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無骨で不器用な小田和正が奏でる厳しく、やさしい歌

けんめいにかけがえのない人生をいきる尊さに幸せを感じさせてくれる小田和正

就職し、結婚し、子供も生まれて、“仕事”“生活”が中心になると、友人とも
自然に疎遠になる。
仕事もそれなりに順調、子育て、自分の時間も少なくなっていたのだろう。
学生時代は友人も多かったが、妻の仕事もあり、育メンになった僕は、今、友人たち
に言わせると友人達との交流も自分の時間も極端に少なくなっている感じていたようだ。

振り返れば、貪るように聴いていた音楽とも疎遠になっていった。
子供を乗せたクルマではアンパンマンが流れていた。

50歳も超えてくると、学生時代の友人との交流が増えて、“同窓会らしきもの”
が増えてくる。 
同窓会 というのは20代前半が多く、それが30歳前後になると友人の結婚式での再会
が同窓会のかわりになり、そして、徐々に同窓会はフェードアウトしていく。
 

ところが、この年延えになると、皆、口にはしないが自分自身の組織の中での将来が
みえてきてしまい“同窓会らしきもの”で集まるのだ。人生これから、夢を一生追い
続けるとはカッコよいことを僕も含め皆考えてはみるが、現実を考えると、今まで以
上に生活という現実だけに否応なしに向き合うことになり、親しい友人となんとなく
そんな話をする機会が欲しくなるのだ。

家のローン、子どもの学費、結婚、離婚、病気、親の死、介護、役職定年、再就職、
そして老後。そして、組織の中での自分も残り少なくなる
そこには、10代、20代で想像した溌剌とした自分ではなく、かけ離れた自分がいる。
僕の場合は、病気も患った。ポジティブだけが取り柄だった僕は、急に塞ぎ込むようになってしまい“同窓会らしきもの”の出席率も悪かった。
勿論、住まいが東京ではないことも大きい。

そんな頃から、大学時代の友人が、度々、東京からやってきて、それを口実に僕を連
れ出してくれた。そしてあるときは、東京のライブにも連れ出してくれた。
彼が連れて行ってくれたライブをきっかけにして、長いブランクを経て、僕は音楽を
再度、本格的に聴きだした。

楽しいときも悲しい時も辛い時も「The Beatles」を聴いた日から僕の人生は音楽と
ともにあった。受験で家を出る前に「Queen」の“We Will Rock You”を聴いた、
失恋すれば「10cc」の“I’m Not in Love”を何度も聴いた。「Paul McCartney」の
初来日のライブで“Abbey Road Medley”で感動の涙を流した。結婚式の入場曲は、
「David Bowie」 の “The Wedding Song” だった。
僕の想い出は音楽とセットなのだ。

再度ティーネイジャーの頃と同じように音楽に向き合いだした頃、ずっと僕の心に
寄り添って、響いていた小田さんのステージを観に行くことにした。
女性ファンでばかりであろうと想像していた小田さんのコンサートに1人で行く
のはハードルが高かったのだが、今聴くべきは、小田さんの音楽だという確信が
僕を突き動かしたのだ。

[俺、小田和正のコンサートに行ってくるよ]
[マジか、お前、洋楽しか聴かないってずっと行ってたじゃないか、オフコース
 は軟弱だから聴かないっていってたぞ。意外すぎる。皆(大学時代の友人達)
 大笑いするよ]
[俺は、小田和正が今聴きたいんだよ。実はずっと好きだったんだよ。今はとに
 かく小田和正の歌を生で聴きたいんだよ。これが俺なんだよ。昔も今も]

小田さんは現在、キャリハイと言って過言ではないほどの人気ぶりだ。
今年の5月に発売されたシングルは、発売直後からAmazonは売り切れ、入荷見込みは
かなり先、仕方がないから都内のCDショップ5件以上探したがことごとく売り切れ。
(結局ダウンロードで購入した。ダウンロードも便利だと実感)
改めて現在の小田さんの人気に驚く。
新曲の大ヒット、通算総売をみても国民的なアーティストの1人なのだ小田さんは。
 

