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鋼鉄の処女は怪物エディの夢を見るか

Iron Maiden『Legacy Of The Beast Tour 2018』ロンドン凱旋公演

歴史的な熱波がイングランドを襲った2018年夏、ロンドン・テムズ川南岸に建つO2アリーナにIron Maidenが帰ってきた。約4ヶ月に及ぶツアーの最終公演当日、アリーナ最寄りのNorth Greenwich駅に降り立って目にしたのは、このバンドのオリジナルTシャツを纏った人々で埋め尽くされたプラットホーム、「IRON MAIDEN FANS」と題し今宵の名演を約束する散文が書かれた運行情報掲示板、打ち込みのアタック音を頼りにギターでカバー演奏を披露する青年の姿だった。会場のグランドフロアに連なるパブ街を擦り抜け、空港さながらの厳格なセキュリティチェックを通過し、ステージへと近づくにつれ、周囲の人々の熱気が増していく。

公演のはじまりはとても印象的であった。舞台上のセットは暗幕に覆われ、自席で寛ぐ無数の観客たちに天井から注ぐ白光とスローテンポで気怠いギターの音色が絡む。その曲名を思い出した瞬間、客席のみ暗転、BGMと化していたUFO“Doctor Doctor”がテンポアップし、アリーナ全体にクラップが響き渡る。さらにステージが暗転し、主役の到来を期待して息を飲む。いや、まだだ。さらにプロローグは続く。ステージ上部のスクリーンに軍事用プロペラ機や戦場の光景を捉えたモノクロ映像が投影され、戦闘を鼓舞する為政者のスピーチ音声が流れる。その第二次世界大戦下のイギリスの指導者が「私たちは決して降伏しない!」と強い語気で言い切った瞬間、ステージをランダムに照らすストロボに目が眩んだ。私はバンドのTシャツを着ていないし、黄色人種だし、チャーチル首相の名演説に歓声をあげるには背負っているものがあまりに違う。今日は8月11日。ここ数日はイギリス国営ラジオでも広島や長崎の名を耳にしていたからなおのことだ。私はこのライブに来てよかったのだろうか、と問わずにはいられなかった。

本編に入る前に今回の欧州ツアーのコンセプトと特色を確認しておきたい。 ツアータイトルの『Legacy Of The Beast』は、一昨年リリースされたゲームアプリの名をそのまま冠している。このゲームは、Iron Maidenのジャケットを飾ってきたバンドマスコット「エディ」(プレイヤー)が、各アルバムのアートワークの世界を冒険するアクションRPGである。BGMにこのバンドの名曲が惜しみなく使用されており、私もエディに扮して夢中でプレイするうち、ゾンビにも似た風貌の彼に愛着を持つまでになった。ゲームの視覚的側面に目を転じると、エディが渡り歩くフィールドのモチーフとして、主に1980年代に発表された作品のアートワークが多用されている。このような事情も相まって、1980年代の楽曲群を中心にバンドの歩みを振り返ることがツアーのミッションとして設定され、演出面ではこのゲームの世界観がステージ上に具現化されるに至った。加えて、後年の作品をセットリストに入れる際、近年の公演で演奏されていない楽曲を積極的に掘り起こしている点も特筆に値するであろう。

バンドとしての歩みを振り返り、その歩みと共に構築されたエディの棲むパラレルワールドを具現化する。このような重層的なテーマを掲げて臨んだ欧州ツアーの最終公演である。ストロボの光の隙間から姿を現した4人の弦楽器隊に続き、我こそは時空の覇者なりとばかりにブルース・ディッキンソン(Vo)がモニターを勢いよく飛び越えて登場し、本編の幕は上がった。英独軍間の空中戦を描いた“Aces High”からのスタートに、客席からは地響きのような歓声が上がる。頭上には全長7メートルはあろうプロペラ機のオブジェが旋回し、ゴーグル付きの飛行帽を被ったブルースは、孤高のエース・パイロットのようだ。会場を渦巻く熱気をコントロールするかのごとく、手のひらを地面にかざして力強く押し下げながら、丁寧に声を乗せていく。さらにステージからのエネルギーに呼応して、無数の観客が「Rolling, turning, diving!」と叫びながら語頭のタイミングで拳を突き上げる。会場のボルテージが一気に臨界点に達したところに、1980年代の名曲“Where Eagles Dare”と“2 Minutes to Midnight”の追撃が、往年のファンたちをさらなる恍惚へと誘う。メンバー全員が還暦を迎え、共に年齢を重ねてきたファンの心には、各人それぞれの思いが去来しているだろう。彼らはノスタルジーに浸っているだけなのか?それとも痘痕も靨とばかりに、メンバーの老いの兆候すらも「渋さが増して更に魅力的になった」と諸手を挙げて肯定しているのか?いや、そうではない。楽曲の素晴らしさや演出のインパクトを否定する余地はないが、この公演の演奏自体が非常に胸を打つものだった。

