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Who is “Prayer X”?

King Gnuが織り成す祈りの歌

平成最後の夏、日本各所はこれまでにない程の自然災害に見舞われた。大阪北部地震に始まり、平成30年7月豪雨、命に関わる猛暑が続き、平成30年北海道胆振東部地震、国際空港を沈めた台風21号。たった4ヶ月足らずで起こった一連の災害は、多くの人々の生活を奪い、人間の無力さを露呈させた。連日ひっきりなしに放送される緊急報道を眺めながら、ぼんやりと思った。
「もしかしたら、この一時代の終わる今年、私達の世界も終わるのかもしれない」と。

幸か不幸か、私達の世界は終わる事なく秋風を迎え、被害に見舞われた土地も少しずつ生活を取り戻していく。
まだまだ元の生活を取り戻すには遠い人達も沢山居る現実。それでも、止まない雨は無いし、明けない夜は無い。
しかし、今年の夏、ひいてはこの一時代に傷跡を遺した【終末感】は、新しい時代を迎える多くの人々に刻まれたままだろう。
 
 

“トーキョー・ニュー・ミクスチャー・スタイルバンド”との呼び声高いKing Gnu。初のアニメタイアップとなった『Prayer X』はこれまでのミクスチャーロックとは明らかに一線を画した楽曲となっている。
彼等の既存曲と比較した際、圧倒的に際立つのはアコースティックギター、ストリングス、ピアノ等の数多の楽器による重厚な旋律だろう。これまでにも彼等は『破裂』、『サマーレイン・ダイバー』等のシンセサイザーやストリングスを活用した楽曲を作成してはいるが、今作の緻密さは頭一つ飛び抜けている。
ヴォーカルの井口の声ですら、楽曲頭のワンフレーズ以外は全てコーラスを重ねている作り込みよう。絞り出すかのように歌い始める彼の声は、【祈り】を主題とした歌詞を、まるでとても丁寧に楽曲の中に織り込んでいくかのような、そんな印象さえ受ける。
 

そんな楽曲をさらに興味深い作品として彩っているのが、今作に纏わる2つの映像作品である。

バンドにとっても初のタイアップ作となったアニメ『BANANA FISH』。アメリカのギャングとして生きる金髪の少年アッシュとBANANA FISHと呼ばれる麻薬を取り巻く抗争が主題となる作品である。
エンディングとして楽曲が主にフォーカスしているのはアッシュの生き様であろう。

《奪われないように くたばらないように
生きるのが精一杯だ》
《胸に刺さったナイフを 抜けずにいるの。
抜いたその瞬間 飛沫を上げて 涙が噴き出すでしょう?》

ギャングとして生きる事を余儀なくされた以上、約束された明日などない。アッシュの場合、その強さ故に命を狙われ、目の前で友人を喪わなければならなかった。正体のわからない麻薬で唯一の肉親であった兄すらも喪い、それでもその哀しみを抑え込みながら悪と闘う。エンディングの映像に合わせられた楽曲はそんな彼の情景をシンプルかつ彩やかに描いている。

アメリカのギャングには及ばないだろうが、King Gnuの魅力の1つとして『秀才の不良感』を挙げるファンも少なくない。彼等がアッシュに対してクリエイターとして愛着を持ち、楽曲のジャケットに彼を登場させているエピソードは、何処か親近感を感じた故の物ではないだろうか。
 

一方で、アニメのエンディングとしての認知がある程度に広まった後、発表されたのが今作のミュージックビデオである。楽曲のイメージ作品としては後発であるこちらの映像は、アニメのイメージを残しながらも、より楽曲の真意を表現し得る作品として仕上げられているように思う。

発表後に各所を賑わせたミュージックビデオだが、多くの声として『気味が悪い』という物が目立っていた。人間というモノを形取るには歪な眼、判を押したような動きを黙々と続ける無機質な人々は、見ているこちらにも伝染る『狂気』を確かに孕んでいる。現実味のない不条理な人物表現やモーションは初期の井上涼作品や今敏作品に近しい雰囲気も感じ取れる。

映像の狂気そのものに気圧されがちだが、その狂気こそが【祈り】という主題と併走する副題なのではないだろうか。前発の映像作品であるアニメの主人公を彷彿とさせる金髪の少年が崇め奉られ、最後には葬られるという一連の映像の流れの中で、彼は多くの人間の【祈り】の中で疲れ果てて行くようにも見える。
しかし、我々が真に見るべきはこの少年ではなく、有象無象から抜け出し、少年を刺したモノの視点ではないかと感じている。きっと彼こそが”Prayer X”であり、我々自身には最も近しい存在なのではないだろうか。
金髪の少年は、世界の創始者か、宗教の教祖か、亡国の王か、或いは界隈を賑わせるアーティストか。彼を崇め奉る【祈り】の感情は時として暴走し狂気を孕ませる。そんな狂気を孕む【祈り】を持ち得るのは他でもない我々自身であると、常田大希率いるクリエイター集団PERIMETRONはこの音像を通してメッセージを発しているようにも感じる。
King Gnu自身の楽曲のみでは、美しさや儚さとしてシンプルに表された【祈り】という主題に、音像を加える事で恐ろしい狂気を織り交ぜた。狂気を孕む美しさを創りあげる彼等の感性はとても日本的で、トーキョーの名を背負うクリエイター集団に恥じない作品として完成されているように思う。
 

私たちは、日々何かしらに縋り、【祈り】ながら生きている。
偶像とされる神に、小さな世界を支配する存在に、自身を絶望の淵から掬いあげた救世主に。そして、人智を超越する大自然の恩恵と怒号に。
【終末感】の刻まれたこの一時代の終わりに、様々な人間を背景として、悲痛な【祈り】として街に鳴り響くこの歌を、とても美しく、そして恐ろしく思う。
 

《この人生に 意味があるのなら 教えてよ
脆く、儚い日々の中で

痛みや悲しみさえも 飲み干した今、僕らは
一体全体何を信じればいい?

溢れ出した涙のように 一時の煌めく命ならば
出会いと別れを 繰り返す日々の中で
一体全体何を信じればいい?》
 

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