オフコースの歌が最初にシンクロしたのは高校3年生の初恋だ。オフコースは当時す
でにTOPバンドだった。
僕の高校時代は、男子校、体育会系部活、家に帰れば、「Led Zeppelin」、
「King Crimson」を中心に洋楽ロックに夢中という恋愛とは無縁のむさ苦しいもの。
が、高3の秋にずっと片想いだった隣の女子高の女の子と付き合うという快挙を成し
遂げた。といっても、恋愛などしたことのない僕は彼女と何を話していいかもわか
らない。

遠くからずっと見続けた彼女は綺麗だった。綺麗な彼女しか見たくなかった。
そして綺麗な彼女の前で、僕は生々しい いやらしさとは無縁でいたかった。
彼女のことを考えると、普段聴く事はない(聴かないようにしていた)オフコースの
『Yes-No』が脳裏を 駆け巡った。 歌詞、メロディー、声に心を鷲掴みにされた

『Yes-No』 オフコース 作詞 小田和正
《ことばがもどかしくて うまくいえないけれど
 君のことばかり 気になる
    (中略)
 何もきかないで 何も なにも見ないで
 君を哀しませるもの 何も なにも見ないで
 君を抱いていいの 心は今 何処にあるの
 君を抱いていいの 好きになってもいいの》

小田さんの歌のように素直に自分の“好きだという気持ち”を言葉にしたかった。
その初恋も彼女に、「もう、おわりでしょう」と彼女にきりだされて終わりを迎えた。
僕の脳裏を『さよなら』がリフレインした。
今後、失恋しても(何度もするが)、オフコースは聴かないと決めた。

実際、バブル初期の東京の大学生だった僕は、DISCO、CAFE BAR、POOL BAR(完全
に死語だなぁ80年代バブルだ)に通いつめ、それっぽい音楽を聴いていた。
『さよなら』のイメージが強すぎて、悲しい歌に聴こえた当時のオフコースの歌は
いま聴きなおすと“女性にモテた”と小田さんがインタビューで答えているように、
恋愛に自信のない僕にはとても言えないストレートな愛の表現が多い
今更ながら、好きな女性に想いを伝えられない自分の“カッコ悪さ”“自信のなさ
さ”“弱さ”を目の前につきつけられている気がして、じっくり、聴いていられなか
ったのが自分の本音だったのだ。
 

小田和正というアーティストはその楽曲の印象とその実際のパーソナリティに非常に
大きなギャップがある。 小田さんは相当に頑固で、無骨で、意地っ張りで、男っぽ
いのである。

例えば、小田さんのパーソナリティがわかるエピソード。

1980年代のお化け番組『ザ・ベストテン』には出演拒否し、お笑い番組『オレたちひ
ょうきん族』の『ひょうきんベストテン』には出演する。

暗いからオフコースは嫌いだと公言したタモリの『笑っていいとも!』に出演し、噛み
合わないトークをする。
(同様に話が噛み合いそうもないビートたけしのオールナイトニッポンにもゲスト
 出演している。それを受けたタモリもたけしもさすがだ)

『さよなら』がやっと大ヒットしブレイクしたとき、次も同じ路線を期待するスタッ
 フの言うことに耳をかさず、小田さんの楽曲で最も社会的メッセージの強い
『生まれ来る子供たちのために』をシングルカットする
(現在ではコンサートの定番になっている)

1作目の映画監督作品が評論家に酷評されると2作目は自分をモデルにしたような
映画監督を主人公にした映画を製作する

年末恒例になった『クリスマスの約束』の第1回はゲストなし。スタッフが小田さん
に恥をかかせたくないという想いの中、誰もゲストは来ませんと言ってたったひとりで
出演する。

歌詞とボーカルからは想像できない不愛想でべらんめえ調の語り口。
その無愛想故に、ラジオのパーソナリティを泣かせてしまう。
(悪気があるわけではない)

