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ただ、話がしたかったんだ

BUMP OF CHICKENに気づかせてもらった感情

これは持論であり若干極論だが、楽曲に価値があるかどうか、つまり〈名曲〉かどうかは、〈聴いた者の心が震えるかどうか〉の一点のみで判断されると私は考える。音楽的構成、歌詞の世界観、表現力、演奏技術、はたまた実演者のルックス・スタイルに至るまで、音楽作品には様々な価値基準があるけれど、結局のところそれらは全て「○○○の××な所に心が震えた/感動した/グッときた」というような所に帰結していくのだから。幼い子供が歌う、拙い調子っぱずれのバースデーソングも、祝われた両親からすればこの世に二つと無い最高の〈名曲〉となるように。名曲、という概念は各々の主観の中にのみ存在するものだと、私は常々思っている。
 

さて、〈心が震える〉と一口には言ったけれど、心にだっていくつもの部位、何本もの琴線がある。私にとっての〈名曲〉は何百曲とあり、現在進行形で増え続けているけれど、「この曲は私の数ある心の琴線のうち、どの部分に触れるのか?」という所が、やはりそれぞれ微妙に違っている。その違いを元に自分流のジャンル分けをするのが、私にとって音楽を聴く上での密かな楽しみだったりする。全く違った音楽ジャンル、例えばアイドルソングとHIPHOPがその自分流ジャンル分けでは同じフォルダに収納されたりもして、中々に面白い。
 

そんな風に音楽好きとしてのライフを謳歌していた訳だが、最近また一つ、とてつもない〈名曲〉と出逢ってしまった。その曲は驚くことに、かなりの音楽好きである私の中に、1箇所だけ存在した〈今まで一度も音楽に触れられることの無かった心の部位〉をやさしく撫でてくれたのだ。私自身ですら容易に触ることが出来なかった、心の奥深くに埋もれた暗い場所だ。自分流のジャンル分けに、今までに無かった新しい名前のフォルダが生まれ、その1曲だけが大事にしまわれた。
 

それはBUMP OF CHICKENの『話がしたいよ』という曲。
この曲を聴いたとき、僕の心に浮かびあがってきたのは父とのことだった。
 

父とはもう7年ほど会っていない。母との離婚が成立し、戸籍上でもはっきりと決別したのは4年前だ。どこにでもあるようなありふれた理由と事情だったが、10代の自分に取返しのつかないほど深い痛みを植え付けるのには十分だった。それが全ての原因という訳では無く、今になって考えればあくまで一因なのだけれど、その頃の私はそんな家庭環境を理由に「自分は不幸だ」と強く感じてしまっていた。そして、そんな負の感情は父への憎しみめいた気持ちへと自然に置き換わっていった。10代後半から20歳ごろまでの期間、私はそれらを自らの人生の中心に据えて、仄暗い闇の中に生きた。
 

とは言え、そんなある種自慰めいた悲劇の主人公気取りも長くは続かなかった。20歳を超えて成人した後に社会人として忙しく働き、いくつかの健全な恋愛と失恋を経て精神が少しだけ成熟した23歳の私は、そんな闇を忘れて生きることが出来ていた。いや、忘れて、ではなく呑み込んで、という表現の方が適切かもしれない。生活に流されて自分の中に深く吞み込まれていった〈それ〉をそこはかとなく認識しながらも、あえてもう一度〈それ〉を吐き出して、確かめることを無意識に避け続けたのだ。しかし、こんな都合の悪い部分に目を瞑るような生き方がいつまで続くのだろうか、とも考え出していたこのごろ、BUMP OF CHICKENが、私のそんなデリケートな部分に優しく触れて、光を当ててくれたのだった。
 

《だめだよ、といいよ、とを 往復する信号機
止まったり動いたり 同じようにしていても他人同士
元気でいるかな

この瞬間にどんな顔をしていただろう
一体どんな言葉をいくつ見つけただろう
ああ 君がここにいたら 君がここにいたら 話がしたいよ》
 

《他人同士 元気でいるかな》
このフレーズを聴いて、私は突然に父のことを思い出したのだ。
それと同時に、そんな自分に心底驚いた。
憎んでいたはずの、恨んでいたはずの父を、遠くの相手に思いを馳せる時に使う、こんな優しい言葉をきっかけに思い出すだなんて。しかも、父のことを思い出すだなんて何年振りだろうか?ハッと息を呑む私を横目に唄は続く。

