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The SALOVERSは完結されない

死なない青春

平成最後の夏は、いつもより足早に過ぎていった気がする。
本格的に寒くなるころ、今度は平成最後の秋が終わるときに、私は晴れて20代に突入する。私の青春も平成と一緒に過ぎていきそうだ。無性にサラバーズが聴きたくなった。
 
 

The SALOVERSといえば、私が高校2年生になる春に「無期限活動休止」という実質の解散をしたバンドだ。時間もお金も無くて解散ライブにすら行かなかったくせに、生意気に悲しがっていたのが懐かしい。

サラバーズの曲には、若さが故の衝動と焦燥、怒りと憎しみ、それでもいつもどこか悲しげな、憧憬を含んだ恋心がる。
春のように青く、雨のように青く、彼らの曲から覚えた言葉を使うならまさに「青二才」という言葉がピッタリだった。代わる代わる表れる青い感情は青春なんて安い言葉では表現しきれないけど、サラバーズを語るうえでは欠かせない言葉だ。
 
 

彼らの代表曲のひとつ「夏の夜」を聴くと、いつも熱帯夜に引き戻される。曲名のとおり夏の夜に、「自動販売機の光探す/僕は夏の虫」であり、今夜も酒盛りをする幽霊たちのことは「あいつら人間には内緒」らしい。まるで自分が人間ではないかのような言いぶりだけど、「ブラッドオレンジジュースを/飲み干した僕は悪魔のよう」(夏の夜)と歌っているから、古舘佑太郎は本当に自分が人間なのかどうかわからないのかもしれない。もしくは、自分が人間であることを疑っているのだと思う。
「皆の心に傷跡残してやる」(仏教ソング)という意気込みとか、「寒さに凍えそうな夜」が「酒に溺れる母のよう」(サイゴンで踊ろう、雨のダンス)に思えることとか、「爆発5秒前」の「檸檬の爆弾」(文学のススメ)を持っていることも、本当は自分が凶悪な悪魔なんじゃないかと疑っているのかもしれない。

サラバーズはいつも無差別にナイフを振り回し、本当の悪魔のように私たちの心に容赦なくそれを突き立てる。とは言っても、彼らは天使でもなく悪魔でもなく、私たちと同じ人間だ。生きている”人間”にしかわからない悲壮感とか劣等感とか、同じ人間を”アイツら”呼ばわりする優越感に浸ってマウントを取りたがる自己中心的さが、サラバーズの武器だった。
彼らがナイフを振り回すのは誰かを傷つけるためではない。自分を守るためだ。結果的に誰かを傷つけることになっても、それは正当防衛なんだろう。何度か自分自身までブッ刺しているようにも見えた彼らは、間違いなく人間だった。

一方で、「またきっと会えると/祈る」(雨降りのベイサイド)ときや、「いつかはゲルニカのような美しさ」が「あなたにも伝わりますように」(SAD GIRL)と懇願するときは、彼らの手にナイフはなかった。大切な誰かと離れるとき、それをどうすることもできない自分が無力だと実感する瞬間に、ナイフを振り回すだけではどうにもならないことがあると知るのだろう。
本当に青春代表のようなバンドだ。
 
 

無期限活動休止とともに発表されたのが、「青春の象徴 恋のすべて」というサラバーズ最後のアルバムだった。彼らの青春であったバンド活動を象徴し、その中で揺れ動く恋のすべてが詰まっていた。
 

なんとなく、私はこのまま大人になっていく気がする。目前に就職活動を控えて、明日も元気にアルバイトだ。いつの間にかお昼代はもらえなくなっていて、朝帰りをしたことにも気づかれているのかさえ怪しい。平成最後の夏が終わったばかりなのに、また高校球児は春の甲子園に向けて熱闘を繰り返してる。まるで無縁の世界だ。
その中にいたことすら気づけなかったのに、その出口に立ってようやくわかったことがある。私は、サラバーズの曲にある青さを、いつも自分の中のソレに重ねていた。桜も咲かないし雨ばかり降るけど、それはまさしく青い春だったんだろう。
そして冒頭に戻る。
サラバーズが聴きたい。
 

