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29歳

志村正彦の29年

2018年、私は29歳になった。
2009年、彼は29歳で亡くなった。
当時21歳で大学生の私には29歳になるということが想像できなかった。
しかしいつの間にか、彼の年齢に追いついてしまった。

2009年年末、何となくニュースを見ていると訃報が流れてきた。
「ロックバンド、フジファブリックのボーカル、志村正彦さんが亡くなりました。享年29歳」
当時の私は、何となくバンド名を聞いたことがある程度で「志村正彦」という人は知らなかった。しかし29歳という若さで亡くなったこと、そしてフロントマンを失ったバンドはこれからどうするのだろうと、頭の片隅に「フジファブリック」が刻まれることになった。
今思えばそれがフジファブリックとの出会いだった。

2010年、当時の私は本屋とCDショップの複合店でアルバイトをしていた。その頃発売されたBank Bandの「沿志奏逢3」の宣伝用映像が店内に流れていた。その中で1曲、印象に残りメロディーと歌詞をすぐに覚えた曲があった。
調べると、それがフジファブリックの「若者のすべて」だった。

それからしばらくして、友人から唐突に「フジファブリックって知ってる?」と聞かれた。
それまでその友人とは音楽の話をしたことがなかったので驚いたが、私が軽音楽部に所属していたことから聞いてくれたのかもしれない。
「バンド名は知ってる。あとはBank Bandが歌う若者のすべてなら…」
「それだったらCD聞いてみて!」と半ば無理やり「SINGLES 2004-2009」を貸してくれた。
実はそれまであえてフジファブリックを聞かないようにしていた。
Bank Bandの歌う若者のすべてを聞いた時から、フジファブリックを聞いたら絶対にハマると確信していた。
それが怖かった。今からフジファブリックにハマったとしてももう新しい曲を聴くことはできない。それはとても虚しいことだと思っていた。

そして案の定、どんどんフジファブリックにハマっていった。キャッチーだったり変化球だったりとにかく印象的なメロディ、懐かしさを感じさせる感傷的な歌詞もあれば言葉のリズムを楽しむような歌詞もあり、聴けば聴くほど好きになっていった。そしてどんどん遡って曲を聴くようになり、気が付けば彼らがリリースした曲はほぼ聴いていた。
虚しさがなかったわけではない。分かってはいたことだがこれから志村正彦が作る新曲は聴けない。
それでもフジファブリックを知ってよかった。彼が作った曲を聴くことができ、少しでも彼の人となりを知ることができた。曲がこの世に残っていたから、彼が亡くなった後も彼を知ることができたのだ。

その後、彼の日記をまとめた「東京、音楽、ロックンロール」を手に入れた。彼がどんな思いで音楽と向き合っていたかを知りたかった。
そこには決して夢を叶えたからといって楽しいことばかりだけじゃないミュージシャンとしての日々が綴られていた。
悩み傷つき、それを音楽へ昇華して行く。そんな彼だからこそ多くの人の琴線に触れ支持されていたのだと改めて知ることができた。

ミーハーな私は少しフジファブリックを聴く機会が減ってしまったが、それでもやはり定期的に聴きたくなる。
立場は違えど、29歳の彼は今の私のように悩みや不安を抱えていたのだろうか。
少しでも彼に近づければと思い、そんな日はヘッドフォン越しに彼に会いに行く。

時々ふと考える。彼が30代を迎えていたら、どんな曲を作っていたのだろう。
もしかしたら30代を迎え結婚したり、子供ができ家族を持っていたかもしれない。きっと作る曲も変わっていっただろう。

そして来年、私は彼の年齢を追い越す。

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