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ねえ

わたしのELLEGARDEN

 エルレガーデンのライブに行った。そう言える日が来るなんて思わなかった。

 ただ、ただ、楽しかった。心から待ち焦がれたライブだったから、もっと頭の中がめちゃくちゃになるかと予想していたけど、そんなことはなかった。空がとても広く感じた。風が吹いていて、明るい星がひとつ光っている、その下に彼らがいて、わたしがいて、音楽が鳴っている。曲が始まるたびに叫び、喉が嗄れるまで歌った。割れるほど手を叩いた。楽しかった。懐かしさではなかった、エルレのライブははじめてだったから。ただ心から幸福だった。ああこれがエルレなんだな、と思った。

 わたしはエルレにひけめがあったのだ。
 わたしが彼らを知ったときには、もう、彼らは半分いなかった。完全だった頃を知らないわたしにとって、半分いないということは限りなく、「もういない」に近かった。でもそれを、なかば力づくで「半分」に戻したのも彼らだった。
 いちばんはじめに買ったエルレのCD『Pepperoni Quattro』を、プレーヤーに入れて再生したときのこと。
 閃光だった。
 ものすごく眩しいなにかが、体をドン!と一直線に貫いた。
 その瞬間、わかった、と思ったのだ。後にも先にも経験のないほど強い、稲妻のような直感で、目の前が一気にひらけた。理解や解釈の次元ではない。カッコいいとか、楽しいとか歌がうまいとか、演奏技術や音楽のつくりや、そういうものさえみんな越えたところに立っているエルレの姿を、ひと息にとらえられたような気がして、呆然としたのだ。彼らのこと、彼らを取り巻くすべてのこと。みんながこのバンドに、どうしてこれほど焦がれるのか、なぜこんなにも切実に待たれているのか。エルレが負っていたもの、彼らを彼らたらしめていたもの。エルレガーデンというバンドの、たましい。そしてそんな彼らが、今はいないのだ、ということ。何もかも、その一瞬にわかったのだった。わたしの胸が突然えぐりとられてできた、まばゆいほどの空白。それが、わたしのエルレガーデンだった。
 そんなふうだったわたしとエルレとの関係は、だから深くなるほどわたしを傷つけずにおかなかった。足りないことや、自分を嫌うことや、もう取り戻せないと思うことを、しつこく歌うエルレの音楽はさみしかった。格好よくて自由であればあるほど、楽しければ楽しいほど、ずっとさみしかった。聴くたびに空白は広がるようで耐えがたくせつなかった。それはエルレ自身のものだと思っていたけれど、本当は、わたしがさみしかったのかもしれない。いつ復活するかわからず先が見えないなか、生きて動いている彼らの記憶をもっていないことは、自分で思う以上につらかったらしい。どの曲も秋みたいだと思っていたのは、わたしの出会う前に終わってしまった夏を、きっとそこに見ていたのだ。エルレのもつじりじりした熱や渇きが、わたしが初めから失っていた思い出の熱と、重なってしまっていた。
 そのこともあって、正直に書くと、わたしは彼らに対峙する「お前ら」の中に自分はいないと思っていた。エルレの休止後も別のバンドで歌っている細美の笑顔を何度も見てきて、彼がどれほどライブで命を燃やしているか、そこにいる人たちをどれほど信じているかを知るほど、そんな気持ちになった。だってその揺らがない信頼はエルレのライブに培われたんだろうと、残された映像作品を見て感じていたから。その空気をわたしは知らないのだ。あの場にいて、体で感じなくちゃわからないものだってことは、ライブの好きな人間なら誰だって知っている。だから、わたしは他でもないエルレガーデンのライブに行きたかった。
 そんなふうに何重にもなった傷だったのだ。屈折してもいた。エルレの曲にも、歌詞にも、「エルレのライブ」という言葉にさえも、それらが本来もっている以上の意味が、否応なく纏わってしまっていた。わたしのさみしさが抜きがたく映り込んでいた。もう一生消えないのかもしれないとまで思ったこともある。
 それが、あの真夏の空の下で、もやが晴れるように、驚くほど簡単にすうっと消えていったのだった。いま、ここ、というだけの事実のかがやかしさを、どの曲も教えてくれている気がした。ひとつも過去のものではなかった。ちゃんと生きていた。かき乱されなかったのはそのおかげだろうか。ずっと透明な、単純な気持ちで、まるで何年もライブに行き続けているような当然さで、エルレは楽しい、好きだ、とおもえた。なんの固執も、誇張もなく、難しいこともなにひとつなく、満たされていた。

 彼らがわたしの中にこじあけていった空白に、わたしは他の何をもいれようとせずに、絶対に埋めずに、大事に抱えて生きてきた。彼ら自身の曲が強烈に焼き付けていった「半分」としての姿を、「半分」のまま保っていくことが、わたしがエルレを大好きでいる、なによりの証明だった。きっと10年待った人たちも、10年前を知らないわたしのような人たちも、そして彼ら自身も、多かれ少なかれ、足りなさを守ってきたのだと思う。エルレの場所をとっておいたのだと思う。それはときどき本当につらくもあったのだけれど、今はわかる、みんな、この日のためだったのだ。
 細美は言った。
「こんな日があったら全部報われちゃうよ」
「全部報われちゃう」

 ねぇ この夜が終わる頃 僕らも消えていく
 そう思えば 僕にとって 大事なことなんて
 いくつもないと思うんだ
 ――「金星」

 来てよかった。ずっとさみしいままでいてよかった。
 わたしのエルレがやっと、ほんとうになった。

 いまから一年ほど前、わたしはやっぱりエルレのことを書いていた。
「どんなに先になったっていいから、一回だけだっていいから、いつかあの光景のなかに、今度はわたしもいられたらと、強く憧れてやまない。」
 あの秋の日に、10年前のたくさんの人の「この夜」を、画面越しにひとりで見ていたわたしに言ってあげたい。
 エルレは生きているよ。おまえの「この夜」を、わたしはちゃんと手に入れたよ。

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