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この時代に生まれるべくして生まれたロックバンド、時速36km

「まだ俺になる前の俺に。」リリースに際して

世に受け入れられるのは、作品に表れた感性や意見が多くの人々に共有されることを意味する。その意味で彼らが平成が終わるこの2018年にこのアルバムを出したことは、今日の日本を生きる我々にとって歓迎すべき事態であろう。時速36kmは、この時代に生まれるべくして生まれたバンドだ。そんな大それたことを思わずにはいられない。彼等の最新アルバムが11月7日、世に解き放たれる。

待ちに待った彼らの1st mini album の一曲目を飾ったのは「スーパーソニック」。作詞を手掛けたのはVo.Gt.仲川だ。彼は曲の中で、しばしば大人になることと子供を引きずることのあいだで、宙ぶらりんになったり、はたまたどちらかに傾いたり、足掻いたり藻搔いている。いまとあの頃が少しずつ離れていくのは、悲しいことなのか、それとも幸せなことなのか。それでも曲が終わる頃には思う。年をとるって悪くない、と。

「やっていくしかないよな 昨日の酒が悲しいが苦しいが抜けてなくても」、そうだ、やっていくしかないのだ。しょっちゅう迷って、たまには泣きじゃくって、それでも歩き続けて、だんだんと大人になる。やがて、いろんなことを受け止められるようになっていく。

「あんたはヒーローだからどこまでも走っていけよって」ーーー彼の声が心の中で何度も鳴り響く。最大限に理想を追うなら、社会を少しでも暮らしやすいものに変えてくれることでさえ期待できる点で、まさにロックバンドは時代のヒーローなのである。

続くのは、彼らの代表曲ともいえる「七月七日通り」だ。

わたしは時速36kmが怖い。身ぐるみ剥がされてしまうからだ。時速36kmを初めて聴いたのがこの曲だった。見せないでいる心の葛藤とかこんなはずじゃないのにとか望んだ未来じゃないこととかこれからどうしたらいいのかとか、そういう普段心の奥から取り出さないようにしてる気持ちや不安、自分に対する不満、そういったものたちが素手で掴まれて、厚着した心から外につまみ出されてしまうのだ。

ライブを観た翌日、いつものように仕事で上司に人を殺すような目で怒られた。感情にシャッターを閉めていれば大丈夫なはずだった。それなのに私は気づいたら泣いていた。天を仰いでも涙は止まらなかった。知らないうちに厚着をしていた心の布が、剥がされて、心と身体の距離が近くにあったのだと思う。悲しい時に涙が出るとか、腹が立った時に睨むとか、優しい言葉に心が温まるとか、そういうことが出来て、逆に悲しいのに悲しくないフリをする、傷ついているのになんともないフリをする、ムカついているのに笑う、とか感情に蓋をして外に出さない、ということができなくなっていた。

どんな感情の時でさえ、厚着した心の奥に隠しているその人のその人だけしか知り得ない感情的な部分を引きずり出して、引っ叩かれたり、揺さぶられたりする感覚が、わたしは好きで、その頻度や命中率が高ければ高いほど、私はそのアーティストのライブに対する信頼度が上がっていく。その点で、彼らはあの日、確実に良いライブをしていた。

「なんか違うから悲しいし虚しいし 
それだけがぐずぐず消え残る
在りし日の残像がまだ
何処へだって行けると笑ってる」

“在りし日の残像”は「スーパーソニック」の中であんたはヒーローだからどこまでも走っていけよって説いた“真面目なツラした昔の俺”だし、このアルバム名でもある“まだ俺になる前の俺”なのである。そしてこのアルバムを聴いた中に、少なからずこの“俺”が昔の自分だと想いを馳せる人も、こう思える未来を祈る人もいることだろう。「スーパーソニック」から「七月七日通り」に続く曲の流れが、わたしはたまらく好きだ。
 

三曲目に収録されているのは「ウルトラマリン」。すれ違いを歌った失恋ソングである。悄然としているのは確かなのだが、それ以上にもう全部どうでもいいといった投げやりな心情表現が強い。自分の心はあの日から止まったままなのに、無情にも現実は二人で分け合っていたことを一人で受け止めたり嗜むようになる。感傷に浸っていても、時は過ぎ、季節はまわっていく。哀しいのに美しくて、酷いなあ、と思う。彼等なりのラブソングは、期待を裏切ること無く感傷的で真っ直ぐで、このアルバムの中でもほかの曲たちに負けないくらいの光を放っていた。

続くのは、ライブで欠く事のない名曲「夢を見ている」。大小あるとしても、夢見てたい。いつだって未来に期待してたい。今のことも愛したい。この曲を聴くと、そういったことをなにひとつ諦めたくないという気持ちになる。周りにいる大事な人たちをみんな引き連れて、もっともっと楽しくなったり、かっこよくなりたい、そんな彼等の周囲の人々に対する愛や、ひとつだけ捨てたくないものとか、青春の大事な部分をぎゅっと閉じ込めた塊みたいなものとかが一曲の中に詰め込まれているように思う。

前作ドライビングフォースにも収録されているが、アレンジが加わり、更にこの曲の良さがパワーアップして鼓膜に響く。メンバーたちが一丸となったユニゾンがとても魅力的だ。バンドの潔い力強さに心臓がどくどくした。聴いた人は皆、彼らのライブを観たいと思わずにはいられなくなるだろう。

