1497 件掲載中 月間賞発表 毎月10日
この数字はTwitterやFacebookでのリツイート・いいねなどの反応数を合算して算出しています。

”へなちょこの4人組”の魔法

BUMP OF CHICKENと出逢えた必然

我が家には3人の子供がいる。家族をBUMPにハマらせてくれた20代半ばの長男、大学4年の次男、成人式間近の長女。

ここまで成長してくれた事に少し安堵をしているが、次男に関しては未だ、親子で
トンネルの中をさまよい、出口が見えないでいる。

小さい時はいつもニコニコし、舌っ足らずで話し、兄とアニメソングを歌い、静かに遊ぶ、おっとりした子供だった。
末っ子の娘と3人で、ドタバタだが兄妹楽しく過ごしていた。

次男が幼稚園の入園式、兄に続き2人目ということもあり、またお友達と遊んだり
お遊戯したり、楽しい園生活が始まるなあと、何の不安も緊張もなく式に参加した。

式のあと教室で先生から「これから一人ずつお名前を呼びますよ。大きな声ではーい
とお返事してくださいね」とお話があった。次男もついに集団生活に突入だ!
私もワクワクでビデオをまわした。
まわりの子達は元気にはーい!と返事をしていた。親御さんたちも嬉しそうに我が子を見つめていた。
次男の名前が呼ばれた。「・・・」
間が空いた。次男は返事をしない。私は、ビデオを覗いていたが、
あれ?どうした?とビデオを離し、顔を覗きこんだ。
次男は、自分の名前を呼ばれているにも関わらず、先生の顔をボーッと見ていた。
え?どうしたの?聞こえてるよね?
先生が再度名前を呼んでくれたが、やはり反応はない。補助の先生がそっと次男に
近づき、声をかけると、やっと「はい」と小さく返事をした。

ああ、聞こえてるんだ。と、その時はひとまずほっとした。少し違和感は
感じたけれど、家でも普通に会話しているし、気にしなかった。
それから3年間、おっとりは変わらずだが、特に大きな問題もなく卒園した。

小学校に入った。人よりは遅いが、順調に成長しているようだ。運動会、郊外学習、たくさん楽しい経験をしてほしい。楽しみだ。

だが、期待は少しずつ崩れていく。
幼稚園の時に少し感じた違和感が徐々に増えていった。
先生が毎日黒板に書く連絡を連絡帳に書き写すことができなかったので、毎日
忘れ物の連続。その度に電話があり、学校に届けた。
上履きも何故か必ず、左右逆に履いていた。ペンケースの中の鉛筆、消しゴムも月曜にそろえて持たせても、水曜には空っぽになっていた。
鉛筆どうしたの?消しゴムは?と聞いても、わからない、知らない間になくなったといった。朝着て出かけた上着もよく失くしてきた。
それでも、3人兄妹いれば性格も三様だし。と深く考えないようにしていた。
だが4年、5年、6年と進級しても、あまり変化はなく、担任からはいつも
「当たり前の事が当たり前にできません」と言われていた。

そのまま、小学校も卒業を迎え、中学に入った。入学式、130センチと小さい身体にブカブカの学生服だったが、次男は誇らしげに桜の木の下でカメラに収まった。
きっと小学校よりも成長しただろうと、私も嬉しかった。

ところが、入学して卓球部にも入り、張り切っていた次男は、5月、6月と過ぎたころからだんだんと表情が暗くなり、笑わなくなった。私は少し心配したが、集団生活の中ではいろいろあるし、勉強もさらに難しいし、環境に慣れるまで様子見でいようと思っていた。
が、夏休み直前のある日、次男は部活から帰ると、私に真剣な顔で聞いてきた。
「クラスでも部活でもみんなが、俺はみんなと違う、病気だと言って、馬鹿にする。かあちゃん、俺って病気なの?」

頭をガーンと殴られたようだった。そんなことを周りから言われてたなんて。
ずっと一人で悶々と考えてたの?
とてもショックで、ふつふつと怒りもこみ上げた。が、努めて平静に次男に言った。
「違うよ。病気なんかじゃない。みんなおんなじ人間でしょ?!そんなこと言う人
は気にしなくていいからね」

次の日、いてもたってもいられず学校へ行き、放課後の部活をそっと窓から覗いた。
みんなペアになって楽しそうに打ち合いをしていた。次男の姿を探すと、
みんなから離れた隅っこで、一人で壁に向かって球を打っていた。
親として子供のそんな姿を見るのは辛かった。馬鹿にされ、集団の中でポツンと一人楽しくもない場所に毎日毎日いないといけない。どんな気持ちでそこにいるの?
そう思ったら涙があふれてきた。そのまま帰る事ができず、終わるのを待った。