観客の反応を鋭い眼光で見定めつつ、指をあまり曲げずに弦をアタックする独特のフィンガー奏法でバンドのサウンド全体をピリッとしめるリーダーのスティーヴ・ハリス(B)。御年66歳、煽情的な多点タム回しは健在のニコ・マクブレイン(Dr)。そして、幾度かのメンバーチェンジを経て三人体制となったギター隊。フレーズをユニゾンで弾くリードギターとそれを支えるリズムギターという形式的な説明では汲み尽くせない、この三人体制でなければならない理由の一端を本公演でようやく認識した。リズミカルなトリルや伸びやかなチョーキングで緩急自在にギターを歌わせるデイヴ・マーレイ。ブルースからの影響もうかがわせるビブラートを効かせた多彩なフレーズで聴き手の心を揺さぶるエイドリアン・スミス。そして、豪快なギター回し、軽快なスキップ、時にはセットに片足を載せてY字バランスを披露し、観衆の耳目を刺激するヤニック・ガーズ。ややもすれば、彼の視覚的なトリッキーさに注目が集まりがちだが、プレイヤーとしての腕も確かだ。特に中音域の音を丁寧に織り重ねた彼のギターソロは、次のフレーズへと自然に着地するよう緻密に練り上げられており、見事としか言いようがない。以上の三者三様の特徴を持つギタリストたちの融合があってこそ、他の追随を許さないIron Maiden独特のサウンドが成立する。例えば、ルート音と五度上の二音からなるパワーコードのバッキングを見てみよう。三人が同じパワーコードを弾くと、単に音量が独奏時の三倍になるのではなく、各人の癖や使用機材といった要素が掛け合わさった結果、得も言われぬ味わいが生じる。その重厚感たるや、(理論上は)構成音が二音であることが信じられないほどである。また、音源では二人のギタリストがギターソロの前半・後半を分担する楽曲が散見されるが、公演では一部がユニゾンで演奏されている。音の粒の微妙な散らばりが顳顬を打ちつけるのを感じ、重なっていた音がチョーキングを介して上下に散開するのを見送りながら、聴き慣れた楽曲の魅力が更新されていくのを確信した。こういった至高の瞬間群は、Iron Maidenが三人のギタリストを擁するべき理由として余りあるだろう。

これだけの個性的な楽器隊に気圧されることなく、絶妙なリッドとビブラートで歌詞の叙情性を最大限に体現するブルースの声は、高音部においてもまったく迷いがない。公演中に一度だけ挟まれたMCで彼は、数日前に60歳の誕生日を迎えたこと、そして今の自分よりもずっと若くしてナチスの侵攻からイギリスを守ろうと戦った青年航空兵たちに対する畏敬の念を述べた。さらに「かの戦いは自由を守るための闘争である」と強調し、その理念を語る曲として“The Clansman”に言葉の続きを託した。地響きのような「Freedom!」コールが沸き起こる。当時の地政学的構造や正戦論上の懸念は脇に置いておくとして、自由が天から与えられるのではなく、戦闘の末に手にしたり奪い返すものであるのは、粉うことなき事実である。個人にも該当するかもしれない。思い返せば、自由(特定のポジション)を賭けた競争に臨むとき、私はいつもブルースから仮面を借りていた。緊張と睡眠不足で疲弊した身体に、Iron Maidenの楽曲を耳に流し込むや否や、丹田に力が入り、あたかもブルースになったような心持ちで選考会場に向かったことは一度や二度ではない。

公演の中盤以降も、ブルースは次々とペルソナを変えて、パフォーマンスの先頭を真一文字で走り抜ける。“The Trooper”では突如ステージ上に現れた体高3メートルはあろうエディと剣を交え、“Fight of Icarus”ではかの太陽神のごとく火炎放射器をぶっ放し、イカルスを模したオブジェを文字通り奈落の底へと墜落せしめた。アグレッシブな演出から一転、“Fear of the Dark”ではブラックの山高帽とロングコートを纏って墓地を彷徨う。不詳な暗闇への恐怖を語り部のように静かに紡ぐスローパートと、這い寄る死の危急感を力強く訴えるファストパートが織りなす静・動のコントラストをブルースは見事に演じきっている。本編ラストの“Iron Maiden”に至っては、舞台が炎に包まれメンバーの輪郭がぼやける中、「Scream for ME!」と聴衆の叫びを求め、鋼鉄の処女の悍ましさを思い出させるほどの迫力であった。

私にとって完全無欠の象徴であり、自分を妥協させまいと踏ん張るときはいつも耳元に置いてきたIron Maiden。バンドの母国イングランドでようやく出会えた彼らは、自身が辿ってきたキャリアに恥じないどころか、既存の楽曲の魅力を塗り替えていくほどにストイックだった。しかし、ただ一生懸命に演奏する姿を見せるのではなく、エディが生きる平行世界の物語に登場する演者として自らを表象している点を見逃してはならない。その効果として、観客は余計な考えを挟まずに彼らのパフォーマンスに没入し、内から沸き起こる熱情にいっそう身を任せることができるのだ。そういった意味で、私が持つ完全無欠なミュージシャンのイメージをより高次の次元へとアップロードさせる公演だった。確かに歴史・言葉の意味・美的感覚について、私は多くの事柄を彼らと共有できていないだろう。その中にはIron Maidenの魅力を理解する上で致命的なものさえ含まれているかもしれない。けれど、「仮に私が優れた鑑賞者でなくとも、それはIron Maidenの作品を聴かない理由にはならない」と、熱狂の渦に包まれながら公演の終結を見届けた今なら断言できる。

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