだった。

 それからYouTubeで曲を探して聴いてみた。そんなことをするのは初めてだった。
 最初に「Numb」それから「Faint」「Heavy」などを聴いた。
 どこかもの悲しく耳に残るメロディと、心を揺さぶるようなチェスター・ベニントンの歌声に、もっと他の曲も聴いてみたいと思った。
 ネットの情報を参考に、アルバム「メテオラ」を入手した。

 「メテオラ」はすごくかっこよかった。
 どの曲もどの曲もかっこよくて、「ヤバい」と思った。
 重厚なサウンドやリズム、メロディ、シャウト、とにかく何もかもかっこよかった。
 「ロックってかっこいいんだ」と初めて思った。
 繰り返し聴いた。

 そのうち、歌詞の意味が気になりだした。
 「この人は、何をこんなにふり絞るように叫んでいるのだろう」と。
 そう思わせる力がチェスター・ベニントンの声にはあった。
 そして歌詞の内容を読んでみて、すごく衝撃を受けた。
 その暗さに。闇に。

 音楽やロックに疎い私は、音楽の内容、歌詞というものは、たいがい恋愛に関するものか、前向きに励ますものだと思っていた。
 リンキン・パークはそのどちらでもなかった。
 とにかく暗くて、ネガティブで、悲痛で、怒っていた。調べる歌詞、どれもこれも。

 そしてそんなリンキン・パークの曲を聴いているうちに、気づいたら泣いていた。
 抑えきれなくて、どんどん涙が溢れて止まらなかった。

 私には、長年抱えている悩みがあった。
 それでも時間の経過と共に対処の仕方も覚えたし、メンタルもずいぶん強くなったと我ながら思っていた。

 でも、そうじゃなかった。

 抱えた重いものは、少しずつずっと心の中に蓄積されていて、自分でも気づかずにいただけだった。

 それが、リンキン・パークを聴いているうちに吹き出してきたのだった。

 まるで、自分のかわりに心の中のモヤモヤしたものを吐き出して、叫んでくれているような気がして。

 それから、他のアルバムも揃えて、どんどんのめり込んでいった。
 リンキン・パークの曲には不思議な心地よさもあった。
 暗い部屋で、柔らかい毛布にくるまれているような、そっと寄り添われているような、そんな感覚が。
 特に「ハイブリッド・セオリー」は繰り返し繰り返し、それこそ何百回と聴いた。
 どうしてこのアルバムにこんなに心惹かれるのだろう、と思いながら。

 そしてある時、そうか、このアルバムは
「認められないつらさ」
を歌っているんだ、と気づいた。
 自分の存在や努力を認めてもらえないつらさ、悲しさ、怒りを。

 認めてもらえないということは、とてもつらいことだ。
 それまで私も「認められない」ということと、「ダメ人間」だと思わされることと常に心の中で闘ってきた。
 一方で、「認められたい」という欲求が見栄っ張りなことであるように感じている自分もいたし、自分で「私はダメ人間じゃない」と言い聞かせていた。

 でも、リンキン・パークを聴き込んでいくにつれ、まず自分が、「認められたい自分」というものを素直に認められるようになってきた。
 それは、誰もが持つ自然な感情なのだと。
 そして、「ダメ人間じゃない」のではなく、「ダメ人間でもいい」んだと。
 「ダメなところもある自分」をまず、自分が認めてあげればいいんだと。完ぺきじゃなくていいんだと。

 そう思えた時、目からウロコが落ちたような、すごく肩から力が抜けたような思いがした。

 それと同時に、他人を認めることの大切さについても考えさせられた。
 これは、自分を認めること以上に案外難しいことだ。
 でも、自分と同じように誰もが多かれ少なかれ認められたいと思っているし、そしてどんな人も完ぺきではないし、良いところも悪いところもある。
 それを認めるべきなんだと。

 「ハイブリッド・セオリー」「メテオラ」は特に好きなアルバムだが、「ワン・モア・ライト」も甲乙つけ難く好きだ。

 このアルバムは初期の2作品のように、怒り、叫んでいるわけではないが、心の深い内面を表現しているところが似ている。
 しかし、前述したような「認められないつらさ」ではなく、もっと、生きていくこと自体のつらさや困難を乗り越えようとする闘いの曲であるように感じる。

 アルバムの最終曲「Sharp Edges」。
 この曲には、これまで発表された曲の中で、一番ポジティブなものを感じる。

 この曲の歌詞がとても好きだ。
 冒頭に出てくる「ハサミ」が全体に効いている構成も好きだし、これまで「wound(傷)」という表現の多かったリンキン・パークが、この曲では「scar(傷跡)」という表現を使っていることで、彼らのこれまでの足跡を思わされて、しみじみとさせられる。

 そして
「We all fall down」人は皆失敗する
という表現に、誰も皆完ぺきにはなれないんだよ、とやさしく背中に手を当てられているような気持ちになる。

 一日一日を乗り越えていこうとする思いを歌ったアルバムの、そしてチェスター・ベニントンが参加した最後の曲がこの曲だということは、何かとても胸に迫るものがある。

 ワン・モア・ライト・ツアーのライブアルバムが世界同時発売で出た時、聴きながら「今、世界中で多くの人がチェスター・ベニントンに思いを馳せながら同じアルバムを聴いているんだろうな」と思った。
 国籍も人種も超えて、一般人も、リンキン・パークに憧れたロッカーも、皆同じ思いで聴いているんだろうな、と。
 すごくボーダーレスなつながりを感じた。

 もちろん、私が感じたようなことを意識してリンキン・パークが曲を作ったわけではないと、わかっている。
 どんなふうに何を感じるかは、人それぞれで自由だ。

 でも、リンキン・パークは本当にいろいろなことを私に考えさせてくれた。
 認められたいと思うのは自然なことだということ。
 ダメ人間でもいいということ。
 他人を認める大切さ。
 そしてボーダーレスな世界。

 もっと早く存在を知っていたら、せめてチェスター・ベニントンが存命のうちに知っていたら、と考えずにはいられないが、今、このタイミングだからこそ、心に響いたのかもしれない、とも思う。

 主人に
「リンキンはリンキンを必要としてる人の心に響くんだと思う」
という話をしたら、
「音楽ってそういうもんだよ」
と言われた。
 そんなことも私は知らなかった。
 音楽が心を支えてくれること、それもリンキン・パークは教えてくれた。

 そして今、マイク・シノダがソロで各国を周る姿にも、感銘を覚えずにはいられない。
 ソロで活動することは、非常に勇気のいる選択だったに違いない。
 しかし彼は、ハリウッドボウルでの追悼ライブに集えなかったファンのために、実にていねいなやり方で、それぞれの悲しみや感情を解放する場を設けている。
 これまでのリンキン・パークが表現してきたこととはまた違う、困難に立ち向かい乗り越えようとする姿勢には、とても勇気づけられる。

 リンキン・パークと出会えたことに、とても感謝している。

 心の重荷がなくなったわけではないが、リンキン・パークは少しだけそれを軽くしてくれ、日々を乗り越えていく勇気を与えてくれた。
 その出会いはチェスター・ベニントンの死後であったけれども、フロントマンを失ってなお、そしてデビューアルバムから17年という歳月を経てなお、楽曲にそのような力が宿っていることは、素晴らしいことであり、凄いことであると、改めて思う。

 これからもきっと、多くの人が私と同じようにリンキン・パークの曲に、チェスター・ベニントンの歌声に、心を救われ、支えられることだろうと思う。

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