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flumpool活動休止と母の病気、そしてわたしの成長

flumpool10周年に寄せて

 
flumpoolが活動を休止してからもうすぐ1年が経とうとしている。

そして、10月1日で彼らはデビュー10周年を迎えた。

わたしの1番大好きで大切なバンド。

この節目に、言葉にできなかった散らかった自分の気持ちを整理しようと不躾ながらこの文章を書いている。
 
 
 

彼らが活動休止を発表するほんの数日前、母が難病に侵されていると知らされた。

段々と体が自由に動かなくなっていく病気、日々研究は進んでいるようだが今のところ明確な治療法はない。

自分の家族が難病に、テレビドラマで見たような病気になるなんて、夢にも思っていなかった。
それを知った日は一晩中泣いた、泣きに泣いた。これからどうすればいいのか、この事実にどう向き合えばいいのか全くわからなかった。

そんな夜ですら私はflumpoolの音楽を聞いた。

これまでの人生で挫けそうな時、ダメになりそうな時、彼らの音楽に何回も何回も救われてきた。
彼らは私にとって生きる希望であり、糧であり、暗い気持ちや悲しい気持ちを吹き飛ばしてくれる正義のヒーローだった。

そんなヒーロー達との出会いは中学生の頃、テスト勉強中に気分転換でつけたラジオ。
その時偶然にも流れてきた彼らの曲に一瞬で心を奪われた。あんなに鮮烈に、一瞬で、心を奪われる音楽は後にも先にもないだろう。まさに一目惚れ、いや、一聴惚れ。

それからすぐに両親にアルバムをねだって買ってもらい、毎日擦り切れるくらい、比喩ではなく本当に擦り切れるくらい朝から晩まで1枚のアルバムを聞いていた。
「志望校に受かったらライブ行かせてあげる」そんな両親の言葉に感化され、ライブを目標に必死に勉強した。そんな受験勉強中ももちろんflumpoolをひたすらに聞いた。

「走った分だけ 磨いた分だけすべて報われるわけじゃない
それでも時々見える希望(ひかり)に 心奪われて また立ちあがって 歩き出す」(フレイム)

ノートの裏表紙にこの歌詞を書いて辛くなったり上手くいかないと感じたら眺めたりしていた。

そして無事に志望校に合格、無事に人生初ライブに連れて行ってもらえることになった。初めて見るロックバンドのライブは言うまでもなく感動と衝撃の嵐。本人達が出てきてから終演まで泣きじゃくっていたので実はよく覚えていない。ただ、辛い時に何度も聞いていた音楽が目の前で鳴っている、それだけで、こんな素敵なことがあるならどんなことも頑張れる、頑張ってきてよかった。そう思ったことだけは鮮明に覚えている。

それから高校3年間はflumpool一色、泣け無しのお小遣いを貯めてライブに行った、学校を早退して鈍行を乗り継いで1人で東京や大阪にも遠征した。

たくさんの感動や特別な思い出を彼らは私に与えてくれた。話し出したらキリがないのだが、それは私の中に秘めておこうと思う。
 
 
 

そんなヒーローの活動休止発表は、わたしに大きな衝撃を与えた。
衝撃どころじゃなかった、大袈裟ではなく人生のどん底だと思った。

もっと違うタイミングだったらもう少し落ち着いて受け止められたのかもしれない。
母の病気を知った数日後、それに加えて心から楽しみにしていたツアーの地元公演の数日前という最悪なタイミングで彼らは活動休止を発表した。

大切なものが全て手から零れ落ちていくようだった。

『それでも誰もが 生きたいと願うのはきっと
君みたいな 希望を見つけてるから』(reboot〜あきらめない詩〜)

私の希望はflumpoolだったのに。
母の病気、どうすればいいか、どうするべきか、全く分からない、一寸先は闇。だけど、次のflumpoolのライブまではとりあえず生きていきたい、生きていける。そこで生きる力、病気と向き合う力を貰えばいい。そう思って生きていたのに。

なんで?なんで?なんで?なんで?