全共闘世代でも其の理論に共感も納得できないとデモに参加しなかった。自分自身で
納得しないと絶対に流されない 等々

小田和正というアーティストは、その楽曲のイメージとは真逆の反骨の人であり、
そして何より失敗し、恥をかくことを恐れず、信念に基づいた生き方=【静かな闘
志】を貫いてきたアーティストなのだ

だからこそ、その奇跡のハイトーンボイスで唄われる歌は、歌詞の説得力を持ち、
多くの人の僕の心に染み渡る。その生き方の信念が、歌の説得力を強固なものにす
るのだ。音楽の説得力はそのアーティストの【生き様】なのだきっと
 

KAZUMASA ODA TOUR 2014 ”本日 小田日和”

『そんなことより 幸せになろう』で開幕したステージは最新アルバム
『小田日和』からのナンバ ーを多数演奏した

『この街』(アルバム 『小田日和』より)作詞 小田和正
《雨は窓を叩き 風はさらに強く
 人生は思っていたよりも ずっと厳しく
 夢は遠ざかり なんか切なくなる
 そんな時は 迷わず
 もういちいど夢を 追いかければいい
 何度も 何度でも また追いかければいい》

『今のこと』(アルバム 『小田日和』より)作詞 小田和正
《心に浮かんだ すなおな想い
 まわりのすべてに 支えられて
 今だから見える 景色がある
 今だからきこえる 言葉がある》

現実は、儘ならないことばかりだ。しかし、自分が今こうして生活できている。
のは、家族、友人に支えられていることを改めて認識させてくれる。
生の小田さんの歌声は僕の心を震わせた。

次の ツアー 
KAZUMASA ODA TOUR 2016 ”君住む街へ”

前述の大学時代の友人と一緒に観に行った。
結局、彼もファンだったのだ。
6月30日だったそのコンサートは伝説のオフコース10日間武道館コンサートの
最終日と重なっていた。 小田さんは、鈴木さんとの最後のステージを思い出
し、『言葉にできない』の途中で声をつまらせた。
僕たちオヤジ2人も涙を流した。
「涙もろくなるんだよな、歳をとると」会場を笑いながら後にした。

そして今年、ENCORE!! Kazumasa Oda Tour 2018

会場は超満員。この年齢で全国のアリーナをソールドアウトするのは凄い。ファン
層も広い。まさに老若男女だ。そして、僕の同世代以上のおじさんたちのグループ
が多いのだ。そういう僕達もオヤジ4人組なのだ。

新曲『会いに行く』で開幕したステージは、最初から総立ち。小田さんは、いつもの
ように花道を走り、観客にマイクを向ける。歌詞がスクリーンに映し出され、観客は
歌う。世に発表されたナンバーはその歌を愛するファンのものだという小田さんの音
楽へ向かう姿勢を表している。

『たしかなこと』作詞 小田和正
《自分のこと大切にして 誰かのこと そっと想うみたいに
 切ないとき ひとりでいないで 遠く 遠く離れていかないで》

『東京の空』作詞 小田和正
《がんばっても がんばっても うまくいかない
 でも 気づかない ところで 誰かが きっと 見てる》

『さよならは 言わない』作詞 小田和正
《戦い続けた わけじゃない 流されて来たとも 思わない
 追いかけた 夢の いくつかは 今 この手の中にある》

小田さんの現在の多くの支持の要因はひとつは、小田さんのラブソングが時代を超
えて、普遍性を持っていること。小田さんの歌詞はオフコースの時代から、具体的な
情景をそぎ落としてそぎ落として、【想い】の核だけを伝えてきた。だからこそ、そ
のラブソングは時代を超越し、現在の若者にもリアルに響いているのではないか

もう一つの要因は、2000年の『個人主義』以降の小田さんの変化に、かつての僕のよ
うなファンが敏感に反応し、再度、小田さんを熱烈に支持していることだ。
サウンドはオフコース時代のバンドサウンド、1990年代に挑戦したコンピュータによ
る打ち込みサウンドへの挑戦を経て、ギター、ベース、ドラム、ピアノ、キーボー
ド、サックス、そしてストリングスという現在のステージのバンド編成の紡ぎだす
ナチュラルでクリアな音=小田和正サウンドに変化した。