体育館から出てきた次男は私を見ても驚かなかった。というより、無表情だった。
私はできるだけ明るく、「買い物ついでに寄ったよ!今日の夕飯なんだと思う?
何か食べたいものある?」と話しかけたが、次男は表情なく、あまり返事もなかった。家でも殆どしゃべらず、ゲームばかりしていたが、それでも一学期は頑張って
登校していた。

『少年はまだ生きていて 命の値段を測っている』HAPPY

夏休み明けから、朝起きてこなくなった。

でも不登校にはさせたくない、親として登校させるのは当然の務めだと思いこんでいた私は、毎朝ベッドから無理やり起こし、車に乗せ、送った。

そんなあまり理想的でない学校生活を続けていた中学2年の秋、初めて隣のクラスの子に誘われて、2人で自転車でゲームセンターに行くと嬉しそうに出かけて行った。
学校以外で外出するなんて、それも今まで友達といえる人はいなかったのに誘ってもらえたんだ!と私も嬉しくて、行き先も聞かず「いってらっしゃい!」と送り出した。

数時間後、万一にと持たせていた兄に借りた携帯から次男が電話をかけてきた。
「友達がまだ帰らないというんだけど、俺は帰りたいから外にでたけど、ここがどこかわからない」
不安がよぎった。一人で外に出たこともなく、道も知らず、ましてや人についていったのだから、場所も解らないのだ。
「わからないなら、一回ゲームセンターに戻ったら?」と言ったが、次男は、一旦出てしまったから、その道もわからなくなったという。完全に迷子だ。どっと不安になった。

慌てて夕飯を作る手を止めて電話に向かって言った。「ゲームセンターの名前は?」  「わからない」「じゃ、近くの人に聞いてみて」「怖い、聞けない」
そんな応答の繰り返し。パソコンで近辺のゲームセンターを探したが、あちこちに点在している。限定は無理だ。一人で帰宅も無理だ・・

キッチンの火を止め、電話をしながら出かける準備をした。秋の夕暮れは早く、もう薄暗かった。
「じゃ、周りを見て!何がある?スーパーとか建物は?」「建物あるけど何かわからない」心配とイライラであたふたしながら取り合えず家を出て車にのったが、細い道には入れないし探しづらいかと、自転車に乗り換え、行き先も定まらないまま走り出した。途中で電話に怒鳴った。
「コンビニを探して!!!」自転車で暗い中ウロウロして事故でも遭わないか、
もっと迷って遠くへ行かないか、心配で、私もパニックだった。

30分ほどやり取りをしてやっと、次男がコンビニを見つけたと言ったので、
「そこに入って、店員さんに何町か聞いて!」「聞けない、わからない」
聞けないって何で?何で?どうすればいい?
「じゃ、その携帯を店員さんに渡して!!」私も必死だった。店員さんが町名を教えてくれたが、我が家は主人の転勤で来た為、初めて聞く町で検討もつかなかった。
スマホの地図を頼りに1時間半、あちこち道を往復しながら必死で探してやっと、
人気のない畑の中のコンビニに汗だくでたどり着いた。もう真っ暗だった。

お店の駐車場に不安そうな顔で手に携帯を握って立っている次男を見つけた。安堵で足元が崩れそうになった。
そこは自宅から5キロほど離れたコンビニだった。

心配、安堵、情けなさ、ごちゃまぜになって無性に腹が立った。なぜ中学生にもなって道も聞けない?!一人で帰れない?!しっかりしてよ!と怒鳴りそうになった。
でも無事いてくれた、ここで怒っても仕方ない、とにかく帰宅しよう。
「帰ろうね」

自転車で一生懸命後ろをついてくる次男を時々振り返りながら、怒りは悲しみにかわっていった。暗闇にまぎれて私は泣いた。
「ごめんね、めちゃくちゃ不安だったよね、こんな風に産んだかあちゃんのせいだよね、ごめんね」

次男は二度と自転車で出かけなくなった。それからも暗い表情のまま、日々をやり過ごし、中学3年の頃にはイライラをつのらせては爆発する事が増えた。感情を外に出さない分、心にため込んでしまい、どうしようもなくなるのだろう。
自宅のソファーでぼーっと考え事をしているのかと思えば、静かに自分の髪をむしり取って、髪の山を作っていた。カッターで腕に傷をつけ血だらけになった。
突然壁を殴り、蹴り、穴をあける。ハサミを壁に突きさす。そんな時は兄も妹も私もただただ次男の気持ちが落ち着くのを待つしかなかった。父親はその頃から単身赴任で家にいなかった。私は母としてどうすべきなのか・・全くわからなかった。