何回も誰でもない誰かに問い続けた。
唯一の希望だったものまで奪われて、怒りや悲しみをどこにぶつければいいかわからなかった。

それからの私は荒れに荒れた。その時期友人や先輩との関係も上手くいっていなく、学校に行く気力も起きなかった。引きこもり、誰とも口をきかず、毎日泣いていた。ひたすら泣いていた。
怒りの矛先は自分に向かった。私が生まれてこなければ、母は苦労することもなく病気にもならなかったのではないか。私にはもうヒーローも夢もなにもない、いっそ消えてしまいたい。そんなことを考えていた。
大好きな音楽も、もう聞かなかった。

そんな私を救ってくれたのは、私の話を親身に聞いて一緒に泣き、様々なアーティストのライブや飲みに連れ出してくれた友達、たくさんの音楽、そしてflumpoolが活動休止中に出したシングル、「とうとい」だった。
 

「上手く笑えないような時
全てが嫌になるけど
全てを嫌いになっても
君は君を 好きでいてよ」

「同じ歩幅で歩くことも
ろくにできない僕だけど
伝えたい言葉がある
どんな時も愛してるよ」

「今日が終わるその時まで
その笑顔が晴れるように
聞いてほしい言葉がある
生まれてくれてありがとう」

(とうとい)
 

こんな歌詞たちがその時の私を優しく包み込んだ。
この歌はツアー中に本編の最後に歌われていたので何回か聞いていたし、素直にいい曲だと思っていた。しかし、リリースされたタイミングで聞いた時はまた響き方が違った。自然と涙が止まらなかった。ぼろぼろに泣いた。
その頃心が弱りすぎていた私は電車の中で突然泣き出してしまい周りに心配されることがよくあった。でもこの曲のミュージックビデオを電車で初めて見た時、いつものそれとは比にならないくらい、周りを気にせずに泣いた。
それくらい気持ちを抑えられなかったのだ。

彼らはヒーローなんかじゃない、そんなに強くもない。ただ一緒に歩み、不器用ながら優しさで私たちを包み込み、音楽を通して希望を、生きる力を、勇気を与えてくれていた一バンドマン、ただそれだけ。

「彼らも人間なんだよなあ」
そんな当たり前のことが、なんだかとても暖かかった。

不器用な彼らの優しさが、弱りきったわたしの心に沁みた。そしてやっぱり彼らのことが、彼らの楽曲が大好きだと心から思った。

こうして1人でも「生まれてくれてありがとう」と語りかけてくれる人がいるなら、私にだってきっと生まれてきた意味があったのだろう。どんな時だって自分のことだけは好きでいてあげよう。そう思えた。この気持ちは春からの就職活動でも何度も私を救った。

正直就職活動は高校受験や大学受験の何倍も苦しく、何度もまた転びそうになった。そんな時「とうとい」は『私なんて世の中に必要とされてない』と思う自分を消してくれた。
「とうとい」をはじめflumpoolの楽曲は就職活動中にもちろん私を救ってくれたけれど、flumpoolのライブやリリースという生きがいだったものはない。それでもわたしはなんとか苦しい就職活動を乗り越えることができた。やっと絶対的なヒーローだった彼らから自立できたのだ。

就職活動中は目を背けていた母の病気とも今は少しずつ向き合えている。
いつまでも反抗期から抜け出せなかった私だが、今は母と毎日話し、家事を手伝うように心がけ、どうしたら少しでも症状を軽くできるのか自分なりに調べたりもしている。母が自由に動ける残された時間をいかに共に充実させるか考える日々だ。
今まで少しも家を顧みず、毎日両親にイライラしていた自分がいた。
母の病気は私たち家族がもう一度向き合うために課せられた試練だったのかもしれないと、今なら思える。
 
 
 

flumpoolが休んでいる間に私はとても成長できた。様々な経験をして一皮も二皮も剥けた。他のバンドのライブだってたくさん行くし、「flumpool」という存在がなくてもきっと全然生きていけるだろう。
それでもやはり彼らの音楽が狂おしいほどに聞きたい夜がある、他のバンドのライブを見てもやっぱり彼らのライブが見たくなってしまう。
 
 

デビューしてからいつだって彼らは全力だった。

「花になれ」という提供楽曲で華々しくデビューした時も、初の武道館公演をした時も、様々なタイアップ楽曲を世に送り出す時も、ギターの阪井一生がダイエットで休んだ時も、5周年あたりにバンドの危機を迎えた時も、山村隆太が月9の主演を務めた時も、いつだって全力の姿を私たちに見せてくれ、全力でファンを愛してくれた。

世に誤解されることも何回も何百回もあっただろう。
実際、大学の軽音サークルに入った時自己紹介で「flumpoolが好き」と言ったら笑われた。先輩がSNSでflumpoolを貶しているのを見た時は悔しいと思いつつ、もうflumpoolを好きと皆の前で言うのはやめようと思ったこともあった。そんな自分が今では恥ずかしいけれど、彼らは世の中からどんな目で見られようと10年間戦い続けてきたのだ。