歌詞は、ラブソングからラブソングの体裁をとりつつ短い人生の出会いへと変化して
きた。オフコース時代の代表曲『秋の気配』『さよなら』『言葉にできない』
(鈴木康博さんの脱退による別れがテーマ)のような別れをテーマにしたものが殆ど
なくなった。
【時間は戻ってこない】【出会い】【人にやさしく】【明日】など人生の大切なこと
に収斂している。

小田さんは1998年に自動車の大事故で怪我を負っている。このときファンから
【生きていてくれてよかった】というメッセージを受け取ったことが勇気になった
というエピソードを度々インタビューで語っている。
その体験が小田さんの『個人主義』以降の【君の存在は僕を(誰かを)幸せにしてい
ることを忘れないで】という小田さんの強いメッセージに繋がっている。
小田さんはファンに人生を教えられたのだ。
そして僕は、私たちは小田さんの歌に勇気づけられる。
【繋がっていくんだ全ては】

そして、小田さんの歌は、その純度が年々増している

歌詞は英語を殆ど使わず、難解な言葉は使わず、平易な言葉使いで誰にでも共有でき
る表現にしている。
(代表作『言葉にできない』で、言葉にすることができないほどの感情を
 《la la la・・・・・・ 言葉にできない》
と表現したのはコペルニクス的転回と言っていいほどの大発明だ)
その歌詞を英語風の歌唱をせず、言葉をはっきり発音し、ビブラートを用いない小田
さんのボーカル。簡単なように思えるが、誤魔化しのきかない最も困難な表現方法
で、本物でなければ心に届かない。
その困難な表現方法を選択し、挑み続ける小田さんの音楽家としてのスピリットが
心を打つのだ。

思い描いた理想の自分とはほど遠い【現実の自分】を受け入れはじめたおじさんたち
は、小田さんの唯一無二のハイトーンボイスにより純度を増幅させた力強いメッセー
ジを感じ取る。そして、先の見えない混迷した時代の空気を感じている若者たちも
今後の自分の【生き方】に想いを馳せるのだきっと。

【自分の“弱さ”をも受け入れることこそ大切なのだ。それがスタートだ。
 ありふれた毎日が幸せであり、今この時を大切にして生き続けること。
 人は不安になり、思い悩み、立ち止まってしまい、戦い続けることができ
 なくなる時もある。
 そんなときは 自分を信じよう。かけがえのない短い自分の人生を大切に
 しよう。
 “弱さ”を受け入れて、勇気をもち、少しづつ積み重ねることを怠らな
 ければがいい。
 夢を捨てずに努力すること、努力したことが大切な思い出=人生なんだ】
 その【ちっぽけな誇り】が自分にもあることを確認するのだ。

『この道を』作詞 小田和正
《それでも けんめいに 生きて行くと そう決めた》

泣いている僕をみて、大切な友人が耳元で囁いた
[お前、また泣いてるのか、大学のときも失恋しちゃ泣き、サークルの合宿をやり切
 ったときには泣き、卒業式では泣き、泣いてばっかりいるな。変わらないなお前]

僕は、一時期自分を信じれない時期があった。その時期のこと、そして周囲の人に
助けられて今があることが小田さんの歌を聴くたびに思い出す。

人間にとって、一番つらいことは自分を信じれなくなることだ。
それを乗り切って、明日はきっと今日より自分を少しだけ信じて、【けんめいに生き
て】いくしかない。
若い頃の僕は“弱い、情けない”自分が嫌で、強がりばかり言っていた。
そんな僕は小田さんの歌を正面から聴けずにいた。
しかし、やっと僕は小田さんの歌で“弱さを認めた先にある強さ”に気が付いた

僕はこれからも小田さんの歌を聴き続け、助けられながら僕の【かけがえのない】
人生を生きていく。
その先には昨日より幸せになっている僕がいるに違いない。

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