『あなたの その呼吸が あなたを何度責めたでしょう』ウェザーリポート

医療機関にもかかったが、思春期だから・・の繰り返し。これといった答えはもらえなかった。その頃私の頭に{将来を悲観して}という言葉が繰り返し現れていた。この子と(いこう)かな、でも兄と妹を残してはかわいそうだ。と冗談まじりで、でもふと本気で考えたりもする日々だった。辛かった。

親子で重くて暗い気持のまま、中学を卒業した。勉強にはついていけず、登校制の通信高校に入った。
次男なりに成長はしている。でも高校でも友達はできず、相かわらず家と学校の往復、帰宅してゲームの毎日。
そんな時、兄の部屋から流れていたBUMPの”K”が次男の心に刺さった。

『忌み嫌われた俺にも 意味があるとするならば』”K”

こんな歌詞をもしかしたら自分と重ねたのかもしれない。
ゲームをしながら口ずさむようになり、私にその内容を事細かく説明してくれる。
黒猫の物語。最後は悲しくもぐっと感動を誘う言葉で締めくくられている。
”K”の考察を何千もの文字にして家族のスマホにメールし、学校での作文にも書いていた。”ダンデライオン”や“花の名”もいいよと教えてくれた。
そのおかげで、私もどっぷりBUMPにハマる事になる。

2014年7月31日、東京ドームでのBUMP OF CHICKEN WILLPOLISのライブチケットを手に入れる事ができたので、外出が嫌いな次男だがダメ元で誘ってみた。意外にも、
「行く」と返事。次男の人生初ライブだった。ぎこちないながらも、藤くんの唄声にあわせ、手を振り、拍手していた。”ray”での初音ミクとのコラボにも目を輝かせていた。

高校はほとんど休まなかったので、推薦で大学が決まった。
だが、大学に入る前に、私がずっとやらなくてはと思いつつ勇気がなく延ばし延ばしにしていた事にようやく決心がついた。”発達障害センター”に次男を連れて行く。本人には、大学生活の役に立つよう、性格診断してもらおうねと言って。

6時間かけて絵を描いたり計算したりした。数週間後、私だけ結果を聞きに行った。
検査がしんどかったようで、次男はもう嫌だと一緒にこなかった。

次男は”自閉スペクトラム症”いわゆる自閉症とのことだった。おおかた予想はしていたが、やはりショックだった。もっと早く判っていれば、小学校中学校で辛い目に合わなかったのかもとか、この先大学、就職、結婚ができるのかとかぐるぐる考えてしまった。先の事なんてわからないのに。

大学生活もあと半年となったが、卒業論文でいっぱいいっぱいと、就職活動から逃げている。でもいつまでも親の庇護の元で生きては行けない。一人で生きていくすべを身につけなくてはならない。

自閉症の一つの症状として、人の言葉を理解、解釈し、自分の言葉で考えてすぐ返すのが苦手なので、会話も遅くなる。考えているうちに周りはどんどん会話が進み、おいてけぼりになる。その為、学校行事で班単位で行動しても、いつもついて行けず、知らない場所で一人だけ電車に乗り遅れたこともあった。そのせいもあり、外出は不安と恐怖でしかなくなった。一度覚えてしまえばいいが、”臨機応変”が苦手だ。
これから社会に出なくてはならないが、人と接しないでできる仕事はなかなかないだろう。
興味のある事の記憶力はずば抜けているが、それをどうにか活かして仕事にし、生きていく事ができるのだろうか。

まだまだ次男の人生はこれからも困難の連続だと思う。
でも自らを”へなちょこ”と呼ぶ4人組、BUMPが魔法をかけてくれた。
家族でBUMPを語り、一緒に応援できる幸せを。

『あぁ 僕らは君をベッドから引きずり出して 手を繋ぐため 魔法をかけた
へなちょこの4人組』BUMP OF CHICKENのテーマ

彼らに、彼らの音楽に出逢えたのは偶然ではなく必然だったのだと、今思えている。未だ トンネルは抜けてはいないし、抜けられるのかもわからない。
でももう{将来を悲観}はしないと決めた。

『ひとつだけ ひとつだけ その腕で ギュッと抱えて離すな 世の中に ひとつだけ
かけがえのない生きてる自分』ダイヤモンド

メッセージを受け取ったよ。
人生は一回きり、へなちょこだっていい、生きろ、生きろ!と。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

  • 投稿作品の情報を、当該著作者の同意なくして転載する行為は著作権侵害にあたります。著作権侵害は犯罪です。
  • 利用規約を必ずご確認ください。
  • ハートの数字はTwitterやFacebookでのリツイート・いいねなどの反応数を合算して算出しています。
音楽について書きたい、読みたい