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最期まで

Aqua Timezに貰った力を

学生時代からの親しい友人から届いた、「母親の癌が判明した」という知らせ。
どんな言葉をかけよう・・・と考えながら、自分の母親の時、母は、私は、どうだったかな、と思い出してみる。
 

10年近く前、私は母を看取った。

なかなか症状が出ない部位の癌だったため、見つかったと同時に、余命3か月と宣告された。
一人娘の私は、働きながらも、母のキーパーソンとして、通院に付き添い、主治医と治療方針を話し合った。

常に気を張って過ごす日々。
夜になると不安で、暗闇を感じたくなくて、常に部屋の電気とテレビは点けていた。

その日、見るともなく流しっぱなしにしていたテレビから聴こえてきた音楽に、耳を奪われた。

「あなたがいてくれた いい時も わるい時にも」
「あなたが 受け止めてくれた ゆるりと流れる風のように優しく」(『最後まで』)

脳裏に母が浮かんだ。

「ほんとはすごく怖かった 逃げ出したかった」(『最後まで』)

気付けば、涙がこぼれていた。
その言葉は、私の気持ち、そのものだった。
気を張って、母のために奔走していたけれど、これから起こるであろう出来事を思うと、本当は怖くて怖くてたまらなかった。
だけど、泣くわけにはいかなかった私の心を代弁してくれたのが、Aqua Timezの『最後まで』という曲だった。
その夜は、ひとりで、沢山泣いた。
 

のちに、この曲は、部活をモチーフに書かれた曲だと知ったが、私にとっては、母を思う唄になった。
私にとって母は、偉大な存在だった。料理や裁縫、何でも器用にこなす母に、劣等感を感じ、思春期は激しく反発したものだ。あえて、母の好みと違う物ばかりを選び、母とは異なる、仕事中心の生き方を選択した。
心の内は知ることもできないが、そんな私を、否定することなく、ずっと見守ってくれた母。
何の恩返しもできないまま、迎えてしまった、余命宣告だったが、この曲と出逢い、私は、「最後の最後まで」、私にとっては母の最期の最期まで、精一杯寄り添う覚悟を決めたのだった。

そして、わずか2か月の闘病生活となったが、私は、母の最期の瞬間まで、しっかりと看取ることができた。
悔いは、無い。
それができたのは、あの日、あの曲に出逢えたからだと思っている。
 

「あなたが 教えてくれた 一つ一つをこの手が忘れぬように
 いつかは 僕も同じように 誰かのためにそれを渡せるように」(『最後まで』)

悲しくても、誰かとの別れは必ず来る。
Aqua Timezの曲に怖さを受け止めてもらいながら、支えてもらいながら過ごした、母との最高の最期の日々を、これからそういう時を迎える友人達のチカラになるよう、伝えていけたらと、今、思っている。
 

そして、一番私が辛かった時を支えてくれたAqua Timezも、来月に解散してしまう。
その知らせを聞いた時は、ショックで、認めたくなかったが、
全てに終わりが来ること、それでも繋がっていく何かがあることを教えてくれたのもまた、彼等の曲だ。
ラストステージのチケットは、無事手に入れた。
沢山の涙が流れるだろうし、立ち上がって歩き出すには、時間がかかるかもしれない、けれど、
私は、「最後の最後まで」、彼等を見届けたいと思う。
そして、精一杯のありがとうを、伝えてこようと思う。
 
 
 
 
 
 

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