《ああ 君がここにいたら 君がここにいたら 話がしたいよ》
じんわりと温かい声で歌われる《話がしたいよ》
もう前みたいには会えなくなってしまった大切な人に向けるであろう、呆気ないくらい素朴な言葉に、少し大人になった私は拍子抜けするほど、あっさりと気が付く。
ああ、そうか。私は父を憎んでいた訳でも、恨んでいた訳でも無かったんだ。
ただ、話がしたかったんだ。
 

《どうやったって戻れないのは一緒だよ
じゃあこういう事を思っているのも一緒がいい
肌を撫でた今の風が 底の抜けた空が
あの日と似ているのに

抗いようもなく忘れながら生きているよ
ねぇ一体どんな言葉に僕ら出会っていたんだろう
鼻で愛想笑い 綺麗事 夏の終わる匂い まだ覚えているよ 話がしたいよ》
 

《どうやったって戻れないのは一緒だよ
じゃあこういう事を思っているのも一緒がいい》
この部分を聴いた瞬間は、まるで胸の中が温かい水で満たされるようだった。お父さんも同じようなことを思っていてくれてたら。話がしたい、って思ってくれてたら。どんなにいいだろう、と素直な気持ちでそう思えた。

《鼻で愛想笑い 綺麗事 夏の終わる匂い まだ覚えているよ 話がしたいよ》
少ないけれど、母と父と私の家族3人で作った思い出がいくつかある。ちょうど晩夏の夕暮れ時に公園で花火をしたこともあって、その時の記憶がぼんやりと蘇ってくる。日々の生活に押し流されて、忘れながら生きているけれど、まだ覚えているよ。話がしたいよ。
 

そんな気持ちになりながらも、でもやっぱり。と僕は思う。どうしても許せないこと。いくら考えても遣る瀬無いこと。長い間、そんなモノたちが絡まりつづけたしがらみは、そう易々と解けやしないだろうと。

だけど。今まで色々あったし、これからも色々あるだろうけど。もちろん、すっかり元通りになんてなるはずもないけれど。私は確かにあなたを許したいって、大人になった今はそういう風に思えているんだ。

まるで《だめだよ、といいよ、とを 往復する信号機》みたいに行ったり来たりしてしまう、一筋縄ではいかない複雑な心模様すらも、見透かしたみたいな声で藤くんが優しくこう言ってくれる。
 

《今までのなんだかんだとか これからがどうとか
心からどうでもいいんだ そんなことは

いや どうでもってそりゃ言い過ぎかも いや 言い過ぎだけど
そう言ってやりたいんだ 大丈夫 分かっている》
 
 

この曲を聴き終わったとき、私の中に呑み込まれていた〈父との確執〉という異物は丸ごと吐き出され、暖かな光に晒されていた。ちょっと前の自分では気がつけなかったけれど、改めて明るいところで確かめてみれば、それは憎しみや恨みなんていう、醜く下らないものではなかった。

ただ、親子として、ちゃんと向かい合って話がしたい。
本当にそれだけのことだった。

そんな大事なことに気がつかせてくれたこの曲『話がしたいよ』は、本当の意味で人生が変わったとてつもない〈名曲〉だと思えた。音楽がまさか、自分の心のこんな奥底の部分にまで触れるとは。そんな驚きもあり、更に輪をかけて音楽が好きになってしまった。
 

いつか、父に会いに行こうと思う。連絡先もわからなくなってしまっているので、足取りを追うところからのスタートなのだけど、いつか、必ず。そして、今までのなんだかんだとか、もうどうでもいいよ、って言ってやりたいと思う。根は悪い人じゃないから、きっと私に謝るだろうけど「大丈夫、分かってるよ」って。
 

ところで話は戻らないようで戻るけど、この文章を書いている途中、もう一つ幼少期の家族の思い出が蘇った。確か、いつだかの父の誕生日に、私が密かに練習していたバースデーソングを歌ってあげたんだった。お父さんにとって、あれは〈名曲〉だったかな?そもそも覚えてるかな?ああ、こう考えるとやっぱり、話がしたいよ。

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