五曲目は、「石神井川」。タイトルを見て、「いしかみいがわ…?」と読んでしまった。正しくは、「しゃくじいがわ」。調べてみたところ、東京を流れる実在する一級河川の名前だった。本当に本当に良い歌だ。この歌の良さが分からない人間と共感をアテに美味しいお酒を飲むことなんて絶対に出来ないな、と私は思う。

「信じると決めたことがすでに間違いでも 生きると決めた生活と日々は絶対に裏切るなよ」、という歌詞は胸をえぐるように強くて正しかった。どうしてもこの曲を持って、絶望のつきあたりにいるあの人や、人間の抱えている暗がりに引きずり込まれてしまったあの人に、会いに行きたいと思った。役に立たなくても、ありふれた慰みの言葉しか出てこなくても、この歌を聴いて貰えば、少しはこの感情のひとかけらでも、伝わるんじゃないか、なんて思う。

どうしようもなく辛く苦しいことはやってきて、それらは去ってもなお、わたしたちの心の中で化膿してきまった傷のように、じんじんと熱を放ち続ける。けれど、そういった痛みを抱えながらでも、こんな歌があるなら、こんなロックバンドがいるなら、この世の中も捨てたもんじゃないなと思った。

続く、「クソッタレ共に愛を」。クソッタレ共、とは私達フロアにいる客を指している。この曲はここまでの五曲からうって変わって少し開けた景色を見せてくれる。これまでの不安や劣等感の沼に足がズブズブになっている状態から少し抜けて、俺はこうする!という決意が見える。

「何もかも要らないような 何もかも足らないような バカな頭で繰り返し、やり直しては夜が足りなくなんだよな」という歌詞を境に私の中のダムが決壊してしまった。今までの20数年間たまりにたまってきた古い水が、涙へと形を変えて一気に抜き出してしまったような感じだ。そんなことあるわけないのに、夜、一人でいたら、世界で一人になったような気がする。みんな笑顔で楽しそうで何もかも予定通りまっすぐ幸せになっていっても、わたしだけこの先なに一つもうまくできない気がする。いろんなことがぼやけてきて将来のことがなにもかもわからなくなる。怖くなる。夜の底に堕ちてしまう。だから、変な言い方だけど、うれしい、とおもった。「これでも必死なんだぜ」って、まるで、わたしが黙ってなにも言い返さずに生活を続けていることも、何言っても傷つかないと思ってた、と怒鳴られることも、その後に残る空虚感も、全部、わたし一人の感情じゃなかった、わたしがひとりが持つものじゃなかった、と思えたからだった。

彼らと一緒に、大人になりたいな、と思う。もうすでに大人なのかもしれないけど。人というのは、変わらないように思えて、ちょっとずつ変わっていく。ただ生きていくというそのことが、無為に過ぎていくかのような1日1日が、けれど確かになにかを変えていくのだ。
 

アルバムを締め括るのは弾き語り音源である、「死ななきゃ日々は続く」。コードと声だけ、メロディーの良さが際立つ。一曲目に収録されている「スーパーソニック」が自分との別れであるなら、この曲で描かれているのは他人との別れだ。別れていくこと、当たり前に会えていた人と当たり前に会えなくなること、忘れていくこと。そういったものを全部含めて、別れというものにこれから先も慣れてしまいたくないなと思う。その度にちゃんと悲しみたい。悲しいという感情やその先にある祈りまで持つことができるのは、今目の前にいる人と向き合えたという証明であり誇れることだと思うからだ。

頭の先から爪先まで、まるっと一つの作品として作り上げられたこのアルバムは、忘れても記憶から零れ落ちても、確かに未来に残っていくものを哀愁たっぷりにパッケージングしたような、完成された一枚だった。
 

最後になるが、「俺になる前の俺」というのは、「バンドを始める前と後」だと私は受け取っている。彼らはもう、あの頃より誇れる俺になれている。それは邁進する現在の彼らの頑張りや活躍を見れば一目瞭然だと思う。一方で、このCDを聴くわたしはまだ、あの頃にいる。彼らが俺になる前の俺だった頃のように、毎日、毎晩、焦燥や諦念、葛藤だなんて格好付けた言葉では到底言い表せない格好悪い気持ちに苛まれてばかりだ。それでも、失敗だと思った選択も、もはや終わればと思った日々も、グズグズになって足元ばかり見ていたことも、今となっては無駄じゃなかったと思えるのだ。なぜなら、きっとあの頃があったからこそ、今、彼らの音楽を聴いて、人一倍心が震えて「これは私の曲だ」と自分勝手に思ってしまえるくらい手に取るように感情を受け取ることが出来たからだ。自分自身の現在を誇れていたあの頃、今ほど彼らの音楽が特別なものになっていたか?と聞かれれば答えは難くないだろう。「これは自分の歌だ」とか「私の為の曲だ」なんて思ってしまう。彼らの音楽に出会った人の中には、そんな風に思わざるを得ない人が少なくないはずだ。そんな可笑しなことを本気で考えてしまうのはやはり、時速36kmは、この時代に生まれるべくして生まれたバンドであるからだと、また真面目な顔で言ってしまいたくなる。
 

CDの発売に伴い、レコ発ライブシリーズ『起死回生』の開催が決定している。百聞は一見に如かず、というがこのアルバムを聴けばライブに行きたくなることは請け合いだ。是非ライブハウスに足を運んで欲しい。

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