戦い続けてきた彼らは今休むべき時なのだと思う。
1年前に友人と「flumpoolはきっと10周年でたくさんライブをやるだろうから早く就活を終わらせようね!」と話していたLINEのやりとりが今では少し切なく映るけれど、彼らは周りのことなど気にせずに休むべき時だ。きっとそういう時間が人には必要だ。

これは母の病気から学んだのだが、人は人に頼っていいし、辛い時は辛いと言えばいいし、休めばいい。私の母も病気が進行して隠しきれなくなるまで私たちには病気のことを一言も話さなかった。今でも明らかに体調が悪そうでも「大丈夫」と私たちに気丈に振舞おうとする。そんな時私は「もっと頼って」と言うようにしている。心からもっと頼ってほしいと思う、もっと強くなりたいと思う。

flumpoolは、特にボーカルの山村隆太はきっと母と似ている。
私たちファンのために壊れるまで無理をして歌い続けてくれた。活動休止をしてからもファンのことをブログやSNSでひたすらに気にしてくれる。でももうそんなにファンのことを気にしなくていいと思うのだ。休む時べきくらい自分のことだけを考えて思いっきり羽を伸ばしてほしい、これまで必死に戦ってきた分何も考えずゆっくりすればいい。少し休んだくらいで10年間着いてきた私たちファンが簡単に離れるわけがないのだから。こんな時くらい私達ファンを頼ってほしい。
 

恐らくこの長い休暇から帰ってくる時、彼らも一皮も二皮も剥けて成長してきてくれるのではないかと思う。
実際ベースの尼川元気は「Cho_Nans」というバンドを組んで伸び伸びと音楽をしているし、ギターの阪井一生はアイドルに楽曲提供をしていたし(これがまためちゃくちゃいい曲だった)、ドラムの小倉誠司は中国語を勉強して世界で戦う準備をしている。そしてボーカルの山村隆太は今回の休止でたくさんのことを吸収して今までの何倍もいい歌を私たちに聴かせてくれるはずだ。
だからわたしはもっともっと成長して三皮も四皮も剥けて彼らにまた会いに行きたい。
 

学生のうちに彼らのライブをもう1回見たい気持ちは見え隠れしてしまうけれど、社会人となって見る彼らのライブはきっともっと別の輝きをしているだろう。

次に彼らのライブを見る時、もしかしたら想いが溢れて初めてのライブの時のように最初から最後まで泣きじゃくってしまうのではないかとも思う。
でも、「お互い成長したじゃん!」と笑顔で向かい合えるように日々を生きていきたい。
 

父が私の高校受験の時に贈ってくれた曲がある。

「誰もがみんな希望の橋を
心で描いてる 暗闇の中で

雨があがれば空にかかる
夢を信じて 歩いてゆこう」
(Over the rain〜ひかりの橋〜)

この曲は私にとってとても思い出深い、人生において大切な曲なのだが、この曲を今の自分にも、flumpoolにも贈りたい。

きっと暗闇の中でもがいている人は沢山いる。
そんな時に信じられるのは自分自身、自分がこうありたいという『夢』なのだと思う。

だから負けないで、自分を信じて、強い姿で私たちの元に帰ってきてほしい。私も負けない。
 
 
 

最後に
flumpool、10周年おめでとう。

あなた達が帰ってくるのを毎日全力で生きて待ってます。

あなた達のおかげで見つけた『夢』に近い職業に就けることになりました。これからもその『夢』にさらに近づけるように頑張ります。

あなた達の音楽をあまり知らない新入生の1年生の前でこの間あなた達のコピーバンドをしました。マイナーな曲もたくさんやったけれど、「名前しか知らなかったけどすごいいいですねflumpool!」って言われたんだよ、すごいでしょう。

母の病気はまだ正直向き合い方がわからないけれど、いつかあなた達が帰ってきた時に私は母をライブに連れていきたい。これがわたしの大好きなあのflumpoolだよと教えてあげたい。母の手を握りながら2人であなた達の音楽を聞ける日が待ち遠しいです。
 

今なら胸を張って言える、
わたしはflumpoolが一番好き、大好きだ。
 
 

きっとそう遠くない復帰の日を心から楽しみにしてます。

同じ歩幅で歩けなくてもいい、私はあなた達とこれからも共に歩んでいきたいと思うのです。
 

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