アルバムの一曲目「Disaster of Youth」で、彼らが青春なんていう小さな箱から出て行こうとしているのがわかる。と言うよりはマストなのだろう。出て行かないといけない。「警察に追われるほど」「恋すらも忘れるほど」に、「ヤバい速度でぶっ飛ばしたい」(Disaster of Youth)と歌ったときの破裂音が、頭の中で何度も弾ける。彼らの青春の終わりの始まりがサイレンみたいに鳴り響く。
「ニーチェに聞く」は間違いなくアルバムの核だ。目の前に「真っ暗闇のすばらしい世界」が広がる中で、彼らは終始「人生万歳」と掲げ続ける。”パン、パパン”と一定のテンポで聴こえる手拍子の乾いた音が気持ちいいほどリズミカルで、「才能はお金じゃ買えない」ことや「永遠は手に入らない」(ニーチェに聞く)ことが清々しい皮肉に思える。少しふざけた間奏は、サラバーズらしくて悲しいくらい笑えてしまう。
アルバムのリード曲であり、配信ではあるが解散前最後のシングルとなった「喉が嗄れるまで」で思い出すことと言えば、当時大嫌いだった先輩が得意気にこの曲を語っていたことだ。”みんなが知らないバンドを知っている自分”に浸っている姿が癪だったけど、そんな先輩もこの曲はお気に入りみたいだった。音楽の趣味が似ていたこともついでに思い出してしまって腹が立つ。最初こそ一途なラブソングに聴こえていたけど、徐々にラブソングとひとことで片付けるのはどうも違うように思えてきた。
「青春時代、何をしていましたか」「あなたにとって青春とは何ですか」と聞かれたら、私は真っ先に部活だと答える。勉強だと答える人もいるだろうし、恋と言う人もいるし、つまらないものと言う人もいる。三者三様だし、人それぞれだ。サラバーズにとって青春とは、音楽でありバンドだったのだろう。

「何故かあの日の君は笑っていて まるで未来を見透かしてた」
「僕は一人で夢見心地でいて ギターをずっとかき鳴らしていた」

そうじゃないと、未来を見透かして笑っている君の横で、夢見心地のままギターを掻き鳴らすことはできない。

「でっかい声で叫んで喉が嗄れるまで」
「たった一つの恋を歌わせてください」

そうじゃないと、たったひとつだけの恋を、喉が嗄れるまで歌いたいなんて思わない。

「君と僕の唄をこの唄だけをただ聴いてくれ」
(喉が嗄れるまで)

そうじゃないと、君と僕の歌を聴かせたいなんて、普通は思わない。

解散ライブの映像をみたとき、この曲を歌う古舘佑太郎の目が怖いくらい大人に見えた。彼は髪の毛を切りサッパリした髪型になっていて、当時私は妙に寂しい気持ちになった。失恋したときに髪を切るような感覚かな。それとも野球少年が大事な大会の前に坊主頭をさらに丸くするようなものかな。もしかしたらそのことについてメディアで触れていたかもしれないけど、ラジオも雑誌も目を通していなかったからわからない。取り残されたような気分だった。
さらにその頭と目つきで、「何でもなれて何にもなれない僕がここにいた」(喉が嗄れるまで)と歌うものだから、彼はもうここにいないと確信してしまった。彼らの未完成な青春が完成したと、確信した。
 

このライブをもって、The SALOVERSは無期限活動休止となった。最初にも言ったとおり実質の解散だが、「栞を挟んでいつでも読み返せる青春を綴った一冊の本にしたい」という彼ら自身の意向から、公式ではそう発表された。
これからのバンド活動ではなく自分たちの青春を優先する決断は、いかにもサラバーズらしい。

彼らのバンド活動が再開されることはたぶんない。
でも、そのままの形で終わりを迎えた彼らの青春は死なない。なぜなら、私はこの先もずっと自分の青春を彼らの青春に重ね続けるから。未完成であることを完成させたサラバーズとは、私は一生サラバできないから。
 

The SALOVERSは完結されないまま、青く光り続ける。

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