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2017年5月9日

あさ (22歳)
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plentyと青春

「さよならよりも、優しいことば」

 大好きで大切なバント、plentyが解散する。
 

 plentyに出会ったのは7年前、当時わたしは茨城に住む高校生だった。ある駅ビルに入っていたCDショップに地元のバントを特集する棚があって、何の気なしに手に取ったのがplentyの2nd mini album「理想的なボクの世界」だった。限られたお小遣いしかもらっていなかった当時の私にとって、例えミニアルバムであっても簡単に買えるものではなかったはずなのに、聴いたこともない、名前も知らないバンドのCDをどうして買ったのか今ではもう思い出すことができない。もしかしたら店員さんの書いたポップを読んで興味を持ったもかもしれないし、ジャケットを気に入ったのかもしれないし、何のCDでもいいから気晴らしに買い物をしたかったのかもしれない。けれど確かに、確かにあのときわたしはplentyに出会ったのだ。

 plentyは常にわたしの青春時代の傍らにあった。ダサいと有名な不思議な色の制服を着て登校した朝も、部活で嫌なことがあって泣きながら自転車をこいで帰ったときも、後輩たちの部活の声を聞きながら放課後静かな図書室で受験勉強をしていたときも、大学進学を機に上京して一人暮らしを始めたときも、留学でアメリカに行ったときも、空腹と戦いながら歩いたバイトの帰り道も、ヒーヒー言いながら徹夜して卒論を書き上げたときも、嬉しくても、悲しくても、plentyを聴いた。大学生になってからは可能な限りライブにも行って、変わりゆくplentyの「今」を見てきた。

 そんなplentyの解散を知ったのは3月に大学を卒業し、4月から社会人になったわたしがやっと職場の雰囲気に慣れ始め、ほんの少し息をついたときだった。もちろん「なぜ」という思いはあったし、解散の文字を目にした次の瞬間には寂しさから涙がでそうになった。けれど、「終わりなんだ」というどこかホッとしたような気持ちもあった。
 

 『なにもなれないものはない…このキモチはなんだ』
 『なにもやれないことはない…このキモチはなんだ』

 plentyに出会った15歳のころは、大人になれば何者かになれるとただただ漠然と信じていた。頭ではフィクションと理解しながらも、心のどこかで少女漫画のような恋に憧れ、少年漫画のヒーローのような勇気に憧れ、テレビドラマに出てくるような仕事に誇りをもった大人に憧れた。けれど大人になるということは「自分が何者でもないただの“自分”であることを受け入れていくこと」だ。高校生のころ、わたしはなってみたいものも、やってみたいことも、数えきれないほど沢山あって、それはたっぷりと未来の自分に夢をみた。けれど、そんなわたしの夢みる青春時代は終わったのだ。青春時代の傍らにあったplentyの解散は、わたし自身の青春時代への「さよなら」でもある。きっと「ホッとした」気持ちの正体は「置いていかれなくて良かった」というすごく自分本位な想いだ。
 

 『さよならさえ気づかれないように手を振るよ』
 『振り返らないでよ』
 『夜明けの夢の終わりまで』

 毎日のように友達と顔を合わせてバカ笑いしたこと。制服のスカートを折って短くしていて先生から注意されたこと。冬場、教室のストーブで鍋をしたこと。それで締めのうどんを焦がしたこと。留学中に家族が恋しくなって今では読み返せないような長文のメールを送ったこと。授業をサボって夕方まで寝てしまった日のこと。学食で友達の恋愛相談にのったこと。ゼミの先生の狭くて汚い研究室でみんなでおにぎりを食べたこと。終電を逃した次の日の朝、始発を待つ駅のホームが肌寒くて彼氏からジャケットを借りたこと。

 青春とは、過ぎ去るのではなく、「連れて」来られないのかもしれない。当たり前だけど、いつまでも抱えたままでは生きていけないのだ。
 

 『見知らぬ宇宙のどこかで うっかり出会えるはずだろう』
 『だから今、忘れておくれよ この僕を』
 『だから今、目前の朝を喜ぼう』
 

 大好きで大切なバンド、plentyが解散する。

 大人になりかけのわたしは、ラストライブでplentyに「またね」を言うために何者でもない自分で明日を生きていく。

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